長 崎 県

史跡・建築物

ガスパル様 軍艦島 平和公園
浦上天主堂 爆心地公園 大浦天主堂
長崎眼鏡橋 - -



ガスパル様(がすぱるさま)
内容=★☆☆☆☆ お得度=★★★★★

シンボルの十字架
生月で始めてキリスト教を布教したガスパル・ヴィレラ神父がこの地に大きな十字架を建て、信者達の墓とした地。生月のキリシタンにとっては最高の聖地となっている。1992年にこの地に現在の十字架が立てられ、クルスの丘公園として整備された。

道路脇にいきなり案内が出ているので何かと思ってしまう。(^_^;; 歴史的価値のある地ではあるが、観光地としてはあまり見るべきところはない。

訪問時のツーレポ
 ● 2009年05月 まったり〜な 長崎ツーリング
軍艦島・端島(ぐんかんじま・はしま)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

海の向こうに見える軍艦島
長崎県長崎市(旧高島町)にある島で、かつては海底炭鉱によって栄えたが閉山とともに島民が島を離れ現在は無人島となった。その外観から軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られる。もともと小さな瀬だったが、石炭の採掘が本格的になった頃から埋め立てが始まり、南北160m、東西480m、周囲1.2kmの島となった。島全体が護岸堤防で覆われ、日本発の鉄筋コンクリート住宅が建ち並んでいる。
明治時代より石炭の採掘が始まり、大正〜昭和初期にかけて最盛期を迎えた。その当時、約5000人の人々が暮らしており、世界一の人口密度となっていた。島内には炭坑施設の他、小学校、店舗、病院、寺院、映画館、パチンコ屋、社交場などがあり、島内のみで都市機能を有していた。しかし1960年以降、主要エネルギーが石炭から石油に移行したことにより衰退し、1974年(昭和49年)の閉山を機に住民が島外へと移住し無人島となった。
現在島の一部に遊歩道が整備され、島内観光を行うツアーがある。しかし天候により中止の可能性も高く、今後も継続されていくか不明な点がある。

テレビなどの影響か、軍艦島と言うことで全国的にも有名になってきている。軍艦島という名前は付いているが、見えないこともないという程度。(^_^;; ネタ的に訪問してみたい気もするんだが、値段が高いことがネックだ。

訪問時のツーレポ
 ● 2009年05月 まったり〜な 長崎ツーリング
平和公園(へいわこうえん)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

平和の泉と平和祈念像
昭和20年(1945年)8月9日に投下された原子爆弾落下中心地(爆心地)を中心に整備された総合公園で、原爆の驚異と世界平和を祈って設けられた。
平和公園の敷地は願いのゾーン、祈りのゾーン、学びのゾーン、スポーツのゾーン、、広場のゾーンと広範囲に渡るが、通常は平和祈念像から原子爆弾落下中心地付近のことを指す。
中央には北村西望(きたむらせいぼう)氏の平和祈念像がある。この像は神の愛と仏の慈悲を象徴しており、高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を意味し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。毎年8月9日の長崎原爆の日にはこの像の前で原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開催される。付近には平和の泉、世界各国から贈られた平和を象徴するモニュメント、長崎刑務所浦上刑務支所の基礎部分の発掘遺構などがある。

かなり広いエリアに公園が整備されており、その中央にシンボルの平和祈念像が設置されている。以前はかなり痛んでいたんだが、最近整備されたので綺麗な空色の像がよみがえっていた。広島と同じく、長崎に来たのであれば一度はここに来ておいた方が良いかも知れない。資料館は見ていないんだが、公園内にある碑の文章を読むと原爆の凄惨さが伝わってくる。
場所は中心街からは結構離れているので車で移動するか、路面電車で行くかになるだろう。広島と同じく平和記念公園という名前かと思っていたんだが、平和公園だった。ナビで検索する場合などは注意が必要である。(普通知ってるか?)

訪問時のツーレポ
 ● 2011年03月 長崎旅行
浦上天主堂(うらがみてんしゅどう)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

再建された浦上天主堂の建物
江戸時代に弾圧されたキリスト教信者達が明治時代になり約30年の月日をかけて建てた教会(正式には浦上教会)で東洋一の大聖堂と言われた。原爆投下の際に建物は被災し、がれきの山となったが、現在はその跡地に当時のロマネスク様式の教会が再建されている。教会の周りには被災した天使像が建ち並び、教会内には焼け残った被爆のマリア像も展示されている。
慶応元年(1865年)に外国人のために建てられた大浦天主堂の神父・プチジャンに浦上の隠れキリシタンが告白し、「信徒発見」というキリスト教の歴史的事件となった。明治時代になってからもキリスト教に対する弾圧は続き、多くの信者は他藩に流刑となり、拷問や虐待を強いられた。(浦上四番崩れ)その後、信仰の自由を認められた信者達はこの地に戻り、信者達の奉仕と寄付により、ロマネスク様式の浦上天主堂は完成した。
原爆投下の際に教会にいた全員は死亡し、建物も崩壊した。その後、広島の原爆ドーム同様に歴史的な遺産として保存運動も起きたが、最終的には撤去整備され、現在の教会が建てられた。現在遺構の一部は教会の周辺に保存及び爆心地公園に移設されている。
拝観無料

建物自体は再建された物なので歴史的な価値はないんだが、規模はかなり大きい。一般に使われている教会なのでミサの時には邪魔にならないようにしないといけない。
歴史的にはかなり価値も大きく、キリスト教の歴史でも結構大きく扱われている。「信徒発見!!」という言い方がちょっと変な感じもするんだけどね。(^_^;; 周辺にある原爆の遺構は原爆の威力を物語るもので一度は見ておく物だろう。被爆のマリア像は写真でしか見たこと無かったのでかなり大きいと思っていたんだが、思ったよりも小さい。

訪問時のツーレポ
 ● 2011年03月 長崎旅行
爆心地公園(ばくしんちこうえん)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

爆心地にある碑
原爆落下中心地に立つ石碑はこの500m上空で原爆が炸裂した場所を示している。またその碑の前にある原爆殉難者奉安箱には原爆死没者名簿をマイクロフィルム化したものが納められている。
原爆はこの地を中心に半径2.5kmに及ぶ地域を壊滅させた。広場にはこの地の北東約500mの地にあった浦上天主堂の遺構の一部が移築されている。この地には原爆が投下されたときの地層がそのまま埋まっており、現在もその地層を見ることが出来る。
園内自由。

平和公園の一部であるが、記念像の広場からは少し離れたところにある。中央に大きな柱があり、同心円状の模様の入った広場となっている。近くに遺構などもあり、当時の悲惨な状況が分かるようになっている。この頭上で原爆が爆発したんだな・・・という場所というくらいである。

訪問時のツーレポ
 ● 2011年03月 長崎旅行
大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆

海大浦天主堂
正式名は日本二十六聖殉教者天主堂と呼び、慶長元年(1597年)に日本で初めて殉教した26聖人に捧げられたカトリック教会で、文久4年(1864年)に建築された。建設の翌年に神父・プチジャンに浦上の隠れキリシタンが告白し、「信徒発見」というキリスト教の歴史的事件となった。
日本に現存する最古の木造ゴシック様式教会で現在国宝に指定されている。聖堂内のステンドグラスには約100年前のものもある。
入館時間=8:00〜18:00、拝観料=300円。

歴史的な価値も高い教会で、一見の価値あり。ただし建物の外観は表の通りから見えるようになっているため、多くの観光客が入口の下から写真を撮っている。ただ入場した方が人が少なくてゆっくり写真を撮ることが出来る。(下から取っている人からは不評だろうがお金を出しているから気にしない)建物の内部はそれほど装飾があるわけではないが、ステンドグラスなどはなかなか良い感じである。

訪問時のツーレポ
 ● 2011年03月 長崎旅行
長崎眼鏡橋(ながさきめがねばし)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

眼鏡橋をいろいろな角度から
寛永11年(1934年)に興福寺の2代目住職・黙子如定(もくすにょじょう)によって架設された石造り2連アーチ型橋。水に映った姿がメガネのように見えるためこの名がついた。現在国の重要文化財に指定されている。
寛永11年(1934年)に架設後、慶安元年(1648年)の洪水により破損したが、平戸好夢により修復された。昭和57年(1982年)に半壊したが、翌年に再建され、歩行者専用橋となった。

長崎でかなり有名な観光地となっているが、普通の橋という感じに架かっているので場所を把握していないと見過ごしてしまうかも知れない。他の橋の上から撮影した方が綺麗に撮影できる。橋の下に遊歩道が設置されているので歩いてみるのも良い感じだ。

訪問時のツーレポ
 ● 2011年03月 長崎旅行