長 野 県 |
諏訪神社 秋宮 | 松本城 | 旧三笠ホテル |
諏訪神社 秋宮(すわじんじゃ あきのみや) | |
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★ | |
秋宮の神楽殿 |
諏訪大社の上社・本宮と下社・秋宮を併せて一社を形成しており、主祭神として建御名方命(たてみなかたのみこと)と八坂刀売命(やさかとめのみこと)を祀っている。建御名方命は信濃国の国造りをした後、日本国土の守護神としてこの地にとどまったと言われる。我が国最古の神社の一つであり、全国一万有余の諏訪神社の総本社である。 昔は狩猟の神・農業の神として祀られたが、その後国家鎮護の守護神として武士に支持された。鎌倉幕府は社領を寄進し、武田信玄は社殿を造営・祭祀を復興し、江戸幕府は社領を奉献した。また、大正5年には官幣大社に列せられた。 拝殿は安永6年(1777年)に諏訪の名匠・立川四郎富棟によって4年の歳月をかけて完成された。当時の流行で軒周りに多くの彫像が並び、拝殿内部にある竹に鶴はその代表作である。また神楽殿は天保6年(1835年)の二代立川和四郎富昌の作である。これらの建物は国の重要文化財に指定されている。 境内は自由に拝観することができるが、建物の内部へは入ることができない。 建物は趣のあるものでなかなか見事。森に囲まれた感じのところに立っているので明け方に行くと落ち着いた雰囲気で境内を見ることができる。拝殿などの拝観はできないのが残念だが、外から見るだけでも十分楽しめる。 訪問時のツーレポ ● 2003年09月 まったり〜な 富士川キャンプ |
松本城(まつもとじょう) | |
内容=★★★★☆ お得度=★★★★☆ | |
松本城天守 堀側と中庭側から |
戦国時代に石川数正・康長父子によって建てられたお城で、国宝に指定されている天守の一つである。日本に現存する天守は姫路城、彦根城、犬山城、松本城、弘前城、丸岡城、松江城、高梁城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の12城で、このうち国宝に指定されているのは姫路城、彦根城、犬山城、松本城の4城。 松本城は城と共に城下町も整備された平城で、本丸を中心に三重の水堀(内堀、外堀、総堀)をめぐらし、その外に町屋と寺社地帯を置いている。城内は約39.5万平方メートルの広さをもち、城の防御力を強化するため要所要所に門、塀、櫓、天守、御殿などの建造物を配置している。 天守は5重6階の大天守を中心に乾小天守を渡櫓で連結し、辰巳附櫓と月見櫓を複合した「連結複合式」と呼ばれる構成で、独立天守の多いその当時のものとしては珍しいものである。重の中間には大入母屋の屋根がなく、寄せ棟式屋根に納め小型の千鳥破風と唐破風をおいている。最上重に廻り縁はなく、また窓が極端に少なくなっている。その代わり、狭間といわれる弓や鉄砲を発射する穴が多く造られており、戦国時代に建てられた様相を示している。 松本城は戦国時代の永正元年(1504年)に築かれた深志城が始まりと言われる。その後秀吉の時代にここに封された石川数正、康長父子によって天守三棟(天守・乾小天守・渡櫓)をはじめ御殿、太鼓門、黒門、櫓、塀など主要建築物を築造し、城下町を整備した。天守の東に建てられている辰巳附櫓と月見櫓は、寛永年間の増築といわれる。城主は石川氏以後、小笠原氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏と変わり明治維新を迎えた。 明治維新後の明治5年(1872年)には天守が売却され、破却の運命にさらされたが、天守のみは市川量造らの尽力によって破却を免れた。しかしその後荒廃し、明治30年頃には崩壊寸前になっていた。明治34年に松本中学校校長・小林有也らにより設立された松本天守閣保存会により大修理が行われ、大正2年完成した。その後、昭和25年から5年の歳月をかけて改修が行われ、現在に至っている。またそのほかの建物も二の丸御殿が史跡公園として、黒門二の門と袖塀、太鼓門枡形が復元されている。 入場料=600円(博物館との共通券)、入場時間=8:30〜16:30 数少ない現存する本物のお城で、かなりの大きさを誇る天守閣である。見応えは十分と言った感じで、いろいろと戦闘用の所があることからも江戸時代ではなく、戦国時代末期に造られた城なので実用性を重視して造られたということが伺える。連結複合式の天守なので見た目の形もなかなか良い。写真的には堀の方から撮った方がいい感じ。 本物のお城にはよくあることなんだが、4階以上はかなり急な階段となっているため、人が多いと渋滞してしまう。観光シーズンに行くのはやめておいた方がいいかもしれない。最上階の6階からは四方の町並みを見下ろすことが出来てなかなか眺めがよい。二階には寄贈された多くの鉄砲が展示されているので、興味がある人には応えられないところかもしれない。 訪問時のツーレポ ● 2004年09月 まったり〜な 平湯キャンプツーリング |
旧三笠ホテル(きゅうみかさほてる) | |
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆ | |
建物の正面から 旧ロビー |
明治38年(1905年)に建築された準西洋風の建物で、「軽井沢の鹿鳴館」と言われたホテル。施工当時の建物の大部分が現在も残っていることから、国の重要文化財に指定されている。 1905年に建設され、翌年よりホテルの営業が開始された。その後は経営者は移り変わり、1972年に日本長期信用銀行に買収された後、現在地に移築(70m北上)され、1980年に軽井沢町へ寄贈された。現在は一般公開されており、ホテルのロビーや客室、エントランスなど、当時の面影を偲ぶことができる。 営業時間=9:00〜17:00、休館日=年末年始、入館料=400円。 軽井沢の観光地としては有名な建物で、避暑地として使われた当時のホテルの様子をうかがい知ることのできる建物。内部は資料館という感じではなく、当時のホテルの様子を再現した形となっているため、興味ない人にはただの古い建物と言った感じになるかもしれない。駐車場はあるんだが、ちょっと離れたところにあるので先に場所を把握しておいた方が無難。 訪問時のツーレポ ● 2014年03月 関東旅行 |