道祖神主催 ペルー 空中都市マチュピチュへ その8 あこがれの空中都市マチュピチュへ |
08月11日 0 km クスコ→マチュピチュ→クスコ |
4時45分に起きて荷物の整理をしてから、朝食をとるためレストランへ。きたがわさんは体調が悪いと言う事で朝食はとらないようだ。店員が少ないのか店員がなかなか来てくれないのがちょっと腹立つところだ。出されたパンを食べていたが、注文したスクランブルエッグがなかなかやってこない。ありあけさんとたなべさんは出発準備を終えて朝食を取りに来ていた。このままでは出発時間に間に合わないので、スクランブルエッグは諦めて部屋に戻って準備をする。やまださんはどうも風邪をひいてしまったようで、ちょっと体調が悪いようだ。夕べまでは高山病のせいかちょっと頭が痛かったが、朝からその痛みもなくなってかなり調子が良くなっていた。(^_^) 準備を整えてからロビーに向かおうとエレベーターに乗るとやまださんもやってきた。1階のスイッチを押すとエレベーターのドアが閉ま・・・らない?(?_?) なんと半分閉まったところで止まって動かなくなってしまった。しかも中途半端に閉まったせいでエレベーターから出る事も出来ない状態。o(><;)(;><)oジタバタ 「このまま出られなくなってマチュピチュにいけなくなったらしゃれにならないなあ。」とこのときはマジで焦っていた。(^_^;; 強引に扉を開けてもう一度スイッチを押すと今度はちゃんと動いてくれた。ロビーでしばらく待って、5時半にやってきた車に乗って駅へ向かった。さすがに朝早いため、かなり寒かった。 駅はここから車で5分くらいのところで、すぐに到着。駅の構内まで車で入ってから列車の所へ向かう。すでにマチュピチュ遺跡行きの列車はホームで待機しており、観光客が続々と乗り込んでいた。今回乗る車両は一番いいグレードらしく、安い席の倍の値段するようだ。ちなみにヘリコプターでマチュピチュに行く事が出来るとガイドブックに書いてあるが、現在は飛んでいるのかよく分からない状態だった。 今回のツアーのガイドさんがやってきてしばらくさやかさんと話をしている。ガイドはなんかひ弱そうな事務員みたいな人でスペイン語しか話す事が出来ないようである。急遽予約を入れたため適当な名前で予約していたらしく、その名前の変更に手間取っていたようである。やっと手続きが終了してチケットを貰い、列車の方へ向かう。 自分の乗る車両は前から2両目のB車両である。列車に乗り込んで出発を待つ。隣の窓際にはきたがわさん、横にありあけさんとやまださん、さやかさんは自分たちの前、たなべさんはさらにその前、アレックスはありあけさん達の前に一人ずつ座っていた。アレックスの隣の人とさやかさんの隣の人が二人組だったため、アレックスがさやかさんの隣に移ってきた。しばらくしてからドアが閉まり出発となった。(6時) まずは3300mのクスコから3800mまで山を登って行くらしい。かなり急な勾配なので何回かスイッチバックを繰り返して登っていく事になる。線路は町の家々の間をもろに通っており、レールの下に引かれている枕木もまともに固定されていないような感じで崩れ落ちそうで怖かった。(-_-) ちょうど日が昇ってくるところで、クスコの町に日が差し始め、みんなカメラを構えて写真を撮っていた。ただ、外がかなり寒いのと車内の湿度が高いせいで窓ガラスが曇ってしまってまともに車内から撮影が出来ない。窓を開けて写真を撮ったが、冷たい風が吹き込んでくるのであまり長い時間あげておくわけにもいかず、すぐにしめる事になる。 車両は一つ一つ独立していて他の車両には行けないようになっている。このため、それぞれの車両に専属の車内係が付いているようである。出発してしばらくすると車内サービスでパンと飲み物が配られた。ちょうどお腹も減っていたので助かった。 山を登り切ってからは緩やかな下りとなる。雪に覆われた山々と何もない台地がずっと続いているが、昨日までさんざん見た景色だから写真を撮るまでもない。外を見ているとどうも昨日通った風景に似ている感じがする。と思ってさやかさんに聞いてみると、やはり昨日通った道の沿って線路が延びているようだ。しばらくするとPoroyの駅に到着。(6時45分)この地名は間違いなく昨日通った町の名前である。 しばらくは外の景色を眺めていたが、いつの間にか眠ってしまったようだ。その間にも列車は走り続け、次の駅に到着。(8時15分)列車が停車している間、列車の外に地元の人が土産物を売りにやってきた。天気がかなり良くなってきて暑そうだったのでサンブレロに目を付ける。値段を聞いてみると10ソレスという事だったので購入することにした。アレックスは子供と姪っ子の土産といって人形を二つ買っていた。(二つで30ソレス)お金を払おうとしたところで財布が見つからず、とりあえず自分が払っておいた。そのまま逃げることも可能?(^_^;; そこを出発して少し走ったところでしばらく列車が止まっていた。どうやら線路は単線なので対向列車を待っているらしい。しばらくしてやってきた列車は地元の人が使っている車両のようで、こっちの列車と比べるとかなり見劣りする。席も狭い上に、外にへばりついている人までいる。こんな寒いのに平気なんかなあ? 途中から川縁に沿って走っていくようになったが、線路の右側は切り立った断崖になっている。しかもオーバーハングしていて今にも崩れてきそうでかなり恐い。(;^_^Aフキフキ それに対する対策は何もしていないようなので、雨でも降ったら一発でアウトになりそうである。途中にある小さなトンネルも手彫りで、岩肌はでこぼこのままだった。 途中でなにやら騒がしくなって、みんなが窓の外を見ている。どうやらここからインカ道(Camino del Inca)が始まっているようだ。トレッキングコースとして有名らしいが、現在はほとんど通行止めになっているらしい。詳細については詳しく解らないが・・・。 やっとマチュピチュ遺跡への登山口であるアグアス・カリエンテス駅(Aguas Calientes)に近付いたようで、あと10分で到着とのアナウンスがかかる。どきどきしながら駅への到着を待ち、10時にやっと到着。クスコからここまで距離的にはそんなにないが、列車の速度が遅いせいでこんなに時間がかかってしまったのだろう。 駅のホームには観光客を待っているガイドの一団がプレートを持って立っていた。やまださんがその中に「INCA MOTO」のプレートを持った女性を発見したが、さやかさんは「きっと同じ名前の別会社だろう」と言っていた。列車を降りて待合室でツアーのガイドを待っていると、アレックスの着ているTシャツ(INCA MOTOから貰ったTシャツ)を見て、先ほどの女性が声をかけてきた。この人の話によると会社からガイドを頼まれているらしい。さやかさんも状況が解らない状態だったので、とりあえずバス乗り場まで一緒に行く事になった。 バス乗り場までの道には土産物の屋台が連なっていたが、今買ってもしょうがないのでそのまま素通り。バス停に着いたところで、さやかさんはフラビオと連絡を取ってガイドの件を話していた。フラビオもこの件に関しては知らないようで、ガイドを頼むなら頼んでもいいという事らしい。大勢で案内を聞くよりは少人数で説明して貰った方がいいだろうという事になり、このガイドに案内してもらう事にした。バスのチケットだけは先ほどのツアーのガイドに貰わないといけないのでチケットを貰ってからバスに乗り込んだ。なお、ツアーで案内する場合は地元のガイドを雇わないといけないらしく、たとえさやかさんが案内する事が出来たとしても勝手にガイドをすると罰せられるらしい。 バスの前の席には日本人の夫婦が乗っていた。少し話をすると二人だけの個人旅行らしい。旦那さんは結構スペインのを話せるが、奥さんは自分と同レベルのようだ。このあとナスカに行くと言っていたので自分たちの事を話しておいた。ただ、時間的には一日余裕があるらしいので何とかなるかも知れない。自分たちはバイク旅行できたと話をするとさすがに驚いていたようである。 出発してつづら折りに山を登っていくが、道の状態が余りよくないので振動がすごい。景色が良かったので写真を撮りたかったが、振動のせいでなかなか上手く撮れなかった。道路の途中には歩いて登る道があり、何人か歩いて登っている人もいた。しばらくすると隣の山の上に遺跡が見えてきた。あれがマチュピチュ遺跡か!!15分くらいして遺跡の入口に到着。(10時半) このマチュピチュ遺跡はウルバンバ川に囲まれた標高2,280m(川から約400m)の山の上に作られていた都市。「空中都市」、「失われた都市」と呼ばれる遺跡で、インカの人々がスペイン人から逃れるために作られたと言う説もあるが、それ以前から何かの儀式用に作られていたという説が有力である。1911年にハイラム・ビンガムにより世界に発表されたが、地元では以前からここに遺跡があるというのは知っていたらしい。 スペインに占領されなかったため、インカ時代当時の町の作りが残されている。周りは山に囲まれ、インカ道がここまで延びてきている。山の上に作られているため、周りは断崖絶壁となっている。段々畑や太陽の神殿など、多くの遺跡が残っている。 さすがに暑くなってきてフリースなどは着ていられないので、不要な荷物は入口の荷物預かり所に預けていく。(もちろん有料)ここで入場券(一日20ドルとかなりの高額)を貰ってから遺跡の中へ。自分たちはこのガイドと一緒に行くが、アレックスは英語のツアーに参加するためここから別行動となる。 この遺跡の向こうに見える山(ワイナピチュ・Hyayna Pichu)の上からこのマチュピチュ遺跡を見下ろすととても眺めがいいらしいが、往復で2時間、いくら急いでも1時間半はかかるらしい。見学時間は2時間くらいしかないので、もしあそこに行ったらそれだけで見学が終わってしまう。(T^T) マチュピチュ遺跡を紹介するためのよく見る写真はあそこから撮っているのかと思ってはじめはマジで行こうかと思っていたが、その写真は手前の高台から撮っていると言う事を聞いて今回登る事は諦めた。 まずは段々畑の脇の道を登って一気に高台に上がる。さすがにここまで来ると観光客も多く、その中に日本人の姿も見える。さすがにここには日本語で案内しているガイドさんが居るようだ。その中にポンチョとサンブレロの帽子を着て手に怪しい杖を持った日本人がいた。ネタ的には面白いが、暑そうである。しかもポンチョにサンプレロに杖は統一感がない感じ。サンブレロはメキシコだし、ポンチョはいいとして杖は儀式用だろう。 一気に高台まで登ると見張り小屋といわれる復元された小さな家が建っていた。ここからの景色が写真で有名な眺めで、眼下に段々畑とマチュピチュの町並みを見下ろす事が出来る。「ついにやってきたんだなあ!」と感慨もひとしお。 写真を撮り終えたところでガイドからの説明が始まる。まずは、マチュピチュへようこそから始まり、この遺跡の発見された経緯、この町の周りの地形の説明が行われた。周りは山に囲まれ、東西南北にそれぞれ山がある。ここで使われている石はこの場所の石材を使っているが、畑に使われている土は聖なる谷から運ばれてきたと言われているらしい。この段々畑は排水を考え3層になっていて、上から土、砂、粘土が盛られている。段々畑は作物の栽培用に作られたものだが、場所によっては土砂崩れ防止のために作られたところもあるようだ。 説明が一段落したところで町の方へ移動。途中の段々畑のすぐ下は断崖となっており、あまり縁に近寄るのはちょっと怖い。(^_^;; きたがわさんは結構ぎりぎりまで行っていたが、怖くないのだろうか?高いところの苦手な自分はまず行く事が出来ない。 ここから入口の門の跡をくぐって町の中へ。インカ道からやってくるとここがマチュピチュの入口になる。扉はなくなっているが、ここにいた人が当時の入口のイメージを描いたイラストを見せてくれた。どうやらロープで引っ張り上げて上に開く形の扉のだったようである。この辺りの建物は一般の人用みたいで石組みが甘い。このため発見された当時は崩れ落ちてしまっており、現在あるのはほとんど復元されたもののようだ。(散らばっていた石を積み上げている)それぞれの部屋がえらく狭いが(日本人が言うのも何だが・・・)、これが標準だったんだろうか?(?_?) ここから下に見える神殿は太陽の神殿といわれており、東向きに窓が二つ開いている。夏至と冬至の日にそれぞれの窓から中央の石に日が差し込むようになっているらしい。この夏至と冬至は農業を行う上でかなり重要な日なので、この日が解るように太陽の神殿は作られたのだろう。さやかさんは夏至と冬至がなかなか憶えられず、説明のたびに言葉が出なくて困っていた。神殿と言うだけあって、ここの石組みは完璧に作られている。 ここから石切り場を抜けて少し高台にある神聖な広場へ。ここの建物も正確な石積みがされており、神聖な場所だった事がわかる。建物の壁には大きな窓が3つ開いていて(3つの窓の神殿)、インカ発祥の伝説を表しているらしい。この横に神官の館といわれる建物があったが、こっちは普通の石組みで立てられている。この建物についても説明を聞いたが憶えていない・・・。 神殿を抜けて歩いていくと、そこに大きな石があった。これはインティワタナ(日時計・Intihuatana)と言われているもので、マチュピチュ遺跡の最高点に位置している。日時計というよりも一年間の年時計といった方が正解かも知れないが、実際の所正確には分かっていない。形がかなりいびつになっているが、角柱の四方は東西南北を示していおり、夏至と冬至の時にもどこどこに影が出来るとか言われている。まあ、所詮文献があるわけでもないし、口伝で伝わってるわけでもないので、推測するしかないのであるが・・・。(^_^;; 一番上にある突起の一部分がかけてしまっているが、これは以前TV番組かビデオの撮影の時に基材を落としてかけさせてしまったらしい。(T^T) 現在は周りにロープが張られて登れないようになっている。この石に触ると石のエネルギーが得られるらしい。その横にも小さな石があって四方が東西南北を示しているらしい。これは十字架を表しているという説もあるらしいが、さすがにそれは違うだろうと言っていた。(^_^;; その他、微妙に変形している事からサザンクロスを表しているのではないかという説もあるらしい。説明の時にガイドがみんな十字に石をこするせいで、石に十字の跡が付いていた。 その建物の裏に神官か何かの休憩所だったみたいでかなりいい作りがされている小さな建物があった。ちょうどベンチのような石があって日陰になっていたのでみんなでここで座って休憩をとる。建物の壁には相変わらず台形のくぼみが開いているが、これは地震対策のために作られており、当時はここに金や銀の像が奉られていたということだ。 ここを抜けてから大広場の横を通り抜け、聖なる岩のあるパチャママの神殿へ。ここには厚さ30cm位で面積が5m×3m位の大きな石が立てられている。この岩が後ろの山と同じ形をしているらしい。そう言われてみると確かに近い形をしているが、そこまでするならもっと同じ形にすれば良かったのにというレベル。ここの石からもエネルギーを貰う事が出来ると言って石に手を当てている人が多数。自分たちも同じように石に手を当てる。 ここの横の建物が休憩所になっていたのでここでしばらくくつろいでいく。(12時半)日差しは相変わらずきつくてしゃれにならない感じだったので、帽子を買っておいて正解だった。 出発して岩の後ろの通路へ進む。ここからワイナピチュへ登る事が出来るようで、入口に受付がある。ちょうど山を下りてきている人がいたが、途中で転んでしまったようでかなり泥だらけになっていた。 ここから貴族の居住区といわれるところを抜けて大広場へ。ちなみに今は石を積み上げただけだが、当時はこの岩の表面には粘土が塗られていたらしく、発見当時は壁の下に崩れ落ちた粘土が積もっていたようだ。この辺りの壁の修復はほとんど終わっていて、3m位の壁が迷路のように続いていた。 大広場は声が反響するように作られていたらしく、手を叩くと響き渡っていた。日本にある鳴き竜みたいな感じである。きっとここで演説なんかが行われていたんだろう。だれかここで大声で演説でもして欲しかったものである。「立てよ国民!・・・」(^_^;; 続いてコンドルの神殿と言われるところへ。ちょうど団体グループが説明を受けているせいでかなり狭い。地面にはコンドルの頭の部分を表す石が置かれていて(先っぽの丸いものはコンドルの首の周りの模様を表している)、その後ろにある岩が羽根を表しているらしい。場所が狭いのと人が多かったせいで、全体の写真を撮る事は出来なかった。写真を撮っているとおもむろに帽子が誰かに取られてビックリして振り返るとアレックスが笑っていた。 ここから牢獄跡と言われる狭い通路を抜けていく。途中に小さなへこみがあったが、ここにはミイラが置かれていたという事で、自分もそこに乗って写真を撮って貰う。そこを抜けると水くみ場があり、先ほど泥だらけで降りてきた人が体を拭いていた。 水くみ場の横に王女の宮殿といわれる、マチュピチュ唯一の2階建ての建物が建っている。ここの作りも神殿と同じくかなり正確な石積みがされていた。かなり高位の人か、王女が住んでいたと言われている。その下には陵墓といわれる所があり、他の遺跡でも見られる3段の階段が見られる。奥の方は祭壇になっているが、地震で少し岩がずれてしまっていた。自然の岩と人口の岩を上手く組み合わせて建てている技術の高さには舌を巻くばかりである。 ここでマチュピチュの案内は終了となって、ガイドとはここでお別れ。(13時15分)チップとして一人1ドルずつ渡したが、ガイドへのチップは5ドルくらいが普通らしい。(はっきりとは知らないが・・・)ここでアレックスとも合流して最後にみんなで一緒に写真を撮って貰った。バスの出発時間は13時半なのでもう戻らないとまずい。段々畑の下を通ってマチュピチュ遺跡の入口へ。ここで荷物を受け取ってからバスに乗り込んだ。 バスからは有名なグッバイ・ボーイを見れると期待していたが、いつまでたっても現れない。ホントに追いかけてくる時は出発したところから居るらしい。せっかく期待して窓際に座っていたのにちょっと残念である。(T^T) 降りる時に運転手に話を聞いてみるとバス一台一台に専属のグッバイ・ボーイがいるが、出発の時にその子供達がいなかったらしい。 バスを降りてから少し歩いたところにあるレストラン(TOTOSHOPS)で食事となる。(13時45分)食事はバイキング形式で好きなものを食べて言いようだが、飲み物は自腹となっている。料理はなかなか美味しくて、デザートのケーキ(チョコレートケーキとチーズケーキを食べた)も美味しかった。お腹も満足したところで、14時45分に駅に集合という事にして土産物を見に行く。待ち合わせ時間まで30分もないのであまりのんびりする事は出来ない。 いろいろなものが売られているが、相場が解らないのでちょっと困ってしまう。来る前から買おうと思っていたポンチョを探して、置いてある店の人と値段交渉。基本的に言葉は通じないので電卓に値段を打ち込んでの交渉となる。最初に70ソレスと言われたのを60ソレス(約2000円)で購入。ポンチョは土産物用のあまり質のいいものではなかったので、後で考えると結構高かったかも知れない。最初に言われた金額がこのくらいという事は30~40ソレスで買えていたかもしれないなあ。(^_^;; 結局この交渉だけで時間が結構かかってしまい、他のものは見るだけで買わなかった。また買う機会もあるだろう。ポストカードを売っている子供がいたら買おうかと思っていたが、ここでは見つからなかったので諦める。他のメンバーもTシャツなどを購入していたようだ。 駅の待合室に行ってみたが、まだ全員揃っていない。しばらく待っていたが、さやかさんとアレックスがなかなかやってこない。乗車時間が迫ってきていたので先にホームに入っていると10分前にやってきた。席は行きと同じような感じで、窓側と通路側が入れ替わっただけである。 15時に予定通り出発したので、18時には到着するかな?と思っていたが、前に座っていたガイドさんがツアーの人に「到着は19時頃になるだろう」と流暢な日本語で説明していた。これで今回の目標のマチュピチュも堪能する事が出来たので明日は消化試合のようなものである。ということで、車内で売られていたビール(6ソレス)を買って飲む事にした。久しぶりのビールである。きたがわさんも体調が回復してきたのか、一緒にビールを飲んでいた。列車が出発する頃から雨が降り始めていたが、観光途中は晴れていて助かった。しかし雨具の用意はしておくようにといわれていたので、いつも雨が降るのかなあ?(?_?) ビールを飲んで満足してからその後は、ほとんど眠っていたので記憶はほとんど無い。途中の止まった駅で土産売りがやってきた事くらいか?クスコが近付く頃には完全に日が落ちて真っ暗になっており、町の夜景が綺麗だった。(18時半)残念ながら止まってはくれないので写真撮影は出来なかった。数回のスイッチバックで山を下っていくが、途中に「マネー」と叫びながら追いかけてくる子供が多数。そして19時にやっと駅に到着した。ここで行きに迎えに来てくれた車に乗ってホテルに戻った。(19時15分) ホテルに戻ると建物の前にレイドが止まっているのを発見。ニューヨークから来ているカップルでバイクをレンタルして旅行しているようだ。部屋に荷物を置いてから近くの店に水を買いに行く。(1ソレス)ポストカードを買いたかったが、売っている店が遠かったので諦める。 19時45分にロビーに集合してから夕食へ向かう。この途中にある店でポストカードを10枚買っていった。(9ソレス)今日行く店も中央広場の方なのでかなり歩かないといけない。 今日行ったところはINKANATOというレストランで、到着するとインカ時代のメッセンジャー(チャスキ)の格好をした人が出迎えてくれた。少し説明があった後、ホラ貝で店の人に合図。階段を上った2階にある店には宰相の格好をしたウエイターと、妾(なぜ后ではないのか不思議だ)の格好をしたウエイトレスがいた。テーブルは10個くらいあるがお客はあまりいなかった。 早速ビールを注文して乾杯!メニューはカボチャスープ、アルパカのステーキ、ミックスフルーツ、インカ茶を注文。カボチャのスープはしょっぱくてちょっと失敗という感じ。アルパカのステーキは予想通り油分が少なくぱさぱさしていた。お腹も満足したところで店を出る。店の出口にメッセージを書くところがあったので何か書こうと思ったが、店の人が英語かスペイン語しか読めないという事だったのでさやかさんに書いて貰った。「by 日本のバイクライダー INCA MOTO」(22時) 帰る途中に少し土産屋に寄っていき、アレックスはアルパカの毛皮で作った子供用の靴を買っていた。自分も何か買おうかとも考えたが、特に目を引くものがないので何も買わなかった。 部屋に戻るとトイレのドアがロックされて開かなくなっていた。取っ手が半分外れかけていたので取っ手を外して開けようかと試みたが、どうもうまくいかない。しょうがないのでフロントに行ってなんとか説明し、修理して貰う事にした。しばらくすると係の人がやってきてなおいしてくれた。きたがわさんは眠りに入ったが、自分は先ほど買ったポストカードを書く。思った以上に時間がかかってしまい、書き終わって寝る頃には日付が変わっていた。(0時) |
01 マチュピチュ行きの列車 02 空中都市マチュピチュをバックに 03 段々畑の縁に立つきたがわさん 怖い・・・ 04 三つの窓の神殿でガイドの説明を聞く(ありあけさん提供) 05 石からエネルギーを貰う 06 ここにこういう風にミイラが収められていたらしい 07 最後にみんなで撮影 08 マチュピチュの段々畑 09 列車の乗務員と一緒に 10 列車の中からみるクスコの夜景 11 インカ時代のメッセンジャーの衣装を纏った店員 |