京都府 南部

史跡・建築物

平等院 石清水八幡宮 宇治神社
宇治上神社 興聖寺 一休寺

平等院(びょうどういん)
内容=★★★★★ お得度=★★★☆☆

平等院鳳凰堂全景
平安時代の関白・藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた建物をその子・藤原頼通が永承7年(1052年)に寺に改めたのが始まりである。翌年の天喜元年(1053年)に阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂として鳳凰堂が建立された。その周りの壁には11世紀の仏像群として唯一残っている雲中菩薩像(52体)が配置されている。なお、この建物は10円玉の絵柄としても使われている。
鳳凰堂は入母屋造りの中堂と宝形造りの楼閣および切妻造りの翼楼からなっている。屋根の上に鳳凰が飾られていることや、建物の形が鳳凰が羽を広げた姿に似ていると言うことから鳳凰堂と言われるようになった。
1995年頃から行われた発掘調査を元に平安当時の浄土庭園が再現され、鳳凰堂の周囲は州浜が整備され、平成12年(2000年)秋には鳳凰堂に平橋反橋が架橋された。また2001年から「鳳翔館」という展示館が地下に整備され、雲中菩薩像のうち半分(26体)はこの展示館に移されている。また、当時の建物の様子をCGで再現したビデオが上映されている。
以前鳳凰堂の内部は自由に見学のできたが、現在では別料金の時間制となっている。見学時間は20分で、最初の10分間で係員から鳳凰堂についての説明があり、残りの10分は自由見学となる。ただし、扉の絵は復元された物(壁の絵は本物)で、雲中菩薩像のうち半分(26体)は展示館に移設されている。
拝観時間=8:30〜17:30(夏)、9:00〜16:30(冬)、拝観料=600円、鳳凰堂拝観料=500円。

ここは京都で一番お気に入りの場所。できれば人の少ない朝一で行ってほしいところである。綺麗な写真を撮りたいのであれば早めに行かないと人があふれている写真になってしまうので注意。季節的にはやはり紅葉の季節が一番お奨めだが、桜の時期もなかなかいい。
鳳凰堂は見る価値はあるが、確かに料金はちょっと高い。しかし一度は行ってみてもいいかもしれない。もし入ったら説明をしてくれるガイドの人と話をするといろいろなことが聞けて楽しい。説明が終わったらすぐに出ることもできるが、せっかく入ったんだから時間ぎりぎりまで粘ろう。
ここを見学後は宇治川に架かる橋を渡って橘島(桜の季節がもっとも良い)や対岸まで行ってみるのもいいだろう。ちなみに冬に行くと河岸から平等院の建物がかなりはっきりと見ることができる。(その他の季節は木が生い茂ってあまり見えない)

訪問時のツーレポ
 ● 2001年04月 らいらっく 京都お花見会 2001
 ● 2002年11月 島を愛す 桃岩荘YH 京都大会 2002
 ● 2004年03月 らいらっく 京都梅花見ツアー
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

門の前から見た本殿と本殿全景
「やわたのはちまんさん」で親しまれる神社で、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、比淘蜷_(ひめおおかみ)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)を祀っている。男山の中腹に涌き出ている霊泉「石清水」からその名前が付けられたと言われる。明治元年に「男山八幡宮」と改名されたが「石清水」の社号が創建以来の由緒深いものであるため、大正7年に再び「石清水八幡宮」と改められた。
貞観元年(859年)、大和国大安寺の僧・行教が大菩薩の示現により豊前国・宇佐宮から男山の地に八幡神を祀ったのが始まりと言われている。貞観3年(861年)には京畿名神七社の一とされ、皇族からの手厚い保護を受けた。源氏をはじめ、とする武士からも、武の神、弓矢の神として尊崇され、また厄除けの神様としても信仰された。
社殿は創建以来造営6回、修理17回を数え、現在の社殿は嘉永11年(1634年)に徳川家光により造営された物で国の重要文化財に指定されている。前後二棟からなる「八幡造」の本殿に幣殿、舞殿、楼門が連なり、その周囲を180mに及ぶ回廊が巡らされている。また本殿には織田信長が寄進した「黄金の樋」が架かっている。
拝観時間=5:30〜18:00、拝観無料。

徒然草の第52段にこの神社のことが読まれている。以下自分なりの要約
仁和寺のあるお坊さんはまだ一度も石清水神社を参拝したことがなかった。一度は行ってみたいと思っていたが、ある日思い立って一人で参拝に出かけた。山の麓にある極樂寺、高良寺を拝んで「これでやっと念願が叶ったと」満足して帰って行った。
戻ってから寺の人に参拝の話をする。「やっと長年の願望が果たすことが出来た。聞きしにまさる尊いものだった。しかしたくさんの人が山の上に登っていっていたが、なにかあっていたのだろうか?行ってみたいとは思ったけれど、石清水神社を拝むことが目的だったので山までは登らなかった。」
これは「少しのことでも案内者は必要だ」ということを諭している話である。
拝観時間=6:30〜18:00、拝観無料。

建物は徳川家光が造営したせいか、東照宮のような印象を受ける。柱や欄間に施されている細工がそういう印象を与えているのだろう。なぜか門と建物が平行になっていないんだが、これはどうしてなのか不明。門に対して建物が若干左を向いている。
近くにある展望台からは京都タワーや伏見城などを一望できるようになっており、夜景も綺麗と思われる。双眼鏡が設置されているので覗いてみるのも一興?

訪問時のツーレポ
 ● 2002年11月 島を愛す 桃岩荘YH 京都大会 2002
 ● 2004年09月 らいらっく 梅さん結婚披露パーティー
宇治神社(うじじんじゃ)
内容=★☆☆☆☆ お得度=★★★★★

お手水のウサギ
明治時代までは宇治上神社と二者一体の関係にあった神社で「離宮社」、「離宮八幡」と言われていた。祭神は皇位を兄の大鷦鶺皇子(おおさざきのみこ)(仁徳天皇)に譲るために宇治川に入水した菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)とされている。鎌倉時代初期に建立されたと言われる本殿は国の重要文化財に指定されている。
平安から鎌倉時代には藤原氏の援助もあり、離宮祭という祭礼時には田楽なども奉納されたが、長い間廃れていた。平成10年より田楽が復興されている。
境内自由、拝観無料。

本殿は古い建物ではあるが、それほど見応えのある建物ではない。また境内はさわらびの道に隣接しており、出入りが自由なのであまり境内という印象を受けない。歴史はあるが、地元の小さな神社という感じであまり見る価値はない。

訪問時のツーレポ
 ● 2001年04月 らいらっく 京都お花見会 2001
 ● 2004年03月 らいらっく 京都梅花見ツアー
 ● 2011年12月 関西ツーリング
宇治上神社(うじがみじんじゃ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

平安時代に建てられた本殿
明治時代までは宇治神社と二者一体の関係にあった神社で「離宮上社(りくうかみしゃ)」と言われていた。祭神は、宇治神社と同じく皇子菟道稚郎子(うじのわけいらつこ)と父の応神天皇、兄の仁徳天皇とされている。
本殿は3つの社を内包する平安時代後期に建てられた日本最古の寝殿造り、またその前に建つ拝殿は鎌倉時代初期の寝殿造りの建物と言われ、国宝に指定されている。平成6年(1994年)に京都文化財の一つとして世界遺産に登録された。
境内には宇治七名水に数えられた「桐原水」がある。なお、七名水に数えられた名水のうち現在残っているのはこの桐原水だけである。
境内自由、拝観無料。

日本最古の寝殿造りということもあり、平等院と同様にかなり重要な歴史資料であるが、それほど有名ではないのは、近くに平等院があるせいかもしれない。拝観が無料なので、平等院を観光したついでに対岸に渡り見に来るような感じ。ある意味、観光客に汚染されていないので、のんびりと見て回るにはいいところかもしれない。季節的には紅葉の時期が一番いいだろう。

訪問時のツーレポ
 ● 2001年04月 らいらっく 京都お花見会 2001
 ● 2004年03月 らいらっく 京都梅花見ツアー
 ● 2011年12月 関西ツーリング
興聖寺(こうしょうじ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

参道からみるお寺
お寺から見る参道
嘉禎2年(1236年)、曹洞宗の開祖・道元により京都伏見深草の地に禅道場が開かれた。しかし応仁の乱などによる兵火により寺は荒廃し、廃絶。このことを惜しんだ淀城主・永井尚政が慶安元年(1648年)にこの地に再興したのが現在の興聖寺である。法堂は伏見城の遺構とも伝えられている。参道は、脇を流れる谷川のせせらぎが琴の音に似ていることから琴坂と呼ばれ、紅葉の名所として宇治12景の一つに数えられる。
参道入口には駐車場がないが、参道を登ったところに大きな駐車場がある。ただし参道があまり広くないので離合は難しいので注意。
境内自由、拝観無料。

建物自体はあまりいいものではないが(一応市の重要文化財に指定されているんだけどね)、紅葉の時期に寺へと続く琴坂の眺めはとてもすばらしい。参道の上からでもしたからでもいい感じの写真を撮ることが出来る。人のいない景色を写真に納めるには朝早くなどに行かないと無理だろう。休日でも朝早く行けばあまり人はいないみたいだ。それ以外の季節にはあまり魅力を感じないところ。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年03月 らいらっく 京都梅花見ツアー
 ● 2005年11月 丹後半島へ
一休寺(いっきゅうじ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★☆☆☆

方丈の庭園
本堂に続く参道
京都府京田辺市にある臨済宗大徳寺派の寺院で正式名称は酬恩庵(しゅうおんあん)である。一休禅師が再興し、晩年を過ごしたことから、一休寺の通称で知られている。
当時の元の名は妙勝寺で、鎌倉時代に臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が道場をここに建てたのが始まりである。その後戦火にあって廃れていたが、一休禅師が宗祖の遺風を慕って再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名したことにより復興した。大徳寺住職となった時もこの寺から通い、文明13年(1481年)11月21日に88歳で亡くなった。
拝観時間=9:00〜17:00 拝観料=500円(駐車場代=300円)
アニメの一休さんなどで有名であるが(実際は江戸時代の読み物読み物)、お寺自体はそれほど見所があるわけではない。もともと一休さんのとんちの話などはかなり創作が入っているからしょうがないんだが・・・。古いお寺の一つという感じで見学するレベルかもしれない。ただその割には拝観料が高いのは有名なせいだろうか?駐車場代まで別でとられるというのがちょっと腹立つ。

訪問時のツーレポ
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