大 分 県

史跡・建築物

羅漢寺 青の洞門 宇佐神宮
大友宗鱗の墓 杵築城 中津城

羅漢寺(らかんじ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★☆☆☆☆

阿弥陀堂
しゃもじが奉納された羅漢堂
標高250mの羅漢山の中腹に位置するお寺で、大化元年(645年)にインドの僧・法道仙人が、この岩山の洞窟で修業したことに始まると言われる。延文4年(1359年)に逆流建順(ぎゃくりゅうけんじゅん)という僧がこの地を訪れ、京都建仁寺の昭覚禅師とともにわずか一年で7百余体の石像物を建造した。現在はこのほかにも十六羅漢や千体地蔵など多くの像が安置されており、全国羅漢寺の総本山と言われている。また、さまざまな祈願願いことを書いたしゃもじ(ご飯をすくう→人を救う)が奉納されている。
昭和18年(1943年)に火災で焼失し、現在の本堂は昭和44年(1969年)に再建されたものである。仁王門、山門はこのときの火災から逃れ、当時のものが現存している。
旧参道から寺までは610mあり(リフト乗り場からだと約半分)、途中は石畳の遊歩道が整備されている。ただし、途中から断崖の階段になっている。リフトが整備されているので(羅漢寺まで630円)これを利用すると5分ほどで到着することができる。
阿弥陀堂は岸壁に張り付いて建設されており、拝観料は200円。細い廊下を通って阿弥陀堂の二階の展望台へ出ることができる。
拝観時間=9:00〜17:00。

参道は最初は緩やかなんだが、途中から山道といった感じになって結構大変。しかし足が悪くないのであれば登ってみてもいいだろう。登りでも10分くらいと言ったところか?旧参道から歩いてもあまりかからないし、参道はなかなかいい雰囲気なのでいいんだが、駐車場がないのがちょっと残念なところ。近くお店に止めていってもいいみたいだけどね。
境内からは耶馬渓の山々を望むことができて、秋の紅葉の季節はかなりいい眺めになりそうだ。羅漢像は他の羅漢寺よりも表情が豊かでなかなかおもしろい。ちなみに阿弥陀堂は200円なんだが、あまり入る価値はない。歩いて登るのであれば無料だし寄ってみてもいいが、リフト代まで考えるとちょっと見学するには高いように思う。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年07月 耶馬渓へ
青の洞門(あおのどうもん)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

洞門入口
ノミの跡の残る洞門
菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で全国に知られることになった名所で、禅海和尚により掘られた洞門が現在も一部残っている。
今から約250年程前、越後で生まれた禅海和尚は、仏道修行のため諸国遍歴の旅に出ていた。この地にやってきたときに山国川沿いの岸壁にかかる鎖渡しの桟道で道を踏み外して命を落とす人馬を目撃し、安全な道を造ることを決意した。こうしてノミと槌だけで30年の月日を費やし、342mに及ぶ墜道を完成させた。現在洞門は拡張されてしまっているが、一部に当時の洞門が残っており、今でもノミの跡を見ることが出来る。

小説が有名で名前が知られているところといった感じだが、近くに来たのなら寄ってみてもいいだろう。近くに駐車場があるのでここに車を止めてから歩いていけばすぐの所である。現在トンネルになっている両側の所に当時の洞門が残っている。なお、トンネル内は3分間隔の信号で一方通行となっているため、途中で止まるのは無理なので注意。
ふと思うのは、「人馬が通るだけならなんでここまで大きなものを作る必要があったのか?」ということだ。「もともと掘った穴はもっと小さくて、その跡に徐々に大きく広げられたんではないかなあ?」と思うのは自分だけだろうか?特に明かり取りの窓なんかは絶対に違和感がある。駐車場側にある洞門はまだそれっぽいんだけどね。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年07月 耶馬渓へ
宇佐神宮(うさじんぐう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★☆☆☆

本殿前の門
全国4万社余りある八幡宮の総本宮で応神天皇(八万神)を祀っている。
欽明天皇32年(571年)にこの地に八幡神が掲示したのが始まりといわれる。その後、神亀2年(725年)に八幡大神を祀る第一殿、天平元年(729年)に比売女大神(ひめおおかみ)を祀る第二殿、弘仁14年(823年)に神功皇后(息長帯姫命・おきながたらしひめのみこと)を祀る第三殿が建てられた。現在の建物は安政2年から文久元年(1855〜1861年)に建てられたもので、左から一之御殿、二之御殿、三之御殿と並ぶ八幡造(はちまんづくり)となっている。
八幡神は東大寺大仏建立を助言したことにより八幡大菩薩の称号を得たり、勅使和気清麻呂に神勅を授け、弓削道鏡の野望を退けたことでも有名である。
宝物館には孔雀文磬(くじゃくもんけい・国宝)、朝鮮鐘(ちょうせんしょう・重文)、白鞘入剣(しらさやにゅうけん・重文)などの宝物が展示されている。
境内拝観時間=6:00〜23:00、宝物殿拝観時間=9:00〜16:30、拝観料=300円。

八幡宮の総本山として八幡宮の頂点に立つが、有名さで言えば京都の石清水神社や鎌倉の鶴岡八幡宮の方が有名なのではないだろうか?これはやはり九州にあるせいだと思うが、もちろん九州では有名なところである。
広大な境内に建物が散在しているため、見て回るにはかなりの距離を歩かなければならない。ただし多くの建物が新しいので建物を見る目的で言えばあまり価値を感じない。国宝の本殿も150年の歴史しかないし。他の古い建物も改修されていたのか、もともとの朱色をしている。観光地と言うよりは普通にお参りの対象としての神社という印象である。
宝物館に展示されているものは国宝に指定されているものもあるが、あまりいい感じはしない。孔雀文磬について言えば歴史的な価値があるだけといったものだ。宝物館の規模としてもあまり大きなものではないので、ちょっと値段的に高いように思われる。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年11月 大分墓参り
大友宗鱗の墓(おおともそうりんのはか)
内容=★☆☆☆☆ お得度=★★★★★

大友宗鱗のお墓
大友家は鎌倉時代より続く名門であり、大友宗鱗は嘉禄3年(1530年)府内で生まれ、天分9年(1550年)に父である義鑑の跡を継いで大友第21代の当主となった。その後、豊前豊後、筑前筑後、肥前庇護の6ヶ国の守護となり、九州守護(九州探題)に任命されるに至り、最盛期を誇った。
しかし、天正6年(1578年)11月に島津家との耳川の合戦で大敗。これ以後、多くの家臣の離散により(大友宗鱗の好色と猜疑心が影響したと言われる)衰退の一途をたどる。天正14年(1986年)には本拠地を島津家に攻められ、滅亡の淵に追い詰められた。ここですでに勢力を拡大していた豊臣秀吉に援軍を求め、島津家の撃退に成功する。しかし翌年体調が悪化し、この世を去っている。
大友宗鱗の跡を継いだ吉統は秀吉の朝鮮出兵時に敵前逃亡したために秀吉の怒りを買いお家取り潰しの罪を受ける。その後、家門復興を狙って関ヶ原合戦で西軍に味方し豊後に上陸したが、東軍の黒田如水に打ち破られその試みは失敗に終わる。この後、常陸に流罪となり、鎌倉時代以来の名門大友家は滅亡した。
宗鱗はキリスト教に関心を持ち、当主になった翌年にはザビエルを府内に招き、キリスト教を保護している。天正6年(1578年)には洗礼を受け、ドン=フランシスコの洗礼名をもらっている。また転生10年(1582年)には他のキリシタン大名・大村、有馬と共に少年使節をローマに派遣した。
死後、神父達によって盛大に葬儀が行われ、キリスト教式の墓が建てられたが、秀吉のキリスト教禁止令により仏式に取り替えられた。その後墓は荒廃し、寛政年間に一度新築されたのが現在残っている墓である。そして昭和52年(1977年)に現在のキリスト教式の墓が建設された。

戦国時代の武将でマイナーに入る武将の墓の上、最近になって復興されたところのせいかかなり寂れている観光地。よっぽど興味がない限りは来なくていいだろう・・・。(^_^;;

訪問時のツーレポ
 ● 2007年03月 久しぶりの九州ツーリング
杵築城(きつきじょう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★☆☆☆

再建された天守
木付頼直が応永元年(1394年)に台山の山頂に築城したことに始まり、その後は城主がたびたび変わった。正保2年(1645年)に松平英親が平地部分に天守を移転し、約230年居城として機能したが、明治4年(1871年)の廃藩置県の際に城は撤去された。
現在は公園として整備されており、本丸、二の丸、三の丸の石垣や濠の一部が残り、昭和45年(1970年)年に資料館として天守の形をした建物がある。また、地元の石造物が数多く展示されている。
公園内無料

海の近くに建つ天守の景色はなかなかよいが、天守自体はただの鉄筋の建物なので中を見る価値はそれほどない。中は資料館になっているので興味があれば見てみてもいいレベル。天守からの眺めもなかなかよいので展望台として入る価値くらいか?( ̄~ ̄;) ウーン

訪問時のツーレポ
 ● 2013年02月 国東半島ツーリング
中津城(なかつじょう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★☆☆☆

天守と櫓
黒田孝高(如水)が中津16万石を拝領した際に築城し、その後の藩主となった細川忠興が完成させたお城。その後は中津藩の居城として明治を迎えた。中津川の河口に建てられており、堀には海水が引き込まれている。
天守はもともと存在したのかどうかも不明であり、現在の天守は昭和39年(1964年)に旧藩主奥平家が中心となり、市民らの寄付を合わせて建造された模擬天守である。中は奥平家の資料館となっている。
入館時間=9:00〜17:00、入館料=400円。

もともとあった天守を再現したというわけではなく、観光用の模擬天守として建てたということなのでちょっと他の城とは異質。お城は他の城をモデルに設計したようなのでどこの城に似ているというわけでもなく、典型的な天守といった感じ。なかは資料館となっているが、あまり見応えのあるものではない。これで400円というのはちょっと高い感じもするが、展望台の意味から考えるとこんなものなのかもしれない。近くに高い建物がないので眺めはとても良い。
大河ドラマの黒田勘兵衛の居城と言うことで2015〜2016年くらいはかなり賑わうかもしれない。

訪問時のツーレポ
 ● 2014年01月 中津観光