京都市 西部

史跡・建築物

金閣寺 仁和寺 大徳寺
北野天満宮 千本釈迦堂・大報恩寺 広隆寺
二条城 妙心寺 野宮神社
竜安寺 神泉苑 御髪神社
天竜寺 - -

金閣寺(きんかくじ)
内容=★★★★★ お得度=★★★★☆

鏡湖池の対岸から見た金閣寺
京都の北西に位置するお寺で金閣寺として有名であるが、正しくは鹿苑寺(ろくおんじ)という臨済宗相国寺派の禅寺である。この寺の舎利殿(お釈迦の骨をまつった建物)が金箔で張り巡らされていることから、金閣寺として有名となった。なお、通称で呼ぶ場合もこの舎利殿が「金閣」であり、鹿苑寺が「金閣寺」と言うことになる。
鎌倉時代にここには西園寺公経(さおいんじきんつね)の別荘・北山第があった。ここを大変気に入った室町幕府3代将軍・足利義満が応永4年(1397年)に西園寺家から譲り受け、山荘北山殿を造築した。義満の死後、遺言に従い夢想国師を開山(初代住職)として義満の法号「鹿苑院殿」から二文字を取り鹿苑寺と名付けられた。
応仁の乱により多くの建物が焼失し、焼失を逃れた金閣も1950年に金閣寺修行学生僧・平岡雄仁により放火され全焼してしまった。現在の建物はその5年後の1955年に総工費は約3000万円(現在の価格で6億円ほど)をかけて再建されたものである。昭和62年(1987年)に約7億円をかけて漆の塗り替えや金箔の張り替え、天井画と義満像の復元を行い、当時の輝きを取り戻した。
金閣は3層からなり、一層は寝殿造り法水院(ほうすいいん)、二層は武家造りで潮音洞(ちょうおんどう)、山荘は中国風の禅宗仏殿造りで究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれる。屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねたこけら葺きで上には鳳凰が設置されている。
開館時間=9:00〜17:00、拝観料=400円。

鏡湖池の反対側から金閣を望む角度がもっとも有名なところであり、自分もここからの眺めが一番いいと思う。ここからだと観光客もほとんど写らないように写真も撮れるし。ただし考えることはみんな同じなので写真を撮るのは順番待ちとなってしまうのは仕方のないところか?風のない日に湖面に映って上下対象に見える様は最高である。自分は写真でしか見たことはないが、雪の積もった金閣が一番きれいかもしれない。
金閣の他にもいくつか建物や泉などがあるが、ほとんど誰も見ていない。まあ、ここに来たらこの金閣だけ見れば十分という感じなんだが・・・。というより、他の物がかなりしょぼいのでそうなってしまうんだろう。
金閣の消失については中で配られているパンフレットや案内板にも記載されていない。ガイドブックにもそのことにふれているものはかなり少ない。なぜ?書かれていても簡単に焼失したとか1955年に再建されたくらい。やはり身内の僧の放火というのは書けないのだろうか?

訪問時のツーレポ
 ● 2000年09月 京都・奈良 修学旅行コース
 ● 2002年11月 まったり〜な 第64回まったり〜な慰安旅行
 ● 2004年03月 らいらっく 京都梅花見ツアー
 ● 2006年11月 桃岩荘YH 京都大会2006
 ● 2011年03月 京都家族旅行
仁和寺(にんなじ)
内容=★★★★☆ お得度=★★★★☆

境内に咲き誇る御室桜
もともとは光孝天皇により発案されたが、その工事半ばでなくなったため、仁和4年(888年)、第59代宇多天皇によって創建された寺である。この天皇が退位後に出家し、この寺で約30年の間(899〜931年)真言密教の修行を行った。その後、明治維新まで30代に渡り皇子皇孫が仁和寺の住職(門跡・もんぜき)に就任したため、「旧御室御所」といわれる。
平安時代から鎌倉時代にかけ大きく栄えた(70あまりの子院と広大な境内だったと言われているが、残念ながら創建当時の仁和寺がどんな物であったかの資料は残されていない。)が、応仁の乱によってその建物のことごとくを焼失した。その後、長い間仮御所での状態が続き、徳川家光の時代になって現在のような寺として再興される事になった。その再建の際、京都御所より移設した「常御殿」を中心に建物が配置されたが、1887年に焼失し、その後、他の建物と併せて再建された。現在、この広大な境内は御室御所跡として史跡に指定され、1994年にユネスコの世界文化遺産に登録されている。
寺の保有する文化財は春と秋に境内にある霊宝館で一般に公開される。
境内に植えられている「御室桜」は古来より、京洛の春の最後を飾る花として多くの人々に親しまれてきた。土壌の性質のため、樹高が2〜3メ−トル位にしかならず、1924年に名勝に指定されている。桜の品種は約200株のうち、約8割が白花・単弁の「有明」が占めており、その他、御車返し(みくるまがえし)、普賢象(ふげんぞう)、御衣黄(ぎょいこう)などがある。いずれもいわゆる「里桜」で開花時期が遅い。
境内には多くの紅葉も植わっており、秋には紅葉したもみじを楽しむことができる。
拝観時間=9:00〜16:30、御殿拝観料=500円、霊宝館=500円、入山料=300円。

御室桜はかなり圧巻だが、ここも人が多くて大変。入場料は300円なのでその時期に行ったのであれば入る価値は十分にあるだろう。開花時期は普通の桜の時期より2週間ほど遅いので注意が必要である。咲いていないとただの枯れ木状態である。境内には紅葉などもあるので紅葉の季節も綺麗でいいかもしれない。
駐車場はあるが、シーズンはいっぱいになるので公共の交通手段で行った方がいいかも。京福電車の御室駅で降りるとすぐ。

訪問時のツーレポ
 ● 2002年04月 らいらっく&島を愛す 京都お花見会 2002
 ● 2003年04月 らいらっく&島を愛す 京都お花見会 2003
大徳寺(だいとくじ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

大徳寺の三門
龍宝山と号し、臨済宗大徳寺派の大本山。大燈国師宗龍妙超が、鎌倉末期の正和4年(1315年)開創し、朝廷の深い信仰を受けて寺運は栄えた。室町時代には幕府からの庇護もなくなり、応仁の乱で消失したが、四十八世住職一休宗純が堺の商人の保護を受けて復興した。豊臣秀吉が織田信長の葬儀を行い、寺領を寄進、保護したので、諸大名も競って塔頭(子院)を建立し、江戸時代初期に現在の建物のほとんどが整えられた。
現在、三門・仏殿・法堂・経蔵(以上重要文化財)・方丈(国宝)など、禅宗の主要建物はすべて保存され、禅宗の典型的な伽藍配置を示している。唐門は聚楽第の遺構と伝えられており、豪奢な彫刻に飾られた桃山時代の特徴を表している。また、方丈は禅宗方丈建築の典型で、室内には狩野探幽の襖絵が飾られている。
千利休ゆかりの寺でもあり、千利休がそれまでできていた唐様山門の上に「金毛閣」を造って自分の木像を置いたために、秀吉の怒りに触れ切腹を命じられたという逸話も残っています。寺の内部に22の塔頭があるが、常時拝観が可能なのは、龍源院・瑞峯院・大仙院・高桐院の4院のみ。

建物の中には入ることはできないが、拝観は無料、自由なので建物だけをみるならお金はかからない。国宝や重要文化財に指定されている建物は一直線に配置され、みるとかなり圧巻である。拝観可能な塔頭はどこも拝観料400円取られてしまうので、一番興味のありそうなところだけでもみてもいいかもしれない。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年01月 島を愛す ユニバーサルスタジオジャパンへ
北野天満宮(きたのてんまんぐう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

北野天満宮本殿
頭のよくなるという牛の像
春の梅
京都から大宰府に左遷され亡くなった菅原道真を祀る神社で、日本三天神の一つ(福岡の太宰府天満宮、大阪の大阪天満宮か山口の防府天満宮)に上げられる。全国の天満宮の総本宮であるが、実際は太宰府の方が総本宮と見なされることが多い。学問に秀でていたことから学問の神として崇拝されている。
九州の太宰府へ流刑となった菅原道真が死んだ後、京都で落雷などの天災が続いた。この道真の霊を慰めるため、天暦元年(947年)創建された神社がこの北野天満宮である。永延元年(987年)に一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ、その後も皇室の保護を受けた。社殿は慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が寄進したもので、八棟(やつむね)造り(権現造り)といわれる檜皮葺きの屋根は日光東照宮にも継承されているものである。「天神さん」の愛称で親しまれるようになり、全国受験生の合格祈願で有名な神社として知られている。受験シーズンには多くの受験生でにぎわいを見せる。
境内には多くの牛の像が祀られているが、これは菅原道真が死んだのが丑の年、丑の日、丑の刻というところから奉納されたものである。この牛の頭をなでると頭が良くなると言われ、頭をなでる参拝者の姿が多く見られる。
「東風(こち)吹かば、匂ひおこせよ梅の花、主(あるじ)なしとて春な忘れそ」と詠んだように梅を愛した菅原道真を偲んで多くの梅が植えられている。梅花祭(菅原道真の命日にあたる2月25日)には境内約2000本の梅が咲き誇り、上七軒の芸妓・舞妓さんによる野点(のだて)が行われる。また、毎月25日には「天神さん」と呼ばれる縁日があり参道は多くの露店で埋め尽くされる。
境内自由、宝物館拝観時間=9:00〜16:00、拝観料=300円。

やはり梅のシーズンがもっとも有名で、多くの観光客でにぎわっている。できれば平日に行った方が観光客が少なくて落ち着いてみることができる。2月〜3月が見頃となっているが、事前に梅の開花状況を確認してから行った方がいいだろう。境内の他に梅苑が有料(500円)で公開されているが、ここは入らなくてもいいのではないかと思う。苑内の様子は楼門から一望することができるので、ここから見てからどうするか決めてよいだろう。梅苑に入らなくても境内には梅が咲いているしね。
境内の至る所に牛の像が奉納されていて多くの人が頭をなでている。このせいで牛の頭は色がはがれてしまっている。建物も時代を感じるもので、なかなかいい感じ。
駐車場は神社の前に無料の物があるので、休日やイベントの時以外は十分に止めることができると思われる。もちろんバイクであれば余裕で止められる。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年01月 島を愛す ユニバーサルスタジオジャパンへ
 ● 2004年03月 らいらっく 京都梅花見ツアー
千本釈迦堂・大報恩寺(せんぼんしゃかどう・だいほうおんじ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★☆☆☆

参道からみた本堂
境内にある巨大なおかめ贈像
奥州平泉の藤原秀衡の孫にあたる求法上人・義空によって安貞元年(1227年)に開創された寺である。義空は15歳で仏法を志求し、相州鎌倉に於いて修行し、19歳で比叡山に登り天台密教を会得した。10数年後に猫間中納言光隆の家卒・岸高から広大な土地の寄進を受け、この地に諸伽藍を建立したといわれている。かつては東側に千本通りがあったため、千本釈迦堂と言われているが、正式には大報恩寺という。
この本堂は創建当時のままといわれ、応仁の乱(1467〜1477年)の戦火をはじめ、数度に及ぶ大火からも焼失を免れ、京洛(旧京都市内)最古建造物として国宝に指定されている。屋根は檜皮葺き、純和風の寝殿造りで、釈迦如来を祀っている。
本堂、霊宝殿の拝観料500円。本堂の脇には各地のおかめ像が展示されている。
おかめの像の由来は以下の故事に乗っ取ったものである。
本堂を造営工事のとき棟梁の長井飛騨守高次が貴重な柱の寸法を誤って短く切ってしまった。進退極まり途方に暮れていた高次を見て、妻の「おかめ」が一計を案じ、柱を全部短く切って柱上に斗?(ますがた)を載せて長さを補う方法を進言し、見事に本堂を落成させることができた。しかし妻の入れ知恵で棟梁の任を果たしたということが世間に知れては夫の恥と考え、すべてを秘密にするため、上棟式の前日に自殺してしまった。高次は妻の心情にうたれ、上棟式の当日、御幣の先におかめの面を飾り、冥福を祈ったという。
境内自由、宝物館拝観時間=9:00〜17:00、拝観料=500円。

町中にある小さなお寺といった感じだが、本堂は時代を感じるたたずまいを見せており、なかなかいい雰囲気。内部の拝観はしなくてもなかなかいいかも知れない。境内には大きなおかめ像が建っており、その由来が書かれてあるが、なぜ自殺しなければならなかったのか良く理解できない。逆に秘密を守るために夫に殺されたという方がしっくり来るように思う。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年01月 島を愛す ユニバーサルスタジオジャパンへ
広隆寺(こうりゅうじ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★☆☆☆

境内の様子
推古天皇11年(603年)に建立された山城最古の寺院で、四天王寺、法隆寺等と共に聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。境内には上宮王院太子堂、講堂、桂宮院本堂がある。日本書紀によると、秦河勝が、聖徳太子から仏像を賜わり、これをご本尊として建立したとある。この仏像が「弥勒菩薩半枷思惟像」であり、国宝第1号に指定された。
古くは蜂岡寺と云い、秦寺、太秦寺、葛野寺、太秦寺などと言われていた。弘仁9年(818年)に火災にあったが、秦氏出身の道昌僧都によって再建、さらに久安6年(1150年)にも炎上し、永万元年に復興された。たびたび火災に遭ったにもかかわらず多くの仏像が保存されている。
霊宝殿には弥勒菩薩半跏思惟像、阿弥陀如来坐像、十二神将像等の国宝20点、重文48点の仏像が展示されている。
境内自由、桂宮院本堂・霊宝殿拝観時間=9:00〜17:00、拝観料=700円。

霊宝殿には国宝の弥勒菩薩半枷思惟像を含めた多くの像があり、充分見応えがある。桂宮院本堂は当初の夢殿形式を備えた建築だが、見ることが出来なかった。ちょっと値段が高いのが気になるが、一度は拝観しても充分だろう。特に仏像に興味がある人は必見かも知れない。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年01月 島を愛す ユニバーサルスタジオジャパンへ
二条城(にじょうじょう)
内容=★★★★☆ お得度=★★★☆☆

二の丸御殿
夜間拝観のライトアップされた桜
現在、天守閣はないが、城内にある二の丸御殿は桃山時代武家風書院造りの代表的なもので国宝に指定されている。この建物は車寄せ(くるまよせ)から遠侍(とおさむらい・城へ参上した大名の控えの間)、式台(しきだい・参上した大名が老中職と挨拶を交わしたところ)、大広間(おおひろま・将軍が諸大名と対面した部屋)、蘇鉄の間(そてつのま)、黒書院(くろしょいん)、白書院(しろしょいん・将軍の居間と寝室)の6棟からなっており、部屋数は33、800畳にも及ぶ。ここの大広間は1867年(慶応3年)10月に15代将軍慶喜が諸大名を集めて大政奉還を発表した歴史的な場所でもあり、廊下は歩くたびにウグイスの鳴き声のような音が聞こえる事からウグイス張りと言われている。
二条城は1603年(慶長8年)徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、1626年(寛永3年)3代将軍家光により大改修が行われ、現在のような体制が整えられた。本丸に伏見城の天守・殿舎が移築され、五層の天守閣がそびえていたが、1750年(寛延3年)落雷により焼失。その後、1788年(天明8年)の市内の火事により殿舎も焼失した。その後長い間本丸御殿は再建されなかったが、幕末に15代将軍慶喜の住居として、本丸御殿が建てられた。しかしこの建物も明治14年に撤去。現在の本丸御殿は、もと京都御所今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治27年に移築したものである。この旧桂宮御殿は1854年(嘉永7年)に内裏が炎上したときにも延焼を免れ、孝明天皇の仮皇居に使用された建物である。
大政奉還後、二条城は転々と所管が変わり、宮内省に所管されてからは5回以上の改修が行なわれ、離宮として利用された。その時代の改修により現在の景観が整えられた。その後、二の丸庭園は京都市の所轄となり、1939年(昭和14年)名勝に指定、1953年(昭和28年)に国の特別名勝の指定を受けている。
季節により夜の特別拝観などもあるが、このときは二の丸御殿に入れないので注意。春は桜、秋は紅葉を楽しむようにライトアップがなされている。
開館時間=8:45〜17:00(入場16:00まで)、二の丸御殿観覧時間=9:00〜16:00、入場料:600円。

城内にはテープによる声の説明や説明板がおいてあり、館内の様子がわかりやすくなっている。城内はかなり広いので見て回るのは少なくとも1時間くらいかかるだろう。ウグイス張りは人数が多いとよくわからないので人がいないときに行く方がベスト。かなり有名な場所なので修学旅行がやってきているなら極力一緒にならないように見て回った方が賢明である。(団体が歩いていると足音だけで何も聞こえない)
期間限定で東大手門、台所、本丸御殿の拝観ができるようになるが、二の丸御殿を見れば十分と言った感じ。時間とお金に余裕があるなら見てみればいいというレベル。
夜間拝観は桜、紅葉の時期に入れば十分見応えがある。(夜間拝観をやっているからちょうどいいというわけではないのでHPなどでチェックしておいた方が無難)夜間拝観は400円と若干安いが、二の丸御殿は唐門からしか見ることが出来ない。しかしそれでも十分に入る価値があると思う。ただ、みんな考えることは同じなので、観光客が多いのはしょうがない。といってもむちゃくちゃ混むわけではないけどね。

訪問時のツーレポ
 ● 2000年09月 京都・奈良 修学旅行コース
 ● 2003年04月 らいらっく&島を愛す お花見会 2003
 ● 2004年04月 らいらっく 京都お花見会 2004
妙心寺(みょうしんじ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★☆

境内の様子
臨済宗妙心寺派の本山で、山号を「正法山(しょうぼうざん)」という。健武4年(1337年)、関山慧玄(かんざんえげん)が花園上皇から離宮を賜り、禅刹に改めたことに由来する。第六世・拙堂宗朴の時に足利義満に弾圧され、寺地・寺産を没収され、寺号を龍雲寺に改めさせられた。その後、永享4年(1432年)に返され、細川勝元の庇護をうけて復興。さらに応仁の乱で焼失したが、桃山時代以降、豊臣氏、徳川氏諸大名らの帰依を受けて復興した。
広大な境内には敷石の参道が延び、勅使門三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶ禅宗の七堂伽藍の配置を示している。
明歴2年(1656年)に建てられた法堂には俗に鏡天井と言われる天井に狩野探幽の竜の絵が描かれている。この絵は探幽55歳の時に描かれたもので「八方にらみの竜」と言われる。龍の眼は円内の中心に在るというが、立つ位置、見る角度によって変化する。また、ここに展示されている黄鐘調鐘は徒然草に「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし・・・浄金剛院の鐘の声のまた黄鐘調なり」とあるその鐘で、もと浄金剛院(廃寺)にあったもの。記年銘のあるものとしては日本最古で、文武天皇2年(698年)の作である。損傷が激しいため現在は使用されておらず、現在寺で私用されているのはこの鐘の複製品。
山門の東側ある浴室は天正15年(1587年)に塔頭太嶺院(廃寺)の密宗和尚が、明智光秀の菩提を弔うために創建したものである。このため、この浴室は「明智風呂」と呼ばれる。明暦2年(1656年)に一度改築されている。一重切妻造本瓦葺で、浴室内中央に浴槽と洗場があり、その南側に休憩室が設けられている。浴槽は蒸風呂形式で、簀子板敷の隙間から蒸気を出し、正面に出入口と調節窓、他の三方は板壁となっている。
境内には47の塔頭があり、退蔵院(狩野元信の枯山水庭園)、桂春院(清浄、思惟、真如、侘の庭)、大心院(阿吽の庭)、東林院(沙羅双樹)の4院は常時公開されている。
境内自由、法堂・浴室拝観時間=9:10〜15:40、法堂・浴室拝観料=400円。開館時間の00、20、40分に係の人に案内されて見学できるようになっている。見学時間はだいたい30分くらい。

大きな建物が並んでいてなかなか迫力がある。ここに来たなら法堂の見学をしないと来た意味がないと言った感じだろう。竜は思った以上に大きく、見応えは十分である。自由に見学できないので時間を調整してくる必要がある。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年01月 島を愛す ユニバーサルスタジオジャパンへ
 ● 2003年06月 東海ツーリング
野宮神社(ののみやじんじゃ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

境内の様子
縁結び・子宝の神社として多くの参拝客が訪れて、特に修学旅行生や若い女性などの間で縁結びの神様として親しまれている。
もともとは天照大神を祭る神社で、伊勢神宮にお仕えする斎宮が伊勢へ行く前に身を清めたところ。斎宮とは、天皇が新たに即位するたびに、天照大神の御杖代(みつえしろ)として伊勢神宮に遣わされた未婚の内親王もしくは女王。この身を清める場所として建てられる野宮の場所は天皇の即位ごとに決められ、この場所が使用されたのは平安時代の初め、嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされている。源氏物語でも「賢木」の巻の舞台になっており、新斎宮の母である六条の御息所が光源氏との恋の思いを絶ち切ろうと娘とともに日々を送ったという場所。なお、この六条の御息所も斎宮として伊勢に赴いていた才色兼備の女性である。
入口に立っている鳥居は樹皮のついたままの鳥居で黒木の鳥居と言われている。
境内自由、拝観無料。

竹林の中の小さな神社という感じでなかなか設定はいいんだが、とにかく観光客が多い。出来れば人がいない時にやってきたいところ。しかしここが何故縁結び、子宝の神社なのかは謎。どう考えても斎宮は未婚なのだから恋愛とは関係ないように思うのだが・・・。しかも六条の御息所などは、悲恋そのものだしね。現在はその御利益を求めてくる人の影響か、境内は完全に縁結び一色に染まっている感じ。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年07月 オーストラリアメンバー メンバー再開-4
 ● 2006年11月 桃岩荘YH 京都大会2006
 ● 2011年03月 京都家族旅行
竜安寺(りょうあんじ)
内容=★★★★☆ お得度=★★★☆☆

有名な石庭
臨済宗妙心寺派の寺院で、特別名勝に指定されている枯山水の方丈石庭で有名。
もともと徳大寺家の別荘だったものを、宝徳2年(1450年)に室町幕府の管領・細川勝元が譲り受け、初代住職として義天玄承を招いて禅寺としたものである。その後に起きた応仁の乱により焼失するが、勝元の子の細川政元と4世住持・特芳禅傑によって長享2年(1488年)に再興された。また寛政9年(1797年)の火災で方丈、仏殿などを焼失したため、塔頭の1つである西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とし、現在に至っている。
石庭は、幅25メートル、奥行10メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を5か所(52323)に点在させたもので、「虎の子渡しの庭」という別称で呼ばれることもある。(子供が3匹で、ある子供だけを他の子供と一緒にしないように対岸に渡すという故事)また、思想、信条により様々な解釈がなされている。
鏡容池(きょうようち)は貴族庭園の様相を呈する回遊式庭園になっている。西側には非公開の西の庭があり、そこには開基細川勝元の木像を祀る細川廟などがある。
見学時間=8:00〜17:00(夏)、8:30〜16:30(冬)、見学料=500円。

寺の名前よりも石庭でかなり有名なところなんだが、実際行ってみると「せまっ!!小さっ!!」というのが最初の印象である。写真で見るともっと広いのかと思った。石庭の意味は諸説色々あるようだが、自分は特にそんな深い意味はなかったと思っている。どうもこじつけとしか思えない・・・。
人がいないときに行くと石庭の前でのんびりと過ごすのもいいんだが、人が多いとき、特に修学旅行が来ているときに行くと最悪。うるさいときに見ると特に、なんだこれだけかよ・・・という印象を受けてしまう。朝一に行ったときは30分ほど誰も来なかったのですごく良かった。人が来たところで退散。
方丈の周りの庭園は石庭以外の所もいい感じなのでのんびり見ていくのもお奨め。庭園の湖の周りが散策路になっていて、なかなかいい感じだ。紅葉の時期などは格別かもしれない。

訪問時のツーレポ
 ● 2006年11月 桃岩荘YH 京都大会2006
神泉苑(しんせんえん)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

入口からの眺め
平安京の造営と共に造営された庭園で、桓武天皇以後、歴代の天皇の行楽地となった。弘法大師空海らの雨乞いをした地としても知られる。常に清泉が湧き出すことからその名が付けられた。
平安京造営時に大内裏の南東に造られた庭園で、造営当時は東西南北2町×4町(220m×440m)の規模を誇った。延暦19年(800年)に、桓武天皇が行幸してから歴代天皇の行楽地となり、貴族らが舟遊びや詩歌管絃の宴を催したと言われる。しかしながら平安末期より荒廃、縮小が進み、現在の建物は慶長年間に再興されたもので、規模は当時の1/10程度で池の中央に善女竜王を祀る社が残っているだけである。
雨乞いや祈祷の地としても有名であり、平安初期には東寺の弘法大師・空海と西寺の守敏(しゅびん)が競って雨乞いをし、空海が勝利したという逸話も残っている。また貞観年間(870年頃)の疫病流行のときは、祇園社(八坂神社)の御霊会が鉾を全国の数にあたる66本造り厄払いをした。これが祇園祭の起源といわれる。
境内自由

当時の規模を考えると現在はかなりこぢんまりとしている感じ。歴史的には価値のあるところだが、観光地としての価値はかなり低いだろう。近くにいるときに休憩がてらくつろぐにはいいところかもしれない。

訪問時のツーレポ
 ● 2007年07月 島を愛す 京都チャリツアー Final
御髪神社(みかみじんじゃ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

神社の全景
嵐山トロッコ列車嵐山駅の近くにある理容・美容などの髪や化粧にたずさわる神を祀る日本で唯一の神社。
祭神は藤原鎌足の末孫、従五位・藤原采女亮政之公(ふじわらうねめのすけまさゆきこう)で髪を副神として納祭する髪塚が有る。藤原基晴卿が亀山天皇御代(1259〜1274年)に宮中の宝物係として仕えていたが、所管の宝物を紛失した責任をとり、諸国行脚し文永5年に下関に居を構えた。その三男の政之公が生計のために髪結職を始めたのが髪結業の始祖とされる。

池の畔にある小さな神社で、本堂もかなり小さい。絵馬には「理容師になりたい」というものが多いんだが、「はげを治して」というものも見かける。基本的に髪に関することならなんでもいいような感じがする。願い事があるのなら行ってみてもいいかもしれない。

訪問時のツーレポ
 ● 2007年07月 島を愛す 京都チャリツアー Final
天竜寺(てんりゅうじ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆

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京都五山(南禅寺・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の一つで、第1位に列せられている。現在の建物は明治以降の再建だが、庭園の一部は当時のまま残っており、紅葉の名所となっている。また古都京都の建物として世界遺産にも登録されている。
暦応2年(1239年)に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために大覚寺統の離宮だった亀山殿を寺に改めた。夢窓国師を開山として釈迦如来像を本尊とした禅寺。当時は嵐山全体が天竜寺の境内だったが、現在はその規模は縮小している。兵火により何度も建物は焼失し、そのたびに復興されてきた。
拝観時間=8:30〜17:30、拝観料=500円(本堂参拝などは別料金100円)

室町時代に創建したという長い歴史をもち、嵐山を代表する観光地となっているが、特に有名な何かがあるわけではない。逆に言うと他に観光地というものがないので観光地になっている感じがする。(建物は立派だけどね)ただし庭園は広くでなかなか見応えはある。

訪問時のツーレポ
 ● 2011年03月 京都家族旅行