広 島 県

史跡・建築物

阿伏兎観音 福禅寺 対潮楼 因島水軍城
厳島神社 入船山記念館 大聖院

阿伏兎観音(あぶとかんのん)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★☆

観音堂
けわしい海食崖が続く沼隈半島の南端、阿伏兎岬は奇勝として知られ、岬の突端の断崖に立つ臨済宗妙心派盤台寺観音堂は阿伏兎観音と呼ばれ、昔から海上交通の人々の信仰を多く集めてきた。
観音堂は寛和の頃(986年)花山法皇が、このあたり一体の海上を往来する船の航海安全を祈願して岬の岩上に十一面観音石像を安置したのが開基と伝わっている。後、毛利輝元が再興し、福山藩主の水野勝種によって、現在の盤台寺境内の形をほぼ整えた。盤台寺観音堂と客殿は、室町時代の建築様式で知られ、本尊の十一面観音は、子授け、安産、航海安全の祈願所として広く信仰を集めてきた。朱塗りの観音堂は、海からの眺望が絶品で、観音堂の眼下に広がる燧灘(ひうちなだ)の展望もすばらしい。境内、観音堂の拝観料100円で7時から17時まで見学できる。

もともとの目的である航海安全を祈願するのは分かるが、何で安産などの効力があるのかよく分からない。観音堂の中には安産祈願などの書かれたおっぱいの形をした絵馬?が奉納されている。こういうのは初めて見たのでなかなか面白かった。
観音堂からの眺めは確かにいいんだが、柵も何もないのがちょっと怖いところ。ただしここからの眺めはとてもいい。この建物をバックに写真を撮るのもいいだろう。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年01月 山陽ツーリング
福禅寺 対潮楼(ふくぜんじ たいちょうろう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★☆☆

対潮楼からの展望
海岸山千手院福禅寺は平安時代の天歴年間(950年頃)の創建と伝えられる真言宗の寺院。本堂やそれに隣接する客室の対潮楼は江戸時代の元禄年間(1690年代)に建立された。
天皇に関係あるお寺として朝鮮通信使の宿舎として利用されていたが、特に正徳元年(1711年)朝鮮通信使の正使、副使、従事官等は、ここからの景観を「日東第一形勝」と賞賛し、従事官李邦彦(イパンオン)は「日東第一形勝」と書に残した。また、延享5年(1748年)正使洪啓喜(ホンケヒ)は客殿を「対潮楼」と命名し、洪景海は「対潮楼」の書を残している。
境内は自由に出入りできるが、客室の対潮楼は200円の見学料が必要。客室の一部は一度解体修理されているが、ほとんどの部分が従来のものを使用している。客室内は小さな資料館という風になっており、朝鮮通信使に関する資料が展示されている。客室から仙酔島や弁天島を見ることができ、天気がいい日は四国まで見ることが出来る。

現在は客室の下に町が広がっているので(見えないように壁が設置されているが・・・)、当時とはちょっと眺めは違うだろうと思うが、たしかに眺めはなかなかいい。人が多い時にいったら「何じゃここは?」といった感じになるかも知れないので、人ができるだけ少ない時にぼーっと海を眺めるのをお薦めする。少し資料が展示されているが、展示品はそれほど見応えがない。見学料が200円と言うのはちょっと高いのではないかという感じはするが・・・。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年01月 山陽ツーリング
因島水軍城(いんのしますいぐんじょう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★☆☆☆

水軍城全景
因島の中心部にある村上水軍城。この水軍城は1983年12月1日に歴史家奈良本辰也氏監修のもと築城された全国でただ一つの水軍城。二の丸は展示室、隅櫓は展望台、本丸は水軍資料館として一般に公開されている。
村上水軍は、南北朝時代から室町・戦国時代を通して活躍した瀬戸内海の水軍である。海上の航路に望む島々や沿海の要所に砦を築き、「海賊衆」と呼ばれ、中世において瀬戸内海に大きな勢力を誇示するようになった。因島村上家は、中世瀬戸内海の中心にあって11万4千5百石を領有した海の大名である。瀬戸内海の制海を握り、幾多の合戦に参加したほか、遣明使の使節達の敬語なども行った。特に毛利氏と陶氏が戦った、弘治元年(1555年)の厳島合戦では毛利氏に加勢して勝利をもたらした。
拝観料は310円、拝観時間は8:30〜17:00。

水軍城という割には山の中にあるため、何が水軍城なのかよくわからない。ここから海の様子を見ることができるわけでもなさそうである。展示室には水軍に関するものが数多く展示されているが、興味がある人にしかおもしろくないだろう。展示室の入り口には兜や衣装や刀がおかれているので記念撮影をすることができる。
船の資料館には船の歴史が模型を使って紹介されているが、なぜかここに宇宙戦艦ヤマトの模型があるのが笑わせてくれる。時間があるのならやってきてもいいだろうという感じのところである。

訪問時のツーレポ
 ● 2002年01月 らいらっく 新年会
 ● 2003年01月 らいらっく 道後温泉こてこてツアー
厳島神社(いつくしまじんじゃ)
内容=★★★★★ お得度=★★★★★

厳島神社 本殿
厳島神社は、推古天皇(593年)時代の佐伯鞍職による創建と言われる。久安2年(1146年)に平清盛が安芸の守に任官し、平家一族の保護のもと隆盛を極めた。平家滅亡後も源氏一族の保護を受けたが、戦国時代に毛利一族の保護を受けるまでは荒廃の時代をうけた。
社殿の主要部分は平安時代に創建されたが、その後たびたび火災にあい、現在の本社本殿は元亀2年(1571年)、客神社は仁治2年(1241年)の建築である。近年も台風により社殿のほとんどの部分が崩壊するという被害を受けているが、そのたびに修復され現在に至っている。
拝観時間=6:30〜17:30頃(季節によって異なる)、拝観料=300円。

さすがに有名なところなので島に渡ったのであれば行かない手はないだろう。といっても建物の中を歩くだけなので何があるわけではないが・・・。一度行けば十分かもしれないけどね。神楽や能が奉納されるときがあるが、このときはとんでもない人混みとなるので大変。
見栄え的には満潮の時がおすすめ。潮が引いているときに行くと海の中に立つ厳島神社をではなく、ただの神社になってしまう。大潮の時の干潮時は大鳥居の先まで干上がってしまうので鳥居の下で写真を撮ることが可能になる。春先にはここで潮干狩りも行われているくらいである。始めていくなら満潮時、2回目はネタ的に干潮時と言ったところか?

訪問時のツーレポ
 ● 1995年04月 中国ツーリング
 ● 2000年05月 オーストラリア メンバー再会 Part-1
 ● 2002年05月 Dr.Kの転職祝い in 牛窓
 ● 2004年02月 慰安旅行 宮島へ
 ● 2008年09月 西日本ツーリング
 ● 2011年01月 山陽地方旅行-1
入船山記念館(いりふねやまきねんかん)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆

旧呉鎮守府司令長官官舎
金唐紙を貼られた洋館部の部屋
明治19年(1886年)に旧海軍の鎮守府が置かれることとなり、明治22年(1889年)に洋風木造2階建ての軍政会議所兼水交社が建てられ、明治25年からは長官官舎として利用された。明治38年(1905年)の芸予地震で一部が崩壊したが、その後再建され、戦後は占領軍の司令官官舎として10年間使用された。その後呉市が引き取り、平成3〜7年の調査、解体修復作業によって建築当初の姿に復元された。
建物は木造平屋建てで洋館部と和館部からなっており、洋館部の外観は英国風ハーフティンバー様式を取り入れ、屋根には天然スレートの魚鱗葺きが用いられている。また壁や天井には金唐紙が使用されている。占領軍の管轄時代に壁などはペンキで塗られたりしていたが、その後の調査で一部残っていた金唐紙や資料から現在のものが復元されている。また、記念館には他の場所から移築された旧火薬庫、旧呉海軍公廠塔時計、旧東郷邸や資料館などがある。
入館時間=9:00〜17:00、入館料=250円、休館日=火曜日。

司令長官官舎はなかなかいい感じの建物で、壁に使用されている金唐紙はかなり貴重なもの。和館部はかなり広いんだが、普通の和室なので、洋館部の方が見応えがある感じ。
先に資料館をのぞいてから行った方が内部構造についてわかりやすいと思われる。展示物は海軍に関係する物がほとんどで、興味がない人にはちょっとつらいかもしれない。

訪問時のツーレポ
 ● 2002年05月 Dr.Kの転職祝い in 牛窓
 ● 2011年01月 山陽地方旅行-1
大聖院(だいしょういん)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

寺の入口から
大同元年(806年)に弘法大師空海により開基された寺院で、宮島で最も長い歴史を持つ。真言宗御室派の大本山であり、厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧を統括してきた。
弥山の霊火堂には弘法大師が護摩を修法したときの残り火が1200年間も燃えつづけている。また豊臣秀吉がここで盛大な歌会を催し、祈不動堂を再建して念持仏の波切不動明王を奉納したことでも知られる。この波切不動明王をはじめ、十一面観音菩薩、不動明王坐像、三鬼大権現、七福神などが祀られている。
境内自由。

厳島神社から結構距離もあるせいか、観光客は少ない感じ。寺院の歴史はかなり長いが、境内を回るとあまりそんな感じには思えない。というのも怪しい石像とかがあちこちにあって怪しすぎる・・・。(^_^;; 正直なところ、ネタの寺院なのかと思ってしまう。お寺にアンパンマンやカッパの石像とかまであるしねえ。なんかお金儲けをしようとしている感じがぷんぷんしてなんかいやらしいという印象を受けた。

訪問時のツーレポ
 ● 2008年09月 西日本ツーリング