滋 賀 県 |
彦根城 | 石山寺 | 草津宿本陣 |
多賀大社 | - | - |
彦根城(ひこねじょう) | |
内容=★★★★☆ お得度=★★★★☆ | |
天守閣 |
連郭式平山城で、その遺構を多く残し、国宝に指定されているお城の一つ。日本に現存する天守は姫路城、彦根城、犬山城、松本城、弘前城、丸岡城、松江城、高梁城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の12城で、このうち国宝に指定されているのは姫路城、彦根城、犬山城、松本城の4城。姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられ、井伊直勝(直継)によって元和8年(1622年)に完成した。別名・金亀城の名は、彦根城築城前に彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたからと言われている。 徳川四天王の一人・井伊直政は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの軍功により近江国18万石を与えられた。新たな居城を計画したが、関ヶ原の合戦の傷が癒えないまま、慶長7年(1602年)死去。その子・直継が家督を継ぎ、遺臣らと共に現在の地に城を築くこことなった。小谷城、長浜城、佐和山城から移築を行い、慶長8年(1603年)から20年の歳月をかけて完成した。明治維新までの井伊家14代まで続いたが、明治時代に入りその歴史は終わる。廃城令により取り壊しの危機にさらされたが、大隈重信がこの名城の焼失を惜しみ、明治天皇に奏上したため取り壊しの危機を免れたと言われる。 国宝に指定されている天守やそれに伴う櫓、太鼓門および続櫓、天秤櫓、西の丸三重櫓および続櫓、二の丸佐和口多聞櫓、馬屋など、数多くの建物が残っている。また昭和62年(1987年)に御殿が復元され、彦根城博物館として藩政時代の調度品・武具などが展示されている。城の北側には玄宮園・楽々園(国指定名勝)という大名庭園が配されている。 入場時間=8:00〜17:30、彦根城域入場券=500円、博物館=250円、セット券=700円。ただし400年祭中は2倍。 姫路城と並び多くの遺構を今に残すお城で、規模は姫路城よりも小さいが、それでも十分に見応えのある城郭である。天守だけではなく、その他の建物も合わせてみておきたいところだ。天秤櫓などはおそらくここでしか見ることの出来ない構造だ。天守の階段は当時のままなのでかなりの傾斜となっているため、人が多いときには大渋滞となってしまう。全体の観光を合わせると1〜2時間は見ておいた方がいいかもしれない。 城の柱や手すりはさすがにもう丸くなってきており、階段も危険になったのか、プラスチックの床板でカバーされている。最上階はもちろん外に出られるようになっていないので網をされた窓から眺めるだけである。しかし城から琵琶湖を一望でき、なかなかいい眺め。 訪問時のツーレポ ● 2001年07月 まったり〜な 長良川キャンプ ● 2007年07月 まったり〜な 平湯キャンプ 2007 |
石山寺(いしやまでら) | |
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆ | |
寺の仁王門 境内から望む珪灰石と多宝塔 |
聖武天皇の勅願により建てられたお寺で、寺名は天然記念物の珪灰石の上に建てられたことに由来する。紫式部が石山詣で参った際に源氏物語の構想を練ったといわれ、本堂横には源氏の間と言われるところがもうけられている。 天平勝宝元年(749年)に聖武天皇の勅願により良辨僧正によって開基された寺院で、勅封の如意輪観世音菩薩(33年に一度または天皇即位の翌年に御開帳)が祀られている。石山寺の観音信仰は、平安時代顕著になり、源氏物語などの古典文学に石山詣が記されている。 本堂の内陣は平安時代中期の建築、外陣(礼堂)は慶長7年(1602年)に淀君の寄進により増築されたといわれている。堂内にある「源氏の間」には紫式部の像が置かれている。多宝塔は建久5年(1194年)に源頼朝に寄進されたもので、国内最古の多宝塔で国宝に指定されている。 この寺名の由来となった天然記念物の珪灰石は境内に鎮座している。また、花の寺としても有名で、一年を通して境内の花を楽しむ事ができる。 拝観時間=8:00〜16:30、拝観料=500円。 境内はかなり広く造られており、ゆっくりと散策するにはいいところと言った感じ。写真的には本堂とかよりも珪灰石の手前から多宝塔を望む角度が一番言いように思う。やはり梅や桜か紅葉の時期が一番いいと思われるが、自分が行ったのは春先だったので何とも言えない。ちょっと値段的には高い気もするが、まだ許せる範囲かな? 源氏の間といって紫式部が源氏物語を書いている像があるんだが、どう考えてもすごい違和感が・・・。どうせならもっと別の場所に造ればいいのになんで本堂の中に・・・。まあ参拝にやってきたのは事実なんだろうが、京都の人が参拝に来るのは普通の事なんだし、なんか強引に有名なことと結びつけているような気がする。 近くにおみやげ屋や食堂があるが、食事をするなら別の所に行った方が無難かもしれない。値段がかなり高い上、内容もしょぼしょぼと言った感じ。ネタ的にフナ寿司のお菓子を買って帰るのもなかなか面白いかも。 訪問時のツーレポ ● 2005年02月 関西ツーリング |
草津宿本陣(くさつじゅくほんじん) | |
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★☆☆ | |
本陣の表門 |
草津宿は江戸時代の主要街道の東海道と中山道の分岐・合流地点にあたり、東海道五十三次のうち五十二番目の宿場町である。この宿場町には2軒の本陣、2軒の脇本陣、70軒余の旅籠屋があり、中でもこの田中七左衛門本陣は建物をはじめ、敷地全体で当時の面影を今に伝えている。現在「草津宿本陣」として国の史跡に指定されている。 本陣屋敷は建坪486坪、部屋数は30室余、268畳半を有し、桟瓦葺き平屋妻入りの建物。表門の奥の左手に番所が置かれ、式台を持った玄関を入ると長い畳廊下が延びている。その両側には従者、最も奥には主客の宿泊する部屋が並んでいる。一番奥の間は上段の間と言われ、大名などが宿泊した部屋で、本陣で最も格式の高い部屋となっている。 開館時間=9:00〜17:00、休館日=月曜日・祝日の翌日、入館料=200円(草津宿本陣との共通券320円) 建物は一度解体修復されたようで、壁は新しく作り直されており、柱も所々新しいものが見られる。畳張りの廊下や多くの部屋がふすまだけで仕切られているのでなかなか圧巻。ただ資料類が余りないのでちょっと物足りなさを感じる。交流館とのセットで考えればまだ許せる所なんだが・・・。 宿帳には浅野内匠頭や吉良上野介などの名前が残っているということで、その部分が展示されているが、他には有名人は泊まっていないのか?という感じもする。二人は忠臣蔵で有名ではあるが、大名のレベルとしては下の方だからねえ。 訪問時のツーレポ ● 2005年02月 関西ツーリング |
多賀大社(たがだいしゃ) | |
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★ | |
多賀神社の鳥居 本殿を望む |
国生み・神生みの夫婦神・イザナギ(伊邪那岐・伊弉諾)・イザナミ(伊邪那美・伊弉冉)を祀った神社で、延命長寿・縁結びの神として古くから全国的な信仰を集めている。 古事記には「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」と書かれており、淡海は琵琶湖という解釈からこの地が日本国の生々発展の源となったと言われる。「お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七たび 熊野へ三度 お多賀様へは月詣り」と古くから謡われているが、これは伊勢神宮の天照大神の両親の神社だからと言われる。 東大寺復興の命を受けた重源上人が、この大事業成就のため多賀大社に延命を祈ってその願いが叶ったと言われる延命石や、豊臣秀吉に寄進された太閤橋などがある。 境内自由。 イザナギ、イザナミを祀った神社と言うだけあってその歴史は古そうだが、実際の所どこまでが本当なのかはよく分からないような気も・・・。(^_^;; ただし戦国時代以降は時の権力者の保護を受けていたようで、その規模はなかなかのものである。 社殿などは何度も火災に遭ったせいでそんなに古いものではないのがちょっと残念。観光の場所と言うよりは普通にお参りのために行くような所だ。 訪問時のツーレポ ● 2007年07月 まったり〜な 平湯キャンプ 2007 |