道祖神主催 ペルー 空中都市マチュピチュへ その5 ナスカの遊覧飛行・・・・中止!? |
08月08日 0 km ナスカ |
今日の出発は11時なので朝はゆっくりする事が出来るが、目が覚めるとなんと10時!(@_@) 朝食をとりにレストランへ行ってみたが、すでに片づけが終わっていた。(T^T) きたがわさん起こしてくれ〜!ちなみにきたがわさんも遅くまで寝ていたようで、みんなが朝食を終える頃にやってきたらしい。朝食を諦めようと思ったが、フラビオが連絡してくれてなんとか朝食を取る事が出来た。胃の調子はだいぶん良くなってきていたのでいっぱい食べたかったが、また痛くなってもこまるのでほどほどでやめておいた。 きたがわさんに胃腸薬を貰おうと思ったが、どっかに行っているのかいなかったのでありあけさんに胃腸薬をもらう。ありあけさんは旅行当初からお腹の調子が悪いみたいで、正露丸を飲み続けているらしい。「悪いのは悪いが、体調は低い位置で安定しているから問題ない。低め安定!」と言っていた。ちなみに夕べからたなべさんもお腹の調子が悪くなってきたみたいで、二人でトイレの奪い合いをしている状態らしい。(^_^;; 部屋に戻ってから10時半に準備を終え、プールサイドに行って出発を待つ。準備といっても今日は観光だけなのであまり持っていくものもない。11時にツアーの車がやってきたが、フライトがさらにずれ込んでいつになるか解らなくなったようだ。(T^T) 無線で相方と連絡を取っているらしく、乗れる事になればすぐに連絡が入るようなので、まずは観光に向かう事になった。なお、フラビオとロッキーは留守番である。 なぜ予約しているのにフライト時間がずれるのか聞いたところ、どうも前日からのずれ込んだ人たちを先に乗せているらしい。普通はその日に予約している人たちが優先されると思うが・・・。前日まではあまり天気が良くなくて乗れなかった人が多かったようだ。天気というより、風の影響で飛べなくなる事が多いようである。しかもこの時期はハイシーズンで観光客も多いらしい。 バスに乗って町の郊外に向かい、カンタヨク遺跡という地下水路の遺跡へ。(11時半)ここでガイドから説明を受けて30分くらい観光する。ガイドは遺跡の入口で土産売りもやっている人で、スペイン語だけでなく、英語も話す事が出来た。ここで昨日レストランで会ったイタリア人と再会してやまださんは一緒に写真を撮っていた。 地下水路 この地下水路はプレ・インカ時代に作られたと言われる遺跡でアンデス山脈からここまで引かれているという。ただ実際は昔からずっと使われているもので、正確にいつのものかははっきり解っていない。ただの地下水脈を引いているのではなく、岩で四方を覆われていることから、間違いなく人工的に作られたものである事が解る。 最初に水路を造ったが、ここに来るまでに蒸発してしまうため、地下に水路を埋めたと考えられている。地表から3m〜5m位の深さに作られているため、水をくみ上げるための渦巻き状の道が造られている。現在10数本の水路が確認されており、水のくみ上げ場所も数十カ所あるようだ。 年に一回、乾期で水路の水が少なくなった時に地下水路内に入って水路の清掃を行っているらしい。一番上流の水くみ場までの清掃をするが、それよりも先には行った事はないらしい。その先には穴がないので空気の問題があるらしい。水路が狭くなっていていけないのかも知れないが、専門的な機械があればもっと詳細な調査が出来るだろう。 ここから遠くに山を見る事が出来るが、その向こうに茶色の山が見えていた。その山は砂丘らしく、標高は2080mもあるらしい。(@_@) 砂丘でこの高さがあるというのは世界一かも知れない。 途中の畑にサボテンが植わっているので何故か聞いてみると、栽培には二つの目的があるらしい。一つはサボテンに付くコチニールという虫を育てるためで、もう一つはツナという果物を栽培するためらしい。コチニールという虫は紫色の体液を持っているため、染料の原料になるらしい。サボテンを栽培してこの虫を少し放しておくとどんどん増えて、しかもよそに飛んでいかないためいい儲けになるらしい。この商売でかなり儲かった人がいるようだ。 町中に入ってから「TOTO」というナスカセラミックの店に到着。(12時15分)ここはナスカ時代の磁器を復元して作っているところである。寒いと思ってフリースを持ってきていたが、さすがに暑くなってきたので脱いでいた。車に荷物をおいていきたいところだが、何かあった場合にドライバーの責任になってしまうため、すべて持っていってくれと言われる。ちなみにたなべさんはこんな陽気にもかかわらずジャケットを着込んでいる。見ているこっちが暑くなりそうな感じであるが、本人は寒いと言っていた。風邪でも引いたのかな? 思ったよりも小さな工房で、中はかなり狭い。他にも観光客が来ていたのでよけい狭く感じてしまう。ここでナスカセラミックの作り方を説明して貰った。なぜかこの工房の中にスズキのバイク(ウルフ?)があったのにはびっくりである。たなべさんはおなかの調子が悪いのか、ついて早々にトイレに駆け込む。 ここの土産屋でナスカセラミックの複製品がいろいろ売られていたので、鳩の形の笛を購入。32ソレス(定価35ソレス)だったので50ソレス払ったが、おつり用の細かい硬貨がないらしい。こっちの店では細かい硬貨はほとんど準備しておらず、買う方が硬貨を準備するのが普通らしい。それ以上は負けてもくれないようで、どうしようかと思っていると米ドル硬貨でもいいという事になり、30ソレスと50セント(25セント×2)払うことにした。こっちでは米ドルの硬貨は珍しいのか、記念にとっておくと言っていた。ちなみにこんな会話をスペイン語でできるわけなく、すべてさやかさんの通訳経由で行われたことは言うまでもない。なお、セラミックにはコピー品と書いてあるが、空港で何か言われたらここで買ったと説明してくれということで名刺をもらう。 次の場所に向かうために外に出て車に乗り込んだが、車に乗って1分もかからないところにある金の精錬所だった。(12時45分)こんなに近いのであればわざわざ車に乗らんで歩いてもよかったやんか。建物の中に入っていくと、中はなんか雑然としている。ほんとにここで金の精錬なんかやっているのだろうかという感じである。中から男性が出てきて金の採掘から精錬までの行程を小さなミニチュアや写真を使いながら説明してくれた。大まかな行程は以下のような感じ。 1. 近くの金鉱で金を多く含んだ岩石を採掘する。機械などはなく、ほとんど人力。鉱山の中ではひたすら採掘するだけなので入る前にたばこを吸ったり、酒を飲んだりして鋭気を養うらしいが、酒を飲んでいて大丈夫なのだろうか? 2. 岩石の詰まった一袋30kg位の袋を担いで30分くらいかけて近くの道路まで運ぶ。そこから車に積んでこの精錬所まで運んでくる。 3. 大きな岩石の成分を分析し、金の多く入っていると思われる岩石を粉砕する。 4. 粉砕した岩石をボールミルで粉化させる。 5. 粉化させた岩石と水銀を混合し、水を流しながら5時間攪拌する。攪拌は大きな石の臼と大きな石をすりあわせることによって行うが、電動ではなく、石の上に人が乗って揺さぶるという原始的方法である。 6. 攪拌することによって金と水銀が結びついたアマルガムが沈殿する。このアマルガムを特別な布で絞り出すと金が分離できる。 水銀を普通に使っているのがちょっと恐いので質問してみると、ゴム手袋を使っているから大丈夫とのこと。ほんとか?ただ年をとると躰がだめになってくるらしいので若い人の仕事といっていたが、単にそれは徐々に体内に蓄積されているだけだろう・・・。(^_^;; どうもこういう知識はほとんどないようである。 ちなみにこの金の精錬には許可など必要なく、やろうと思えば誰でもできるようである。つまり自分たちでもやろうと思えば、鉱山に採掘に行って自由に精錬できるらしい。普通にやって1日で1g位の金が採れるようだ。 説明を受けた後で、実際の装置を見て回る。観光用の大きな臼があったので上に乗って写真を撮って貰った。奥の方ではほんとに攪拌作業をやっている女性がいた。この作業は基本的に女性の仕事らしい。一通り見て回ってから工房の横にある工芸品売り場へ。ここには金製品も少しあったが、ほとんどが石を加工した工芸品だった。自分ときたがわさんはここで卵の形に加工した石を購入。玉子の形の石とその土台あわせて23ソレスだった。 たなべさんはお腹の調子が悪いようで、さっきのセラミックの工房でトイレに行ったのにまた行きたくなったようだ。先ほどのセラミックの店にトイレを借りに行った。ということでしばらく車のところで戻ってくるのを待つ事になる。自転車でアイスを売っている人がやってきていたが、胃の調子が悪いので買わなかった。かなり暑かったので食べたかったんだけどねえ。 バスの運転手はセスナ会社のオフィスと連絡を取っているが、未だに状況がはっきりしないらしい。(T^T) ということでいったんオフィスに行ってみる事にした。(13時半)ここにはフラビオとロッキーもやってきていたが、この時点でも全く予定が立たない。オフィスには自分たちと同じように待っている人が大勢いた。まだこの時点ではなんやかんやいいながらも乗れるのだろうと思っていたが・・・。 アレックスはオフィスの隣にあったレストランAlegria Restaurantで水を買ってくつろいでいた。さすがにお腹が減って来ていたので昼食をとることにしたが、動くのもめんどくさいのでここで食べていく事になった。 お腹の調子もあまり良くないので紅茶とチキンのフルーツソースのみ注文する。きたがわさんやありあけさんが飲んでいるビールがうらやましいが、さすがにこれ以上ひどくなってはまずいので我慢我慢。(T^T) たなべさんも体調が良くないのでスープとホットドッグだけ注文していた。やまださんは飛行機が苦手らしく、ずっといつ乗るのか気になっていたせいで胃の調子が少し悪いようである。なんか日本人は満身創痍という状態になってきた感じだ。(T^T) しばらくこのレストランで待っていたが、らちがあかないのでホテルに戻る事になった。(15時) フライトは17時までなのであと2時間のチャンスしかないが、この時点で乗れる可能性はもう1%位しかない様である。こんなことなら、今日は天候が悪いのでフライトできないと言われていた方がよっぽど良かったという感じだ。(^_^;; 飛行機は飛んでいるのに予約している人が乗れないと言うのがマジで悲しい・・・。(T^T) やまださんはこのナスカの地上絵を一番楽しみにしていた様でかなり残念そうだ。自分としては一番がマチュピチュ遺跡、2番目がイカ砂漠走行、3番目がナスカの地上絵という期待度だったからまだ良かったが、それでもここまで来て見る事が出来ないのは悲しい事である。ナスカの地上絵を見るためだけにペルーにやってくるにはここはあまりに遠すぎるからなあ・・・。(^_^;; 「昨日観測塔から少しだけでも地上絵を見ていて良かったねえ。」とみんなで話していたが、たなべさんはその会話にはいることができない。今日空から見れるからと言って、昨日観測塔に登らなかった事を後悔しているようだ。 ホテルに戻ったが、周りには何もないので特にすることもない。プールサイドでアレックスやさやかさんと話したりしていた。予想通り17時になっても連絡は入らず、ナスカのセスナフライトは断念することになる。(T^T) ホテルに小さなサッカーゴールがあったのでアレックスがサッカーをやろうと言い出す。マジでするのか?体調が悪いのであまりやりたくはなかったが、一緒にすることに。といってもやったのは自分とアレックス、さやかさんだけだったのでまともにゲームはできない。30分位でかなりくたくた状態になってしまった。このあとアレックスは水着に着替えてプールで泳いでいたが、自分も体調さえよければ泳いでいただろう。 18時に近くにあるアントトニオ博物館に行くことになったが、アレックスはホテルでくつろいでいるつもりらしい。タクシーに乗って博物館へ向かったが、タクシーのフロントガラスが割れているのはちょっと恐かった。車検がないとはいえ、これくらいは修理しろよなあ。博物館の入り口は分厚い扉で閉ざされており、インターホンで中に連絡するとドアが開いて中にはいることができた。 博物館では1グループにつき一人のガイドがついて説明してくれるようになっている。しかしスペイン語で説明したのを日本語に通訳してもらうため、普通の倍近い時間がかかってしまうのは仕方のないところか。ナスカの文明の説明から始まり、ナスカの土器や民具の説明を受けていく。かなり細かく説明してくれるのはいいが、そこまで詳しくせんでもいいよという感じもする。 建物の外にもナスカ時代の墓やナスカの地上絵のミニチュアが展示されている。こんなものを見ると今日見れなかったことがよけいに残念に思えてしまう。「ほんとだったら今日本物を空から見れていたんだよなあ・・・。」1時間ほど観光してここを後にする。 ここからタクシーに乗って昨日行ったレストランへ直接向かう。タクシーは一台しかやってこなかったが、サポートカーがやってきたので分乗して乗っていく。昨日よりはだいぶん体調もいいので、チキンスープ(ヌードル入り)、スチームフィッシュのレモンソースあえ、マテ茶を注文した。さすがにビールは飲まなかったが・・・。一階に昨日のグループが演奏にきていたので、「今日はカメラがあるぞ」と意気込んでいたが、2階にはやってこなかった。(T^T) 9時15分にレストランを出てから近くの店に買い物へ向かう。明日はアンデスの山越えでかなり寒いと思われるが、たなべさんはあまり服を持ってきていないのでフリースを購入するつもりらしい。自分たちも水を購入したが、最初に買った店は1.5ソレス、次に行った店では1ソレスとすぐ近くの店でも値段に差があるのにはちょっとびっくり。 タクシーを捕まえて22時にホテルに戻ったが、今回乗ったタクシーのフロントガラスは運転もつらいのではないかというくらい全体的にひびが入っていた。とりあえず事故もなく無事にホテルに到着する。(^_^;; お風呂に入ってさっぱりしてから22時半頃にはそうそうに就寝。明日の朝は5時に出発なので4時には起きないといけないなあ。 |
01 地下水路の遺跡 02 金の精錬所で観光用の石臼の上でダンス? 03 今日の昼食 フルーツソースが結構おいしかった(^_^) 04 気温は低いのに元気に泳ぐロッキー 05 ホテルにいたアルパカ 06 今日の夕食のスープと魚 |