東 京 都

史跡・建築物

清水観音堂 弁天堂 浅草寺
浅草神社 江戸城跡 -



清水観音堂(しみずかんのんどう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

観音堂を見上げる
上野公園内にある天海僧正により創建された観音堂で、重要文化財に指定されている。また、子宝授けとして信仰を集めている。
寛永8年(1631年)に東叡山寛永寺を創建した天海僧正により京都の清水寺を模して創建された。清水寺を倣って舞台造りとなっている。本尊は千手観音座像で、京都の清水寺より移送されたものである。
脇本尊の子育観音は、子宝授けで信仰を集めており、願い事が成就した際には身代わりの人形を奉納する。毎年9月25日には奉納された人形を供養する行事がある。

建物は重要文化財に指定されているんだが、ほんとに清水寺の縮小版みたいで、オリジナルを見ているとあまり感動はない。公園内よりも池の方から見た方が眺めはよい。建物などよりも子宝の信仰としてお参りするところだろう。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年12月 まったり〜な 関東忘年会
 ● 2007年07月 島を愛す 東京こてこてツアー
弁天堂(べんてんどう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

弁天堂
不忍池の中央に浮かぶ島に建つ祠堂で弁財天が祀られている。
寛永2年(1625年)に徳川幕府三代将軍家光の命により天海僧正によって東叡山寛永寺が建立された。このときに不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島(ちくぶしま)として中之島(弁天島)を築いた。その後、寛永年間に竹生島の宝厳寺の弁財天を勧請して弁天堂が建立された。しかし昭和20年(1945年)の戦災で焼失し、現在の建物は昭和33年(1958年)に再建されたものである。

建物は再建なので特に見るべき所ではないが、観光として有名な感じ。上野の有名な観光地の一つとして行くようなところである。蓮の季節には周りの不忍池に蓮の花が咲き乱れるのでかなりいい感じになる。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年12月 まったり〜な 関東忘年会
 ● 2007年07月 島を愛す 東京こてこてツアー
浅草寺(せんそうじ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

浅草寺の雷門
参夜間拝観でライトアップ
推古天皇時代に創建されたと言われる寺院で、「浅草の観音様」と庶民に親しまれている。浅草のシンボルになっている雷門から参道の仲見世は特に有名。夜間は五重塔や雷門、本堂がライトアップされている。
推古天皇36年(628年)、宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟の網に1体の仏像がかかった。この地の豪族の土師真中知(はじのまなかとも)はそれが尊い観音像であることを知り、自宅に祀ったのがこの寺の始まりといわれる。大化元年(645年)、勝海上人がこの地に観音堂を建立し、本尊を秘仏と定めた。平安時代の始め、慈覚大師円仁により伽藍の整備が行われ、円仁は中興の祖と呼ばれる。その後も鎌倉、室町、江戸の幕府から手厚い保護を受け、隆盛を誇った。たびたびの火災により焼失と再建を繰り返し、現在の建物のほとんどが戦後に再建されたものである。
942年(天慶5年)に浅草寺の総門が建てられたが、火災により何度も焼失と再建を繰り返された。1635年(寛永12年)に徳川家光によって右に風神、左に雷神を配する風雷神門が再建され、通称「雷門」と呼ばれた。1865年(慶応元年)に焼失して以来、長い間再建されなかったが、昭和35年(1960年)に松下幸之助氏の寄進で昔の姿に再建された。
雷門から宝蔵門に到る参道は仲見世呼ばれ、多くのお店が軒を連ねており、雷おこしや人形焼きをはじめとする多くのお土産が売られている。また外国人が多いせいか外国人受けしそうなガラの浴衣なども多く扱っている。
拝観時間=6:00〜17:00。境内自由

都内でも有数の有名な観光地で多くの参拝客でにぎわっている。早い時間にはほとんど人通りもなく、ゆったりとしているが、仲見世が開く時間くらいからかなり人が多くなってくる。ピークの時などは参道を歩くのも大変といった感じ。
建物は戦後に再建された鉄筋なので歴史はないが、雷門などで写真を撮ると「いかにも浅草にやってきた」という感じになる。このため雷門の前は写真を撮る人でごった返しているが、イベントの時以外はタイミングによっては空いている場合も。他にも宝蔵門の裏にある巨大なわらじのところでも写真を撮ったりすることが多いようだ。
仲見世通りやその裏手、付近には多くのおみやげ屋がひしめいており、人形焼き、雷おこしが有名。値段はそれなりにするが、買って帰る人がけっこう多い。ばら売りをしているところもあるのでせっかく来たのならネタ的に食べてみてもいいかもしれない。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年12月 まったり〜な 関東忘年会
 ● 2007年07月 島を愛す 東京こてこてツアー
浅草神社(あさくさじんじゃ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

境内の様子
浅草寺の本尊を発見した3人を祭神とする神社で、東京の初夏を飾る三社祭で有名。
推古天皇36年(628年)、宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟の網に1体の仏像がかかった。この地の豪族の土師真中知(はじのまなかとも)はそれが尊い観音像であることを知り、自宅に祀ったのが浅草寺の始まりといわれる。土師真中知の死後、その子供が観世音の夢告を受け、三社権現と称して3人を神として祀ったのがこの神社の始まりとされているが、実際は鎌倉初期にはやった権現思想により創建されたというのが通説となっている。明治の神仏分離令により浅草寺から分かれ、明治元年(1868年)に三社明神社と改名され、明治6年(1873年)に現在の名に改名された。
社殿は慶安2年(1649年)に徳川幕府3代将軍家光により、建立寄進されたもので重要文化財に指定されている。本殿、幣殿、拝殿からなっており、幣殿と拝殿が渡り廊下でつながれている権現造り。
神社の祭り三社祭は神田祭(神田明神)、 山王祭(日枝神社)と共に江戸三大祭りに数えられ、江戸随一の荒祭りと言われている。祭りは14世紀初頭に始まったと言われる。現在は5月17、18日に近い金曜日に神輿神霊入れ、土曜に氏子各町連合渡御、第三日曜日に本社神輿の各町渡御を行われている。
境内自由。

浅草寺や三社祭は有名だが、浅草神社というのが別にあるとは正直知らなかった。三社祭も浅草寺の祭りと思っていたしね。といっても江戸時代までは一緒だったんだからある意味あっていると思うけど。祭りの時は別として、通常は参拝している人は少ない。ほとんどの人が浅草寺を参って帰っていくだけで、浅草神社には見向きもしていないような感じがする。
建物は350年の歴史があるが、改修が行われているせいかかなりきれいな状態に保たれている。このため、新しい建物かと思ってしまうくらいである。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年12月 まったり〜な 関東忘年会
江戸城跡(えどじょうあと)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

江戸城天守台からの展望
天守台の大きな石
徳川家康により築城された城で、江戸幕府将軍・徳川15代の居城。明治維新後は城跡の一部は天皇の住む皇居として利用されている。
長禄元年(1457年)に太田道灌により築城された城はその後北条氏の配下となった。天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原攻めにより早雲以来続いた北条氏は滅び、関東6州(武蔵・相模・伊豆・上野・下総・上総)は徳川家康の配下となり、同年の8月1日に徳川家康は駿府から江戸城に居城を移した。当時の城は荒廃しており、城の周辺も湿原となっており、とても城下町に適した土地とは言えなかったが、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われた。
天守は家光の時代の寛永15年(1638年)に完成し、5層6階の威容を誇ったが、明暦3年(1657年)の明暦の大火(振り袖火事)により消失。その後再建されることもなく明治維新を迎えることとなった。
明治時代に入り、江戸城の西の丸は皇居として利用されていたが、火事により焼失。その後、関東大震災や第2次世界大戦の戦災により多くの建物は焼失した。江戸城に残る(改修など含めて)櫓は伏見櫓、桜田二重櫓、富士見櫓の3つのみである。
現在、江戸城跡の皇居東御苑は一般開放されている。(9:00〜16:30)皇居エリアは平日に限り一日2回の一般見学が可能だが、事前予約の必要あり。

エリアがかなり広いため、東京都心付近にあるがかなり静かな印象を受ける。建物がほとんど無いため広大な公園という印象だ。散策がてら歩いてみるのもいいかもしれない。
天守台は他の城に見るような石垣ではなく、巨大な石を組み合わせて作っているのが当時の幕府の権威を現している感じ。他に番所や櫓などがあるが外から眺めるだけなのでちょっと残念。当時の城の規模や歴史を振り返りながら行くような所かもしれない。

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