京都市 東部

史跡・建築物

三十三間堂 清水寺 智積院
高台寺 平安神宮 銀閣寺
建仁寺 本能寺 東福寺
即宗院 下鴨神社 東本願寺
南禅寺 無鄰庵 渉成園
安井金比羅宮 京都ゑびす神社 永観堂
知恩院 - -

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
内容=★★★★☆ お得度=★★★☆☆

三十三間堂
本堂正面の柱間が三十三あるために三十三間堂と呼ばれているが、正式には蓮華王院(れんげおういん)という名の天台宗の寺院。長寛2年(1164年)に平清盛が造進したのが始まりで、約80年後に焼失してしまったが、すぐに復興に着手し、文永3年(1266年)に再建されたものが現存している建物。建物焼失の際に二十八部衆と124体の像は焼失を免れたが、その他のものは再建の鎌倉時代に造られたものである。
中央の巨像(中尊)を中心に、左右に10段50列で500体、合計1001体が本尊として安置されている。正しくは十一面千手千眼観世音といい、頭上の11の顔と40本の手(38本と2組)を持つ。1本の手が25種類の世界で救いの働きをし、40を25倍して「千手」を表している。また、千手観音の眷属として観音像の前には二十八部衆と風神・雷神が安置されている。像はすべて檜の寄せ木作りで造られており、二十八部衆の像の目には水晶をはめ込んだ玉眼という手法が用いられている。
江戸時代に外縁で行われた通し矢(本堂の端から矢を放ち、何本通すことができるかの競技で現在も年に一度イベントとして行われている)、宮本武蔵の対決の舞台としても有名なところである。
拝観時間=8:00〜17:00(夏)、9:00〜16:30(冬)、拝観料=600円。毎年一月中旬に行われる「楊枝のお鍛冶」の時は境内は無料で公開されている。

さすがに1001体の観音像が並んでいる様は圧巻の一言。これ程の大きさの観音像がここまでそろっているところは他にない。像もかなり手が込んでおり、観音像も一つ一つ顔が微妙に違っている。入場料が若干高い気もするが、一度はきてみたい場所である。

訪問時のツーレポ
 ● 2000年09月 京都・奈良 修学旅行コース
 ● 2003年01月 島を愛す ユニバーサルスタジオジャパンへ
 ● 2009年08月 らいらっく 京都花火大会 2009
 ● 2011年03月 京都家族旅行
清水寺(きよみずでら)
内容=★★★★★ お得度=★★★★★

清水の舞台
興福寺の北伝の法相宗(ほっそうしゅう)から昭和40年(1965年)に独立した北法相宗を宗派とする一寺一宗のお寺。本堂は寄棟造りで、「清水の舞台から飛びおりたつもりで・・・」という言葉でも有名な舞台があり、139本の巨大な欅の柱(最高12m)の組合せに支えられている。平成6年(1994年)に世界遺産に登録された。
宝亀9年(778年)に延鎮(えんちん)上人が「木津川の北流に清泉を求めてゆけ」との夢告をうけ、音羽山麓の滝のほとりにたどり着いた。ここで修行中の行叡居士(ぎょうえいこじ)より授けられた霊木から千手観音像を作って草庵に祀ったのが始まりとされる。平安末期から戦災によりたびたび焼き払われたが、その都度再建され、現在の主要な建物は寛永10年(1633年)に3代将軍徳川家光により再建されたものである。本堂、舞台は国宝に指定され、その他の多くの塔も重要文化財に指定されている。
入場料は300円だが、特別拝観や胎内めぐりは別料金(100円)となる。春(3月上旬〜4月中旬)と秋(11月中旬〜12月上旬)に夜間の特別拝観があり、このときの入場料は400円となる。入場時間は18時頃から21時の間。
音羽の滝は、音羽の山中より湧出する清泉で、ここより「清水寺」の名が付けられた。この水を飲むことにより長寿、健康、学問に御利益があるといわれている。
拝観時間=6:00〜18:00、拝観料=300円。(実はチケットは季節によって絵柄が違う)

京都を訪れたら是非とも行っておきたい場所である。清水の舞台からの眺めもいいが、写真を撮るなら奥院から本堂の舞台をバックに写真を撮った方が清水寺と言った感じになる。春は桜、秋は紅葉が映えるところであるが、自分は秋の紅葉の時の方がいいと思う。夜間の特別拝観ではいつもと違う感じの眺めを楽しむ事ができてなかなか良い。時期が合えば行ってみる価値はあるだろう。
清水に向かう道は二本あるが、メインの通りはシーズン中、歩くのも大変なくらい混み合う。人混みが嫌いな人は南側の焼き物の道を通る方がいいだろう。ちなみに坂の途中のお店では試食ができるので是非食べていこう。

訪問時のツーレポ
 ● 2001年11月 島を愛す 桃岩荘YH 京都大会 2001
 ● 2002年11月 まったり〜な 第64回まったり〜な慰安旅行
 ● 2003年04月 らいらっく&島を愛す お花見会 2003
 ● 2003年10月 島を愛す 桃岩荘YH 京都大会 2003
 ● 2008年11月 島を愛す 京都チャリツアーGO
 ● 2011年03月 京都家族旅行
 ● 2012年05月 まったり〜な 平湯キャンプ 2012
智積院(ちしゃくいん)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★☆☆

講堂から見る庭園
弘法大師空海により開かれた真言宗の智山派の総本山で大日如来を本尊とする。宗団には成田山新勝寺、川崎大師平間寺などの大本山を初め、現在全国に三千余の寺を擁している。
弘法大師によって開かれた真言宗はそれから300年後の保延6年(1140年)に、修行の場を高野山から和歌山県の根来山(ねごろさん)へと移された。時代を追うごとに学徒の数も増加し、最盛時には坊社2700余、住侶6000、所領70万石と言われるに至った。しかし時の為政者・豊臣秀吉に刃向かったため、天正13年(1585年)に一山ことごとく焼き払われ、滅亡した。その時、智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は、多くの学僧と共に京都・高野山に逃れ、徳川家康の時代に再興される事となった。再興された智積院は「五百佛山(いおぶさん)根来寺智積院」と改名された。
数回の火災に遭い、明治15年(1882年)には一山の中心である金堂を焼失。その後、昭和50年(1975年)に金堂、平成7年(1995年)には講堂(方丈殿)が再建された。
桃山時代の絵師・長谷川等伯とその弟子達が描いた祥雲禅寺(しょううんぜんじ・智積院の前身のお寺)の客殿を飾っていた金碧障壁画が収められている。数度の火災に遭い原形の四分の一以下の大きさになっているが、「楓図」「桜図」「松に秋草図」「松に黄蜀葵図」等の国宝絵画を見ることができる。
庭園は「利休好みの庭」と伝えられ、豊臣秀吉が建立した祥雲禅寺時代に原形が造られた。その後、第七世運敞(うんしょう)僧正が修復し、東山随一の庭と言われるようになった。
拝観時間=9:00〜16:30、拝観料=500円。

真言宗の智山派の総本山と言うことなので、宗派の人は訪れるところだろうが、ほとんどの建物が焼失しており、建物自体にはあまり見る価値はない。ほとんどが最近の再建で、鉄筋のものも多いからね。
ここで有名な物は国宝に指定されている障壁画と庭園。絵については建物から取り外されて特別室に展示されている。建物の方は複製画がはめられている。障壁画については好みがあるので何とも言えないが・・・。(^_^;; 庭園は建物の中から見るといい感じ。庭園の縁側のすぐ下まで池が伸びており、油断すると落ちそうな感じがする。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年11月 オーストラリアメンバー メンバー再会-5
 ● 2009年08月 らいらっく 京都花火大会 2009
高台寺(こうだいじ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★☆☆☆

名勝に登録された庭園と開山堂
豊臣秀吉の正妻・北政所(ねね・出家して高台院湖月尼と称す)が秀吉の菩提を弔うために慶長11年(1606年)に開創した寺で、正しくは高台寿聖禅寺。華麗な蒔絵が施されている事から「蒔絵の寺」としてひろく知られている。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大な財政援助を行ったので、寺観は壮麗をきわめたといわれている。
寛政元年(1789年)以後、たびたびの火災にあって多くの建物を失い、現在残っているものは旧持仏堂の開山堂、秀吉と北政所をお祀りしてある霊屋(おたまや)などで国の重要文化財に指定されている。霊屋には秀吉と北政所をお祀りしているところで厨子内左右に秀吉と北政所の木造が安置されている。須弥壇や厨子には華麗な蒔絵が施され、世に高台寺蒔絵と称され桃山時代の漆工芸美術の粋を集めている。
庭園は、開山堂の臥龍池、西の偃月池を中心として展開されており、小堀遠州の作によるもので、国の史跡・名勝に指定されている。春、夏、秋には夜の特別拝観が行われ、境内がライトアップされる。
寺の近くにある掌美術館では高台寺に伝わる所蔵品が展示されている。
拝観時間=9:00〜16:00、拝観料=600円(掌美術館の見学含む)。

北政所が秀吉が建てたお寺で、余生を過ごしたということで名前はかなり有名なので一度は行っておきたいというところ。境内はきちんと整備されてなかなかいい雰囲気を持っている。各建物には係の人がいて、建物について説明をしてくれる。ただアルバイトみたいなので余り突っ込んだ話しをすると分からないような感じだった。夜の拝観もなかなかおすすめだが、人が多いときに行くとまともに見ることができないかも・・・。
ここに来たらやはり有名な秀吉とねねの木造は見るべきだろう。思ったよりも小さな印象を受ける。その木造が納められている霊屋には全体に蒔絵が施されていて当時の繁栄ぶりが忍ばれる。美術館には収蔵品の一部が展示されている。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年11月 オーストラリアメンバー メンバー再会-5
 ● 2005年11月 丹後半島へ
 ● 2008年11月 島を愛す 京都チャリツアーGO
 ● 2009年08月 らいらっく 京都花火大会 2009
 ● 2011年03月 京都家族旅行
平安神宮(へいあんじんぐう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

平安神宮本殿
明治28年(1895年)、平安遷都1100年を記念して第50代天皇・桓武天皇を御祭神として創建された。その後、皇紀2600年にあたる昭和15年(1940年)に、第121代天皇・孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ現在に至っている。
平安神宮のご社殿は、桓武天皇が開いた平安京の正庁・朝堂院が5/8の規模で再現されている。その他大極殿(だいごくでん)、応天門(おうてんもん)、蒼龍楼(そうりゅうろう)・白虎楼(びゃっころう)・歩廊・龍尾壇(りゅうびだん)なども併せて建設された。その後昭和15年に、本殿、祝詞殿、内拝殿、翼舎、神楽殿(かぐらでん)、額殿(がくでん)などが増築され、社殿も大修理が行われ、現在の陣容が整った。
時代祭は、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、明治28年に始まった。この祭りは平安時代からのそれぞれの時代の衣装をまとった人物の行列が京都市内を練り歩く物である。
入園時間=8:30〜17:30、拝観無料。

建設されてからまだ100年しか経っていない事から他の京都の建物とはまったく異なるものである。もちろん他の有名な建物も創建当時の建物はほとんどがこのような色だったと思われるが、やはりこの派手さはちょっと・・・と言う感じがする。特に歴史があるものでもないので別に行かなくてもいいところだろうと思う。感じとしてはかなり大きな地方の神社(地元によくある神社)と言った印象だろうか?(自分は歴史的な建物に興味が強いため評価は低い)

訪問時のツーレポ
 ● 2004年11月 オーストラリアメンバー メンバー再会-5
 ● 2007年10月 四国・南紀ツーリング
銀閣寺(ぎんかくじ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆

下段庭園から銀閣寺
上段庭園から見た銀閣
室町幕府代8代将軍・足利義政が祖父・義満の建てた金閣寺に習って文明14年(1482年)に建立したことに始まる。義政の死後、彼の遺言により臨済宗相国寺派の寺として慈照寺(じしょうじ)と改められたが、その後金閣寺に対して銀閣寺と呼ばれるようになった。なお、銀閣と言われる建物の正式名称は観音殿である。
特別史跡に指定されている庭園は、西芳寺(苔寺)の庭園を模して義政と善阿弥の指導によって作庭されたもので、上下2段に大別され、上段は枯山水庭園、下段は池泉回遊式庭園で中央に錦鏡池が広がっている。また柿葺の屋根を持つ観音殿は下層が心空殿と呼ばれる住宅、上層が聴音閣と呼ばれる仏堂になっており2つの様式を組み合わせた建物になっている。
拝観時間=8:30〜17:00、拝観料=500円。

金閣寺と対をなす銀閣寺だが、もちろん銀で装飾されているわけではない。もともと銀箔をする予定だったという話も聞くが、「わび・さび」の精神を求めた建物にそのような装飾をしようとするとは考えられない。
建物はかなり痛みが進んでいて、近くで見るとタダの汚い建物と言った印象。もう少し何とかして欲しい感じだ。庭園は綺麗に整備されており、遊歩道に沿って散策するにはいい感じだ。銀閣も庭園の途中から見ると汚さが分からないのでいい感じになる。
新緑、紅葉の季節にやってくるのがもっとも綺麗な時期と思われるが、その分観光客も多くて大変。出来れば朝一で行く方がいいだろう。シーズン中に行くと遊歩道が行列状態になってしまって洒落にならない状態になってしまう。

訪問時のツーレポ
 ● 1994年04月 らいらっく 久多キャンプ
 ● 2000年09月 京都・奈良 修学旅行コース
 ● 2004年11月 オーストラリアメンバー メンバー再会-5
建仁寺(けんにんじ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★☆☆☆

方丈の石庭と山門
京都五山(南禅寺・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の一つで、栄西(正式=ようさい、一般=えいさい)禅師によって開山された京都最古の禅寺で臨済宗建仁寺派の総本山。
鎌倉幕府将軍・源頼家により開基され、南宋より帰国した栄西禅師により、建仁2年(1202年)に開山(東山)された寺。創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学だったが、第11世蘭渓道隆の時代から純粋な臨済禅の道場となった。鎌倉・室町時代に最盛期を迎え、一時は京都五山の第1位に列せられた。
境内には勅使門、山門、仏殿、方丈(重要文化財)が一直線に並び、方丈には国宝に指定されている俵屋宗達の「風神雷神」二曲屏風や海北友松の「竹林七賢」が展示されている。
拝観料=500円、拝観時間=10:00〜16:00。

広い境内に大きな建物が配されてなかなか落ち着いた雰囲気になっている。建物はそれなりに時代があるんだが、あまり特徴がない感じ。なんか建物がゆがんでいる感じがするのは気のせいだろうか?
方丈にある国宝の風神雷神図は必見といいたいところだが、本物は国立博物館にあるのでレプリカである。法堂(はっとう)には竜の天井画があるんだが、なんかあまり迫力を感じないような気がする。時代がたっていない(2002年)のでそう思うのだろうか?拝観料がちょっと高い気がするが、興味があるのなら入ってみてもいい感じ。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年11月 島を愛す 桃岩荘YH 京都大会 2005
 ● 2009年08月 らいらっく 京都花火大会 2009
本能寺(ほんのうじ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

境内から見る本堂
「敵は本能寺にあり!!」で有名な織田信長がその部下である明智光秀によって討たれた寺であるが、現在の場所は当時の場所とは異なる。
応永22年(1415年)に日隆上人によって開山された寺で、何度も消失、再建を繰り返し、信長の時代には30余坊を構える大寺院となった。信長が京都に宿泊するときの常宿として利用されていたが、天正10年(1582年)6月2日早朝、明智光秀の謀反により信長とともに消失した。その後、豊臣秀吉により現在の場所に移された。現在の建物は昭和に入ってからの再建。元の場所には学校が建っていたが、現在発掘調査中。
境内には信長の三男・信孝により建立された「信長公廟」や信長とともに果てた武将たちの合同慰霊碑が奉られている。信長の遺骸は発見されていないため、墓には信長が所有した太刀が納められている。
拝観時間=7:00〜17:00、境内=無料、宝物館拝観料=500円。

日本人の大部分が知っていると思われる寺の名前だが、場所が変わったこともあり、そんなに観光客が来るような感じではない。寺自体も町の中に埋もれてしまっているし、建物も新しいからね。観光的にはやはりどっちかというともともと本能寺があったところの方に行くだろう。
宝物殿は入っていないのでよく分からない。評価は見学のみ。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年11月 島を愛す 桃岩荘YH 京都大会 2005
東福寺(とうふくじ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★☆

三門から境内を見る
洗玉澗の紅葉
京都五山(南禅寺・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)のひとつで、臨済宗東福寺派の大本山。奈良の最大の寺院である東大寺、奈良で最も盛大を極めた興福寺から「東」と「福」の字を取り東福寺と命名された。紅葉の名所としても有名で、紅葉の時期には多くの観光客が訪れる。
摂政・九条道家が嘉禎2年(1236年)から19年の歳月をかけ、建長7年(1255年)に完成した。寛元元年(1243年)には聖一(しょういち)国師を招いて開山を行い、天台・真言・禅の各宗のお寺として隆盛を極めた。度重なる火災の後、貞和3年(1346年)に前関白・一条経道により仏殿の上棟が行われ、禅宗寺院として寺観を整え、その後も多くの武将の保護の下、隆盛を誇った。しかし明治14年(1881年)に仏殿、法堂(はっとう)、方丈、庫裡(くり)を焼失。その後、徐々に再建され、現在に至っている。
本堂と開山堂の間は洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷で、紅葉の名所となっている。この渓谷に架けられた通天橋は天授6年(1380年)に春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が谷を渡る労苦から僧を救うために架けたと言われる。現在のものは昭和36年(1961年)に再建されたものである。
拝観時間=9:00〜16:00、通天橋拝観料=400円、方丈庭園拝観料=400円。

多くの建物は明治以降に再建されたものだが、鎌倉・室町時代の様式で再建されたもので、なかなか見応えはある。三門など国宝や重要文化財に指定されている建物も残っているので見て歩くのもいいかもしれない。
紅葉の時期にくるとしゃれにならないくらいの観光客となるが、それ以外はそんなに混んでいる感じではない。(夏に行ったときは人がほとんどいなかった)はっきり言って紅葉の時の休日に行くと大変である。朝早く行ければいいんだが、解放されていないのでどうしようもない。ちなみに自分はとてもではないが、入る気は起きなかった。ちなみに通天橋を渡らなくてもその下流にある臥雲橋(無料)からそれなりの眺めを見ることができる。
駐車料金は無料なのでいいんだが、シーズンになると車でやってくるのはつらいかもしれない。バイクはほとんど関係ないが・・・。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年11月 丹後半島へ
即宗院(そくしゅういん)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆

境内の紅葉
1300年代に創建された島津氏の菩提寺。幕末に西郷隆盛がここでしばらく隠れ住んだと言われる。
薩摩藩6代藩主・島津氏久により創建され、剛中禅師により開山された東福寺の塔頭で、明治維新に至るまで島津家の庇護を受けた。明治維新後の廃仏毀釈により島津家の庇護を失ってから、建物もなくなり、現在残るのは室町時代の作と言われる庭園だけである。
また、明治維新の際には西郷隆盛を含む尊皇攘夷派の薩摩藩士の宿となったことで有名。西郷隆盛が建てたとされる戊辰戦争でなくなった薩摩藩士の追悼碑が現在も残っている。
拝観時間=9:00〜16:00、拝観料=200円。

庭園は落ち着いた雰囲気でなかなか見応えがあるが、時期によってはあまり見応えがないと思われる。やはり紅葉の季節が一番ではないだろうか?そんなに有名ではないのか(ツアーではまずやってこないと思う)、東福寺にかなりの観光客が来ているときでもそんなに観光客がいなくてゆっくりと出来る。
奥にある西郷隆盛の追悼碑は庭園から5分ほど階段を上ったところにあるが、そんなに見る価値はない。庭園を見たらそれで十分といった感じだろう。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年11月 丹後半島へ
下鴨神社(しもがもじんじゃ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

境内を一望
下鴨神社の名前で有名だが、正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、京都でもっとも古いと言われる神社の一つ。上鴨神社とともに京都三大祭りの一つである葵祭(他に平安神宮の時代祭、八坂神社の祇園祭)が行われる神社としても有名。
歴史は古く、崇神天皇の時代(紀元前93年〜30年)にはこの神社に触れた記載が残っているが、詳細については不明。平安時代には多くの書物で登場していることから遅くともこの時期には存在していたと思われる。もともとはこの地方の豪族・賀茂氏の氏神社で、賀茂建角身命(かもたけのつぬみのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)が祭神として奉られている。玉依媛が御手洗川で川遊びをしていると、上流から白羽の矢が一本流れてきた。これを持ち帰って床にさしておいたところ身ごもり男児を運だというような伝承がある。このことから縁結、子育ての神さまとして信仰されている。
神社は「糺の森(ただすのもり)」の北側に位置し、その森の中を参道が縦断している。境内に建つ東西2棟の本殿は文久3年(1863年)に建てられたもので神社建築の代表的な社殿といわれ国宝に指定されている。そのほかにも楼門、53棟の建物が重要文化財に指定されている。ほとんどの社殿を21年ごとに造り替える式年遷宮の制度が定められているが、現在は大修理をもって遷宮とされている。
代表的な行事としては1月4日の「蹴鞠はじめ」、5月15日の「葵祭」がある。葵祭は上賀茂神社と合同で行われるお祭りで、欽明天皇5年(545年)に始められたと言われ、途中中断されたこともあるが、1400年以上の歴史を持つ。この祭りのことは源氏物語や枕草子にも登場している。
境内自由、拝観無料。

かなり古い歴史があることになっているが、実在が疑わしい時代の話なので実際は1500年くらいの歴史だと思われる。参道は広葉樹の森の中を通っていてなかなかいい雰囲気。朝早くなど人がいない時間にくる方がいいだろう。本堂は国宝に指定されているが、近くに行けないのがちょっと残念なところ。そのほか重文クラスの建物も多数あるが、見た感じはそんなに見応えがあるわけではない。社殿と言うことであまり飾り付けがないせいかもしれない。
昔の建物に興味がある場合はまだいいかもしれないが、一般的には葵祭や蹴鞠はじめなどの行事があるときにやってくるところかもしれない。葵祭の時はかなりの人混みになるので公共の交通手段で行った方がいいだろう。
バスは神社の境内の脇にある駐車場に止めることが出来、神社の南に有料の駐車場もあるんだが、バイクを止めるところが見つからなかった。どっかにあるのだろうか?

訪問時のツーレポ
 ● 2006年03月 らいらっく 伊勢・鳥羽ツーリング
東本願寺(ひがしほんがんじ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

阿弥陀堂
正式には真宗本廟(しんしゅうほんびょう)といい、浄土真宗・真宗大谷派の本山。第12代教如が、慶長7年(1602年)に徳川家康によって本願寺の東に寺領を与えられ、西本願寺より分離したのが始まりである。堀川六条の本願寺の東に位置する為、東本願寺と言われるようになった。
文永9年(1272年)に宗祖・親鸞聖人の娘の覚信尼が京都東山に廟堂を創建したのがはじまりとされ、室町時代に蓮如上人により再興。本願寺の第12代教如が慶長7年(1602年)に徳川家康によって本願寺の東に寺領を与えられたことにより、本願寺は東西に分裂した。更に昭和62年(1987年)に起きたお東騒動により分裂し、最大宗派の真宗大谷派が本願寺を所有している。
境内の御影堂、阿弥陀堂などは明治以降の再建であるが、御影堂は世界最大級の木造建築物である。拝観は自由であるが、現在御影堂は大規模な改修中。親鸞自筆の教行信証は国宝に指定されており、近接する渉成園は国の名勝となっている。
境内自由。

建物は明治時代の再建のため歴史的価値は低いが、規模が大きく、当時最高の技術で造営されているため圧倒される。拝観は自由なので近くを通るならちょっと見てみるのもいいかもしれないというレベルか?観光地としてわざわざ行くような所でもない感じがする。

訪問時のツーレポ
 ● 2007年07月 島を愛す 京都チャリツアー Final
 ● 2011年03月 京都家族旅行
南禅寺(なんぜんじ)
内容=★★★★☆ お得度=★★★☆☆

南禅寺の三門
南禅寺の庭園
約700年前に開山した臨済宗南禅寺派大本山。正応4年(1291年)、亀山法皇は東山の離宮を寺に改め、無関普門(むかんふもん)によって開山したことに始まる。京都五山のさらに上に位置するの「別格」に位置づけられたこともあり、日本の禅寺のなかで最も高い格式を誇ったが、応仁の乱のころの戦火により伽藍は焼け落ち衰退する。江戸時代に入り、慶長10年(1605年)に以心崇伝が入寺するころより復興が行われ、現在の様相が整った。
三門は五間三戸二階二重門の規模で左右に山廊をもち、禅宗様からなる三門正規の形式の建物。歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で石川五右衛門が「絶景かな」という台詞はここの三門が舞台となっている。(もちろん架空の話)方丈は大方丈と小方丈からなり、大方丈は内裏清涼殿を移築したもの、小方丈は伏見城の遺構と言われ、多くの文化財が展示されている。
境内を横切る赤レンガのアーチは明治時代に琵琶湖疏水を引いた水道橋。
拝観時間=8:40〜17:00、方丈庭園拝観=500円、三門拝観=500円、南禅院拝観=300円。年中無休。

最盛期の規模からは小さくなっているとは思われるが、さすがに京都五山のさらに上に位置しただけあってかなりの規模を誇っている。石川五右衛門の気分になって三門の上から絶景かな、絶景かなとかやってみるのもいいかもしれない。(^_^;;
桜や紅葉の時期にやってくるといい景色となりそうだが、その時は人もかなり多そうな気が・・・。境内の水道橋も周りの木々とのコントラストがいい感じ。

訪問時のツーレポ
 ● 2007年07月 島を愛す 京都チャリツアー Final
 ● 2007年10月 四国・南紀ツーリング
 ● 2009年01月 らいらっく スノボー強化合宿2009
無鄰庵(むりんあん)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆

思ったよりも広くない庭園
明治29年(1896年)に長州出身の元老・山県有朋により造営された別荘。有朋が長州に建てた草菴が隣家のない閑静な場所であったところから、その名が付けられたと言われる。
有朋による設計・監督により造園家・小川冶兵衛が作庭したもので、緩やかな傾斜地に東山を借景し、三段の滝、池、芝生を配した池泉回回遊式庭園。庭園内には木造2階建ての母屋、茶室、煉瓦造り2階建ての洋館がある。江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁図が飾られる部屋では元老・山形有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小林寿太郎により日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰庵会議」が開かれた。
拝観時間=9:00〜16:30、拝観料=350円。

庭園はそこそこの敷地はありそうなんだが、木々が多いためそんなに広く感じない。空いていれば問題ないんだが、遊歩道がそんなに広くはないので人が多いと混雑しそうだ。人が少ないときにのんびりするにはいいが、人が多い場合は行かない方がいいのかもしれない。
洋館の1階は倉庫として利用されていたらしいんだが、なんか変な造りだ。窓が異常に小さいし、窓の位置もなんかえらく上にある。入口のドアもえらく分厚いし・・・。2階も絵の保護のためか明かりがなくてかなり怖い雰囲気。(^_^;;

訪問時のツーレポ
 ● 2007年07月 島を愛す 京都チャリツアー Final
渉成園(しょうせいえん)
内容=★★★☆☆ お得度=★★☆☆☆

庭園内の様子
東本願寺(真宗本廟)の飛地境内地で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)と呼ばれる。
平安時代に嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる・光源氏のモデルとも言われる)が、奥州塩釜の風景を模して難波から海水を運ばせた六条河原院苑池(ろくじょうかわらのいんえんち)の遺蹟と伝えられる。その後、寛永18年(1641年)に徳川家光によって東本願寺に寄進され、承応2年(1653年)に石川丈山により書院式の回遊庭園が完成された。江戸時代の火災により建物は焼失し、現在の建物は慶応年間から明治時代にかけて復興されたものである。
拝観時間=9:00〜16:00、拝観無料(寄付金500円)

園内は落ち着いた雰囲気でのんびりとするにはいいところかもしれない。春や秋などは更にその眺めはいい感じがする。そのぶん人も多そうだけど・・・。中で飲食が可能かどうか分からないが、休憩がてらくるにはいいのかも。まあお金はかかるけどね。
入園料が寄付金という形を取っているのがちょっと気に入らない・・・。寄付金と言ってもまちがいなく入園料だからなあ。えらく立派なパンフレットが付いているのでそこそこ費用はかかっているとは思うけど、ここまで大きなパンフレットは・・・。(^_^;;

訪問時のツーレポ
 ● 2007年07月 島を愛す 京都チャリツアー Final
安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

縁結び碑
崇徳天皇、大物主神、源頼政を祭神とする、縁切りや良縁結びのご利益で知られる神社。田口ランディ氏の短編小説「縁切り神社」の舞台にもなった。
天智天皇の時代に藤原鎌足が一堂を創建し、紫色の藤を植えて藤寺と号して家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まったと言われる。崇徳上皇が保元の乱に破れて讃岐に流された後、治承元年(1177年)に大円法師(だいえんほうし)がこの地に参拝した際に、崇徳上皇が現れたことから、後白河法王の詔によって建治年間に光明院観勝寺が建立された。その後、崇徳天皇に加えて讃岐金刀比羅宮より勧請した大物主神と源頼政を祀ったことから安井の金比羅さんの名で知られるようになり、現在安井金比羅宮と名前が改められた。
崇徳上皇が讃岐の金刀比羅宮でいっさいの欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、断ち物の祈願所として信仰されることになった。
境内にある縁切り縁結び碑(いし)は高さ1.5m、幅3mの巨石で、形代に願い事を書いて、碑の表から裏へ穴を通って悪縁を切り、裏から表へ通って良縁を結び、最後に形代を碑に貼って祈願する。
境内自由

悪縁を切り、良縁を結ぶということから多くの人が訪れているらしく、縁切り縁結び碑には多くの形代が張られていてもとの原型がまったくわからないくらいである。場所的に観光客も訪問しやすい位置にあるせいかもしれないが・・・。(^_^;; ただ一人でやるのはちょっと抵抗があるかもしれないので、いくときは何人かで行ったほうがいいだろう。

訪問時のツーレポ
 ● 2007年10月 四国・南紀ツーリング
京都ゑびす神社(きょうとえびすじんじゃ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

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十日ゑびすの「商売繁昌、笹もってこい」のかけ声で有名な京都東山にあるえびす神社。地元では「えべっさん」の名で親しまれている。
栄西禅師により、建仁2年(1202年)に開山(東山)された建仁寺の鎮守として建てられた神社で八代言代主大神(やえことしろぬしのおおかみ)、大國主大神、少彦名神を祀る。「真っ直ぐに伸びる」「折れない」「いつも青々と繁っている」ということから商売繁盛の象徴される笹(福笹)はこのゑびす神社の御札から始まったと言われている。
1月8日から5日間、招福祭、宵ゑびす祭、十日ゑびす大祭、残り福祭、撤福祭の神事が行われ、商売繁昌・家運隆昌・吉兆のお笹が授与される。祭り中には大和大路に露店が並ぶ。また大祭の時には宝恵かご社参として東映の女優さんが松竹梅と紅白に飾ったかごに乗りこみ太秦から神社に参拝後、お店に笹を配ってまわる。

神社の歴史は長いが、どっちかというと祭りというイメージで有名といった感じかも入れない。十日えびすのイベントとしてはかなり有名という印象。神社のHPには日本三大えびすと書かれているが、実際は他のえびす神社(西宮、美保)が総本社というのに比べかなり見劣りする感じで、他にそのように記載されているところは少ない。勝手に言っているだけか?(^_^;;
十日えびすの時には屋台も建ち並び多くの人が訪れているように、初詣のような感覚でやっていくにはいい感じかも。屋台も結構出ているしね。しかしそれ以外の時には・・・。

訪問時のツーレポ
 ● 2008年01月 らいらっく スノボー強化合宿2008
永観堂(えいかんどう)
内容=★★★★☆ お得度=★★★☆☆

建物の内部
あやしい石像
正式には禅林寺という浄土宗西山禅林寺派の総本山。「秋はもみじの永観堂」と言われるとおり紅葉の時期が特に有名。本堂の阿弥陀如来は、顔がななめ後ろを向いていて「みかえり阿弥陀」と呼ばれている。
仁寿3年(853年)に空海の弟子である僧都・真紹が建立した寺院が起源とされる。中興の祖とされる7世の律師・永観(ようかん)は薬王院という施療院を建て、窮乏の人達を救うなどの救済活動を行ったことから、いつしか永観堂と呼ばれるようになった。そして12世の僧都・静遍(じょうへん)の時代に真言宗から浄土宗に改宗され現在に至っている。
みかえり阿弥陀には次のような伝承がある。永保2年(1082年)、当時50歳の永観が日課の念仏を唱えながら阿弥陀如来の周囲を行道していた。すると阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったといわれる。本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されている。
境内には多くの建物が建ち、それらの間は渡り廊下・階段でつながれている。
拝観時間=9:00〜17:00、拝観料=600円、秋に夜間拝観あり。

建物自体は新しい物が多いが、回廊でほとんどの建物がつながっているのはなかなか趣がある。のんびりと景色を見ながら建物を回るのもいいだろう。ただ紅葉の時期はそんなにのんびりも出来ない感じになるだろうが・・・。(ToT)
みかえり阿弥陀如来はかなり変わっている。振り返っているのを見るように横からも拝観できるようになっているのがなんとも・・・。

訪問時のツーレポ
 ● 2009年01月 らいらっく スノボー強化合宿2009
知恩院(ちおんいん)
内容=★★★★☆ お得度=★★★☆☆

三門を見上げる
方丈庭園
鎌倉時代に法然上人が念仏の教えを説いた場所で、全国に7000余ある浄土宗の総本山。日本最大の三門や江戸時代に造営された多くの建物が現存している。また日本三大梵鐘の一つに上げられる大鐘楼があり、これは除夜の鐘で有名。
法然上人が承安5年(1175年)に吉水に設けた草庵に始まった。火災や戦災により建物の多くは消失したが、江戸時代に幕府の庇護を受け、徳川家康、秀忠、家光により現在の壮大な伽藍が造営された。
日本最大の三門や法然上人の御影を祀る御影堂は国宝に指定されている。寛永13年(1636年)に鋳造された大鐘楼は重要文化財に指定されており、年末の除夜の鐘として多くのテレビ局で紹介されている。また大小方丈前の回遊式庭園や多くの文化財を所蔵している。
境内自由、方丈庭園と友禅苑のみ有料、拝観時間=9:00〜16:00、拝観料:方丈庭園=400円、友禅苑=300円、共通=500円。

最初に正面の三門の大きさに圧倒される。特別拝観の際には三門の上にも上がることが出来るが通常は拝観できない。門といいながらお堂と言うくらい大きな造りとなっているのがすごい。御影堂もかなり大きな建物で大きさに圧倒される。他にも大鐘楼などいろいろな建物があるので無料エリアの散策だけでも結構見る価値はあるかも。有料の拝観場所は庭園となっているが、落ち着いた感じの庭園。時間があるのであれば見ていってもいいかもしれない。宝物や建物が常時拝観できるようになってないのが残念。
知恩院に伝わる七不思議というものがあるんだが、鶯張りなど何が不思議なのか分からないものまで上げられていて強引に7つにしたという感じだ。あまり意識する必要はないだろう。(^_^;; まあ半分以上公開されてないんだけどね。

訪問時のツーレポ
 ● 2009年08月 らいらっく 京都花火大会 2009