静 岡 県

史跡・建築物

新居関 新居関 紀伊国屋旅館 法多山尊永寺

新居関(あらいのせき)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆

新居関の正面の門
新居関・面番所
新居関・面番所内の人形
この関所は正式には今切(いまぎれ)関所といい、慶長5年(1600年)に設置された関所と言われている。昭和30年(1955年)に国の特別史跡に指定され、昭和46年(1971年)に面番所ほかの解体修理業を行い、現在に至っている。全国で唯一の現存する関所建物である。
創設当初は浜名湖の今切口に近い現在「大元屋敷」と呼ばれる場所にあったが、地震や津波などの災害で移転され、現在の場所に移った。江戸時代には現存する面番所(めんばんしょ)、書院、下改勝手、足軽勝手の他、船会所、女改長屋、土蔵などがあった。面番所などの建物は嘉永7年(1854年)の大地震で大破し、安政2年(1855年)に建て替えられたものである。明治2年(1869年)の関所廃止令によって他のすべての関所は取り壊されたが、この建物は小学校、役所として使われたことにより取り壊しを免れた。
構内には渡船場があったが、明治以降の埋め立てでその景観は失われた。平成14年(2002年)に湖岸と渡船場の一部が復元され、現在もそのほかの建物の再現の工事が進めされている。(平成20年に完了予定)
隣接する史料館には新居関所に関する歴史資料や江戸時代の交通資料が収集・展示されている。一階は主要街道と関所の分布、新居関所の変換と役割が、二階は旅の様子を描いた浮世絵版画や各地の名物、暮らしの道具類が展示されている。
開館時間=9:00〜16:30、休館日=月曜日、入館料=300円(紀伊国屋共通入館券=400円)

現存する唯一の関所建物というように、他の関所跡は碑がたっているだけだったり、復元された建物があるだけなんだが、この建物もかなりの部分が新たな建築材料で建てられているので復元に近いものがあるように思う。一部に従来の建物の資材を使って入るんだけどね。以前はただ建物と史料館があるだけだったが、最近はいろいろと整備されてきている。
写真の構図的には関所の門の前に立って国道の反対側から取るのがいいんだが、国道が目の前を通っているのでなかなか難しい。写真で見るといい感じなんだが、よくあるように「え?こんなところにあるの?」という印象を受ける。
金額的には300円とそれほど高くないので入ってみても問題ないレベル。写真を撮るだけなら中に入らなくても国道から撮ることができる。休みだけかもしれないが、ボランティアと思われる係員が建物の案内をしてくれるので、時間があるようなら話を聞いた方がいいだろう。(20分くらいかかると思われる)

訪問時のツーレポ
 ● 2004年03月 まったり〜な お花見会
新居宿・紀伊国屋旅館(あらいじゅく・きのくにやりょかん)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★☆☆

紀伊国屋の入口
江戸時代に紀州藩の御用宿として旅館経営を営んだ建物で、明治時代の大火により焼失し、その後立て替えられた。江戸時代後期の旅籠屋の様式を残していたことから街道文化を伝える施設として活用するため、東海道400年祭に会わせて再生整備工事を実施され、資料館として公開されている。
この宿の主は紀州の出身で、江戸時代の初めに新居にやってきて茶屋を営んだといわれている。始めは小野田性を名乗り、後に疋田弥左衛門に改めた。旅籠屋としての創業時期は不明だが、元禄16年(1703年)に徳川御三家の一つ紀州藩の御用宿となり、正徳6年(1716年)に「紀伊国屋」を名乗ることを許された。その後享保17年(1732年)に帯刀御免、延享2年(1745年)に五人扶持を賜り、江戸時代後期には敷地内に紀州藩の七里飛脚の役所があった。明治7年(1874年)の大火により焼失し、建て替えられ一部増築もされたが、昭和25年(1950年)頃に廃業した。
開館時間=9:00〜16:30、休館日=月曜日、入館料=200円(紀伊国屋共通入館券=400円)

江戸時代の雰囲気を残す建物でそれはそれでいいんだが、それほど資料があるわけではないのであまり見応えがない。まあ200円だからねえ。ここもボランティアと思われる係員が館内を案内してくれる。一番おもしろいと思ったのは、当時宿の夕食に出されていた鰻の蒲焼きのサンプルである。庭には水琴窟などもあるが、珍しいものでもないからなあ・・・。ある意味見学するより泊まってみるといい雰囲気かもと言った感じである。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年03月 まったり〜な お花見会
法多山尊永寺(はったさんそんえいじ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

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遠州三山のひとつに数えられる真言宗の寺で「はったさん」とも呼ばれている。聖武天皇の命により行基上人が開山した。桜の名所としても有名で、境内には約1000本の桜が植えられている。
神亀2年(725年)、聖武天皇の命により行基上人が正観世音菩薩を安置したのが始まりと言われる。今川氏、豊臣氏、徳川氏などの武将から保護を受け、江戸時代には一山十二坊の法燈が栄えた。本堂は江戸時代後期に焼失してしまったが、昭和58年(1983年)に再建された。本尊・正観世音菩薩は厄除観音として知られている。
境内で売られている「厄除だんご」は有名で、お土産としても売られている。(お茶付き2串=200円、土産用=500円〜)

仁王門から続く参道は杉並木となっていて、なかなかいい雰囲気。山の中にあることもあって静かな雰囲気を楽しむことが出来る。(もちろん人がいない場合に限るが・・・。)しかし本堂やその周りはかなり整備されていてちょっと違和感を受ける。かなり儲かっていますねえという印象を受けるのは自分だけだろうか?桜の時期には行っていないので何ともいえないが、かなり有名なところみたいなので見応えはあるだろう。
厄除だんごは特に変わったものではないが、普通においしいのでまあいいだろう。200円というのが高いと思うか安いと思うかはその人の感覚なので何ともいえないが、まあ問題ないレベルと考える。

訪問時のツーレポ
 ● 2002年10月 道祖神 海外ツーリングの宴 2002