道祖神主催 ペルー 空中都市マチュピチュへ その7 インカ文明に触れる |
08月10日 217 km アバンカイ→クスコ |
6時頃に目が覚めたが、まだ時間も早いのでベッドでごろごろする。いったん起き出してホテルの中を散歩してからまた部屋に戻って眠りについた。次に起きた時には7時半を回っていた。特にする事もないのでまたホテルの中をうろついてから部屋に戻るとすでにきたがわさんの姿はなくなっていた。 レストランに行くとフラビオ、ロッキー、きたがわさんがやってきてすでに朝食をとっていた。自分もスクランブルエッグを頼んでからテーブルの上のパンを食べる。飲み物はいつものように紅茶である。今日の出発は9時なので時間は十分にあるのでゆっくり準備をする事が出来る。ここにあったテレビでは日本のアニメ「ベルサイユのバラ」が放映されていたのにはちょっとびっくり。もちろんスペイン語である。 バイクの所に荷物を持っていき、しばらくここで休憩。きたがわさんはまだ体調が回復しないようで、結構きつそうな感じだ。(T^T) 昨日の薬もほとんど効いていないようである。たなべさんはだいぶん調子が良くなってきているらしい。自分もこの日はほぼ完全回復といった感じである。(^_^) なお、ホテルのガイドブックに「こんな人が今まで泊まりました」と書かれていたが、その中にINCA MOTOのメンバーが写っていた。 バイクのエンジンを始動してからしばらく暖気。ありあけさんは朝一はどうしても自分でかける事が出来ず、この日もロッキーにかけてもらっていた。(^_^;; みんなの準備が出来たところで9時にホテルを出発する。 ここから山の方に向かって進んでいくが、相変わらず車の通りが多い上に運転が荒くて結構怖い。しかも町中の道路は石畳になっているので走りにくくて困ってしまう。町を抜けてからは綺麗に舗装された道を走って山を登っていった。しばらくはのんびりと走っていたが、前を走るフラビオ、きたがわさんとかなり離れてきたので前を走るたなべさんを抜いていった。そこから少し走ってコーナーを曲がると、その先の左手にある広場で二人が止まっていた。なんか二人が空に溶け込んでいたのと、その先に右カーブがあったために一瞬見落とすところだった。(9時半・20km) 自分の後ろを走っていたありあけさんはそのまま自分と一緒に止まったが、ちょっと後から走ってきたやまださんとアレックスは気が付かずにそのまま通り過ぎてしまった。(@_@) 慌てて声をかけたが、全く気が付かず、そのまま去っていってしまった。4人止まっていても気が付かんか?このあとたなべさんがやってきたので、また通り過ぎてしまうかも知れないと思い、道路まで出て呼び止める。 結局先に行ってしまった二人は戻ってくる気配もないので、「前に追いつかないなあ。」と思いながら走り続けているのだろう。フラビオは追いかける気はないみたいでここでしばらく休憩していくようである。アレックスのビデオで「アレックスは行ってしまいました・・・」とか言って撮影しようかと言っていた。10分くらい休憩してから出発する。 どっかで先に行った二人が待っているかも知れないと思っていたが、まだ気が付かずに走っているようだ。しばらくはみんなと一緒に走っていたが、途中で写真を撮るために止まっていたため、前の二人(フラビオときたがわさん)に完全に置いて行かれてしまった。山の上から眼下を見下ろしていると、遙か下を二人が走っているのが見えていた。 この辺りは結構民家が多くて、道路に牛や羊の姿をよく見かける。時々カーブを曲がると道をふさいでいたりして結構怖かった。(^_^;; 山を下っていくとみんなが止まっていた。(10時・59km)そこにはやまださんとアレックスの姿も見えた。周りには地元の人が遠巻きにこっちを眺めている。 ここからしばらく走っていくと、アプリマス川(Rio Apurimas)に沿って走る道になる。途中の道路脇にいったん止まって休憩をとる。(10時半・71km)この辺りの山はほとんど茶色で木があまり生えていない。乾期に当たるため、生えている木もほとんどが葉を落としているようで、緑はほとんど見えなかった。道の脇には黄色い花が咲いていたが、これはここの原種ではなく、海外から持ち込まれたものらしい。その後ペルー中に広がってしまったようである。さやかさんはこの花はあまり好きではないらしい。この先に欄干のない橋があるので注意して走るようにと注意を受けてから出発する。 途中道路が川に覆われているところが何回かあったが、欄干のない橋というものは結局見つからなかった。特に車もいないのでいいペースで走っていき、アプリマス川にかかる橋の手前で休憩をとった。(11時・93km)たなべさんはこの手前で写真を撮りたかった所があったらしく、フラビオに確認してからバイクで戻っていった。すぐそこといっていたから歩いて戻るかと思ったのに、バイクで行くような所だったのか。たなべさんもすぐに戻ってこないのでここでしばらく休憩。 橋を渡って、小さな川に沿って走っていく。川が近いせいか、先ほどまでと違って緑が多く、道も曲がりくねっていて日本の道を走っているようだった。道が曲がりくねっているので前の車をなかなか抜く事が出来ず、ちょっといらいらする。この先のLimatambomnoのガソリンスタンドに入ってガソリンを給油する事にしたが、400ccの方だけでいいらしい。(11時半・114km)ガソリンを給油してからこの横の店で昼食をとっていく事にした。 自分がここで食べたのは牛肉だしの野菜スープとコカ茶のみである。やまださん、アレックス、フラビオはスープの他にカレーの様なもの(御飯にスープがかかったもので大きな牛肉が付いている)を食べていた。しかしスープだけでも結構な良があってとりあえずは満足である。さすがに田舎なのか価格が安く、スープは1ソレス、定食でも2.5ソレスという安さだった。 ここでジャガイモの乾燥したもの(マライヤ)というものを見せて貰ったが、どう見ても石ころにしか見えない。先ほどのスープにも入っているようで、削って入れるととろみが出るそうだ。顔の日焼けがひどくなってきたせいか、メットをかぶるところがすれて痛くなってきた。さやかさんがここにあったサボテンでコチニールを見つけ、潰すと紫色の体液が出てきた。たしかに染料とかで使えそうな感じだなあ。しばらくここでくつろいでから12時15分に出発する。 ここからさらに山を登っていくが、途中からカーブのきつい道路になってきたのでなかなか前の車を抜くことができない。しかし前を走っていたたなべさんが視界の悪いヘアピンで前のトラックを抜きに行ってしまった。(@_@) コーナーを曲がっている間、完全に反対車線を走行していたため、対向車がきていたら完全に正面衝突だろう。(;^_^Aフキフキ しかも対向車が来ているのも解らないだろう。後ろを走っていた自分とありあけさんは目が点状態である。(・_・)しばらく行くと、高台の所にみんなが止まっていた。(12時半・134km) ここからの眺めはなかなかいいが、高圧線が立てられているのがちょっと邪魔な感じ。遠くには雪に覆われた山々を見る事が出来た。道路の反対側の高台に地元の人がたむろっていたが、そこにアレックスは行って何か話していた。自分ももう少し言葉が分かればなあ・・・。ここでは15分くらい休憩していた。 ここからは山を下り低くなってきたせいか、高山病の頭痛が良くなってきた感じ。途中から道路の右側にはまばらに家が、左側には放牧地という風景がひたすら続いていた。途中でいくつか小さな町を抜けて走っていくが、特に景色は変わらない。高さ数百m位(実際は4000m級)に見える山々に雲がかかっているのはなんか変な感じである。ほんと空が低く感じてしまう。 小さな山を抜けて少し行くと、前方に一面赤茶色の町が見えてきた。ここがインカの首都だったクスコのようだ。町のはずれの高台でいったん止まって休憩していく。(13時)町のはずれの山肌には「VIVA EL PERU(ペルー、バンザイ)」の文字が描かれていた。ちなみにクスコの家は全て赤茶色の屋根にしないといけないらしい。 ここから町中に入っていくと、さすがに車の通りが多くなってきた。道路は石畳でがたがたしているし、道もあまり広くない。道路のあちこちにスペイン人と思われる石像が建っていた。町中をしばらく走ってやっと駐車場に到着した。(13時45分・193km)ホテルには駐車場がないため、今回は別の場所にある駐車場に止めたようだ。これで今日の走行は終了。こんな明るい内に到着するのは初めてではないだろうか? ここからは歩いてホテルへ向かう。サポートカーはこちらにやってきて荷物をすでにロビーに運び込んでいた。チェックインをしたが、ここでもパスポートの提示と細かい宿泊手続きをしなければならなかった。ホテルは今までの中で一番いい部屋だったが、ホテルのエレベーターが壊れそうで恐かった。保守点検なんか全くやっていないような感じで(点検の表示がない)、非常電話や緊急ボタンも全くない。しかも開閉ボタンもなくて(階数ボタンを押すと閉まるようになっている)、停止階の複数指定もできない(最後に押した階で止まる)。 この後にクスコの観光ツアーに参加することになっている。荷物を置いてすぐに出発しても良かったが、30分ほど部屋で準備をしてから観光へ行く事になった。部屋に行ってから荷物を簡単に片付けて観光する準備をする。フリースを着ていこうかと思ったが、また暑いと邪魔になるなあと思ってシャツだけで行く事にした。ロビーに行ってみんなが揃ったところで、迎えに来たバスに乗って中央広場へ向かう。観光用にクスコの近くの観光地をまとめたフリーパスチケット(10ドル)を貰う。すでに観光ツアーは始まっているようである。まずは途中で太陽の神殿跡と通って中央広場にあるカテドラル(Catedral)へ。 ここはインカ時代の神殿跡に建てられた建物で、その両側は教会が併設されている。現在はこの建物も教会も博物館になっている。土台部分はインカ時代の石積みがそのまま利用されており、その上にスペイン人が建物を建てたらしい。 ツアーは20人くらいの団体で、ガイドはやはりスペイン語で話している。アレックスは英語のガイドのグループに入って見学するようだ。日本語のガイドは居ないらしい。(基本的にペルーは日本からの観光客は少ないらしい)最初はこのツアーの人たちと一緒に行動していたが、スペイン語の説明を聞いても訳が分からないのでツアーとは別行動することにした。 さやかさんにある程度解説してもらって建物内を見て回る。もともと月の神殿や虹の神殿などというかなり重要な建物だったらしく、よく言われるように「カミソリの刃も入らない石組み」というくらい綺麗に積み重ねられた石組みを見る事が出来る。しかも単に積み重ねるだけではなく、地震対策(ペルーは地震が多い)として複雑に組み合わせているのがすごい。今でもここまできっちりと組み合わせるにはかなりの労力が必要になるだろう。なお、普通の建物は石と粘土で作られており、特に重要な建物だけがこのようなきっちりとした石組みで作られている。 建物の中で特に重要な部屋は二重扉になっているらしい。もちろん現在ではその扉は残っていないが、扉枠は大きさの異なる扉がはまるように段違いに作られていた。一部石積みの荒いところがあるが、これはスペイン人が後で動かしたせいらしい。30分くらいでこの建物の説明は終了し、隣の教会へ移動する。 ここからはツアーの人たちと一緒に行動する。教会はかなり広く、内部が区切られてそれぞれの場所でミサが出来るようになっていた。内部には多くの宗教画や像が並べられているが、一度に一杯見たせいでほとんど憶えていない。ただ、全て銀で作られた祭壇や金色に輝く(おそらく金メッキ)祭壇はかなり目を引くものだった。所々、地震のために壊れてしまっている所があった。 途中途中で椅子に座ってガイドの説明を聞くが、もちろん意味は理解できない。一通りの説明を聞いた後でさやかさんに簡単に説明して貰った。「最後の晩餐(さやかさんの通訳で最初に「最後の晩飯」といわれて一瞬何かと思ってしまった(^_^;;)」の絵に食卓に乗っている食べ物はペルーの食べ物が描かれている。最後に建物の下にある部屋(当時は身分のある人の墓だったらしい)に入ってみたが、小さな部屋があるだけで何も面白いものはない。ミイラが収められていたという横穴は全て埋められていた。ここの説明でこの建物の観光は終了したようなので、建物を出てバスに向かった。 外に出ると土産売りが一杯近寄ってくる。特に買いたいものもなかったので何も購入しなかった。その中に観光客の写真を撮っている男性がいたので何かと思っていると、後でポストカードにしてから本人に売るらしい。バスに乗り込んでから次の場所に向かって出発するが、席はすでに決まっているようで、開いているのは一番後ろの席だけだった。町中の道は狭いのに乗っているバスはかなりの大きさ。それにもかかわらず起用に町の間をすり抜けて走っていくのはすごいかも知れない。(@_@) 町の郊外に出てから山を登っていき、サクサイワマン(Sacsayhuaman)と言われる要塞跡に到着した。(15時半) ここはクスコの町を見下ろす事が出来る高台にあり、毎年6月24日に「太陽の祭り(Inti Raimi)」が行われる場所でもある。当時は3つの塔と高い城壁があったが、現在は城壁の一部が残っているだけで塔は全て破壊されている。クスコの町は全体がピューマの形をしており、この要塞がピューマの頭に当たるらしい。城壁がジグザグになっているのはピューマの歯を表しており、ここにあったといわれる円塔はピューマの目を表している。 バスを降りてからこの要塞跡を観光するが、薄着だったせいで寒くてたまらない。(T^T) フリースを来てくれば良かったと後悔したが、今更言っても仕方がない。さやかさんが「服を一枚貸そうか?」と言ってくれたが、しばらく我慢していた。が、堪えられなくなり素直に服を借りる事にした。 ここの城壁もかなり丁寧に作られている事から結構重要な建物だった事がわかる。城壁は先ほど見た建物の石と比べると格段に大きな石で作られていた。途中でガイドの説明(通訳・さやかさん)を聞きながら遺跡を登っていくと高台に出て、ここからクスコの町を一望できた。町の上が雲に覆われていてあまり景色が映えないのが残念なところである。近くには塔の建っていた所があったが、現在はその土台を見るだけである。 城壁を降りて反対側に出るとそこには縦横5m位ある巨石が城壁の一部に埋め込まれていた。でかい・・・。ガイドが近くの城壁の所に案内して、「この部分がアルパカを表している」と説明していたが、それは単に偶然そう見えるだけだろうと突っ込みたかった。(^_^;; さやかさんの話ではガイドによって説明するところや説明内容が結構違うらしい。特にインカ文明についてはあまりに解っていない事が多いのでしょうがないだろう。途中でアレックスのグループと遭遇したが、彼はあまり観光とかは好きではないようで結構暇そうにしていた。 そこから少し歩いていくと駐車場があって多くのバスが並んでいた。ここでは土産物売りや民族衣装を着て歌っている(ケチュア語)人達がいる。民族衣装の人は一緒に写真を撮るとお金を取られるらしい。以前、さやかさんはそのことを知らなくて一緒に写真を撮って喧嘩になったらしい。 続いて行ったのはケンコー(Qenqo)と言われる岩山を削って作られている遺跡。インカ帝国の祭礼所だったといわれているところである。岩の下にある洞窟には当時の儀式に使われたという3段の階段のようなものがある。これは天上、現世、地獄のようなものを表しており、それぞれの守護神がコンドル、ピューマ、蛇らしい。(はっきりと憶えていない)ここに生け贄が捧げられていたという話もある。 この遺跡はほとんどが自然石のままといった感じであまり遺跡のような感じがしない。岩肌に作られている小さな階段を通って遺跡を見て回る。 きたがわさんは体調が悪いようでかなり寒いらしく、やまださんにジャケットを借りていた。岩山の下に伸びる空洞を通っていき、バスの所に戻った。きたがわさんはここで自分の写った写真をポストカードにしたものを購入していた。(3ソレス)さやかさん曰く、「高い!」。 バスに乗り込んで次の場所に向かう少しの間に眠ってしまっていた。プカ・プカラ(Pula Pukara)というところは現在立ち入り禁止になっているようで、バスの中から見ただけである。先ほど見たサクサイワマンのような要塞の跡みたいなところだったが、半分寝ぼけていたのであまり記憶に残っていない。 そのあとタンボ・マチャイ(Tambo Machay)という聖なる泉と言われる所へ。舗装道路からえらく細い道を登っていったが、道の状態がかなり悪くてバスがかなり揺れまくる。駐車場に到着したが、現地でのガイドの説明はないようで見たい人は勝手に行ってみてくれとの事。せっかくなので行ってみる事にした。ここには多くの土産売りがいて、歩いているとすぐに声をかけてくるが、何も買わなかった。 この遺跡には上の方から水が一つ、二つ、三つと流れ出ており、この水を飲むとそれぞれ健康や子宝などに恵まれると言われている。水を飲むのはちょっと危険と思って飲まなかった。水源は乾季雨季にかかわらず一定であり、どこから引かれているのか未だに解っていない。きたがわさんは寒いのでアルパカのセーターを買おうとしていたが、値段の折り合いが付かず、ここでは買わなかったようだ。 バスに戻ってから最後にツアー指定の土産屋へ。バスを降りて土産屋に入るまでに土産売りが押し寄せてくる。中に売られているのはほとんどアルパカ製品で、絨毯からセーターなど多くのものが並んでいた。ベビーアルパカで作られたというかなり肌触りのいい絨毯があったが、これは170ドルといわれる。確かに日本で買う事を考えると安いんだろうが、とてもではないが持って帰る事は出来ない。いろいろ見て回ってポンチョを買おうかと思ったが、見せて貰ったものはあまりいい質のものではないようで肌触りが粗い。値段も結構高かったのでここでの購入は諦めた。結局見て回るだけ見て回ったが何も買わなかった。きたがわさんはここでアルパカのセーターを買っていた。やまださんもTシャツを買っていたが、一枚10ドルとかなり高い値段だったようだ。 バスに乗って出発を待っていると、中にビデオを売りにやってきた。(このツアー関係者と思われる)一本10ドルという事で、英語、スペイン語、日本語の解説があるらしい。ただ、日本語版はケースに手書きで「JAPONES」と書かれているだけなのでホントに大丈夫なのだろうか?きたがわさんと自分が買う事にしたが、日本語版は今一本しかないので後でホテルに持って来て貰う事になった。後で解った事だが、このビデオは正式に売られているもので、この人は勝手に(?)コピーして売っているようである。正式版はケースがちゃんと日本語になっている。帰ってみてみたが、やはりダビングの質が良くなくて所々画像が乱れていた。 店を出発するとバスの前の方に男性3人が乗ってきている。到着まで地元の音楽を演奏してくれるらしい。しばらくこの音楽を聴いているとライトアップされたサクサイワマンに到着。車内灯は消えてしばらくこの幻想的な風景を楽しんだ。残念ながらバスの振動があるため、一眼レフでの写真撮影は諦める。コンパクトカメラでフラッシュをたかずに撮影したが、ちょうど出発してしまって画面が流れてしまった。シャッター速度が3秒くらいだったからなあ。 それからまた音楽が再開される。予想通り最後にチップを貰いに来たので1ソレス渡しておいた。チップを渡している人は全体の半分くらいといったところか?町中に入ってからそれぞれのホテルまでバスで運んでくれるようだ。町の細い路地を抜けて19時前にホテルに到着した。 ロビーの戻ってフラビオと話をすると、どうもマチュピチュに向かう列車でトラブルがあったようで、明後日だと乗れなくなる可能性があるようだ。明日だったら間違いなく行くことができると言うことだったので明日聖なる谷に行く予定を変更してマチュピチュに行く事にした。ナスカの二の舞は勘弁してほしいからなあ・・・。(^_^;; 聖なる谷の市場は日曜日が本番なので明後日だとほとんど無いかも知れないという事だったが、そっちよりマチュピチュの方が大事である。いったん部屋に戻って準備をしてから夕食へ向かう。(19時半)高山病のせいかどうも頭が痛くてしょうがない。高地では極力水を飲むようにと書かれていたので、水を飲んでいたら逆に気分が悪くなってしまった。(T^T) 目的の店は中央広場の近くにあるらしく、そこまで歩いていくようだ。途中に換金所があったので米ドルからソレスに換金していった。途中に土産屋があったのでここに寄っていったが、結局また明日来ると言って何も買わなかった。ポストカードを買おうと思ったが、一枚2ソレスと高かったので諦める。 15分くらい歩いてLostominesというレストランに到着。今日は体調も回復してきていたが、先ほど水を飲んでからどうも食欲が無くなってしまっていた。ビールは高山病にあまり良くないという事だったので、今日は我慢する。注文したのは唐辛子の肉詰めチーズ揚げ(名前は忘れた)とグリルチキン。なかなかおいしかったが、かなりボリュームがあったため全部食べる事が出来なかった。店では先日と同じようなグループが演奏していたが、なんかうるさいとしか感じなかったため、後でチップをもらいに来たときにもあげなかった。CDも売りにやってきていたが、もう買っているので買う気はしない。 きたがわさんはかなり体調が悪いようで、ジュースとスープを飲んだだけでダウンしていた。体調が最悪状態に陥っているようで、先にタクシーで戻ることにしたようだ。アレックス達はこのあとどっかに行くようだったが、自分たちはタクシーで先にホテルに戻ることにした。(21時半)明日の水の買っておかないといけないが、さやかさんがまとめて買い出ししてきてくれるようだ。 部屋に戻るときたがわさんは完全にダウンしていた。部屋で荷物整理しているとさやかさんが買い出しした水を持ってきてくれた。体調の悪いきたがわさんにスポーツドリンクの差し入れ。明日も早いので荷物の準備をしてから22時半には就寝。 |
01 ホテルの前にて 02 高台からの眺め すばらしい青空!!(^_^) 03 野菜スープとマライヤ 石にしか見えないなあ・・・(^_^;; 04 店の前でロッキーと 日差しが強くて大変です 05 ついにクスコに到着 後ろの山にはペルーバンザイの文字が 06 岩登りに挑戦? 07 帰りのバスの中での演奏会 08 中央広場にて ライトアップされたカテドラル 09 今日の夕食 おいしかったです(^_^) |