熊 本 県

史跡・建築物

通潤橋 熊本城 -

通潤橋(つうじゅんきょう)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

通潤橋全景
矢部町にある石造りの橋で、周りを谷に囲まれて水源の乏しかった白糸台地に水を引くために作られた。橋の中に水を流すための導水管(石製)が通っており、逆サイホンの原理を利用して対岸に水を送る構造となっている。
嘉永5年(1852年)12月に矢部の総庄屋・布田保之助(ふたやすのすけ)により起案され、石工・丈八(じょうはち)達の協力の下、1年8ヶ月の歳月をかけ、安政元年(1984年)7月に完成した。この水道橋の完成により、水不足に悩まされていたシラス台地に水を引く事ができるようになった。
橋の途中から放水されている姿で有名であるが、これは元々は水管の掃除のの為に行われていたものである。土・日・祝祭日の正午に15分間の放水が行われるが、田植えや水不足の時期は放水は中止される。それ以外に1回5,000円での有料放水がある。

自分が行った時は残念ながら放水されていなかったのでその姿を見る事ができなかったが、やはり放水シーンをみるべきだろう。正午以外にも観光ツアーなどでこの放水の契約そしていることがあるので、ちょうどタイミングが合えば時間以外でも見る事ができるようだ。
橋の上をわたって対岸へ歩いていくこともできるが、写真を撮るならやはり橋の下からがベスト。ここから10分くらい歩いたところに五老ヶ滝といわれる滝がある。高さは50m位の滝で、結構迫力あるものだった。傾斜のきつい階段を下りたりしなければならないが、見てみる価値はあるかもしれない。

訪問時のツーレポ
 ● 2000年03月 高千穂峡を訪ねて
熊本城(くまもとじょう)
内容=★★★★☆ お得度=★★★☆☆

2様の石垣と天守閣
加藤清正が築いた美しい曲線の石垣で有名なお城で別名・銀杏城。明治10年におこった西南戦争の時に建物の大半が焼失してしまい、残った大きな建物は宇土櫓くらいで、現在の天守閣は昭和35年(1935年)になって再建された鉄筋のお城である。
戦国時代の初期には、茶臼山と呼ばれるその一角に隈本城が建てられていた。豊臣秀吉の九州平定のあと、この城は佐々成政に与えられたが、統治に失敗した責任を取らされ切腹。天正16年(1588年)にその後を継いで加藤清正が入城した。慶長6年(1601年)に肥後半国の居城として着工し、7年の歳月をかけて完成。周囲5.3km、広さ約98万m2、その中に大小天守、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えで、美しい曲線で築かれた石垣や自然の地形を利用した独特の築城技術が生かされている。
加藤家の治世は徳川家の忌避にふれ、2代44年で終わり、その後、豊前小倉より細川忠利が封ぜられ、明治4年(1871年)まで11代239年の間細川家の居城として続いた。明治10年(1877年)の西南の役の際、薩摩軍を相手に50日余も籠城し、難攻不落の城として真価を発揮したが、薩摩軍総攻撃の2日前、原因不明の出火により天守閣など主要な建物を焼失してしまった。この出火は薩摩軍の密偵により放火されたという説、政府軍が背水の陣をひくために自ら火を付けたという説などあるが、真相は分かっていない。
拝観時間=8:30〜18:00(4〜10月)、8:30〜17:00(11〜3月)夏休み期間は延長、拝観料=500円。

天守閣はありがちな鉄筋で、中は資料館になっている。ただ遠目には本物の城っぽく見えるので写真的には十分だろう。この城は天守閣を見ると言うよりも、石垣を見に行く所という印象がする。またもともと他の天守閣だったと言われる宇土櫓だけでも見応えはある。入園料は500円となっているが、その値段で天守閣や宇土櫓、本丸御殿などにも入れるので十分と言ったところだろう。山頂にある天守閣なので眼下に熊本の町を一望できる。
城内を全部見ていくと2時間は少なくとも必要。春は桜が綺麗だろう。休日にはいろいろな格好にコスプレした人たちが徘徊していて一緒に写真を撮ることも可能。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年02月 まったり〜な ヤス結婚式
 ● 2012年12月 熊本旅行