2001 屋久島・種子島へ その8 やっと種子島に渡った |
03月10日 バイク移動距離 142km 鹿児島県 屋久島→鹿児島県 種子島 |
7時過ぎに起きて出発準備をする。さすがに今日種子島に渡らないともう帰るしかなくなってしまう。(^_^;; 朝食代わりにタンカンを食べてから8時にはパッキングを済ませる。今日のフェリーは13時20分出航なので急いでいく必要もないので他の人たちが出発していくのを見送る。みんなの出発を見送ってから談話室に戻ってだらだらと過ごす。10時にペアレンツに挨拶してから出発。 今日は天気もいいので西岸を通って宮乃浦に行くことにした。今度こそ晴れた西部林道をみることができそうである。(^_^) 西部林道に入る前にまたもや大川の滝に寄って行く。(10時20分)しかし滝の下までは行かないで、記念碑のところで写真を撮ってもらっただけ。香川から来ていたライダーとしばらく話をしてから出発する。 今回はかなり天気がいいため、海の色も輝いている。途中で風景写真を撮りながら走っていくと屋久猿の姿をしばしば見かける。これまでは天気が悪かったので道路まで出ていなかったんだろう。途中には屋久鹿も姿を見せたが、猿と違ってバイクの音に驚いてどっかに行ってしまった。11時40 分に宮乃浦のフェリー乗り場に到着した。(61km) 種子島行きフェリーの乗船券の発売は12時からなので先に昼食を食べに行く。前のレストランに行くのもいやだったので店を探して走ってみるがやはりいい感じの所がない。しょうがないので港近くにあったそば屋「楓庵」に入る。ここで天ざるを注文したが、あまりおいしいものではなかったが、まあ仕方ないんだろうか?付け合わせに薩摩揚げが付いているのがいかにも鹿児島らしいが・・・。日石でガソリンを給油して(226km/8.0L)フェリー乗り場へと行く。(64km) 乗船券を購入してから(2360円)2階の待合室にあがるとKMさんが座っていた。乗船時間がくるまでここで彼と話をしていた。KMさんはあの後このフェリーで口之永良部島に行っていたらしいが、フェリーが欠航してなかなか島を出られなかったらしい。しかも帰りはかなり海が荒れていたためバイクにまで海水がかかって最悪だったようである。まあ、小さなフェリーだから仕方ないんだろうけどね。あっちの島ではフェリーがしばらく欠航すると店から食料がなくなってしまうため、行くときは数日分の食料を買っていった方がいいと言っていた。 乗船時間が近づいてきたのでバイクの所に行って乗船を待つ。昨日フェリー乗り場であったというチャリダー二人がやってきた。乗船まで4人で話をして待つことにした。みんな昨日種子島にわたる予定だったらしいが、フェリー欠航のため今日になったようである。 種子島に行くフェリーが口之永良部島から戻ってきたが、中にはなんと子牛が乗せられていた。この牛が言うことを聞かないため、おろすのにかなり手間取っていた。しかも甲板は牛のふんだらけになっているので掃除するのにまた時間がかかっていた。13時頃にやっと乗船することができて席に座って出航を待つ。 13時20分に予定通りに出航。思った以上に乗っている客が少なくフェリーの中はガラガラである。徐々に屋久島が遠ざかっていき、代わりに種子島が徐々に近づいてくる。席に座って到着を待っていたが、なかなかつきそうにない。まだ島は遠いなと思っていたらもうすぐ到着との放送がかかった。フェリーの反対側に行ってみるとほんとにもう島は目の前になっていた。14時20分に島間(しまま)の港に着岸して下船する。 ここで他の人と別れて国道58号線を一気に走っていく。まずは種子島宇宙センターに行こうと思って県道586号線に入る。思ったよりも道路はきれいだったが、あちこち工事中の所がある。車はほとんど走っていないのに道路を拡張する必要はあるのだろうか?案内板に従って走っていき、14時45分に宇宙科学技術館に到着する。 技術館の中にはこれまでのロケットの歴史や、説明、ロケットの模型が展示されていた。あちこちに簡単なゲームが置いてあるが、ゲーム内容は15年くらい前のコンピューターゲームと言った感じのものばかりである。つまりとてもちゃちい。1時間くらいかけて観光してから外に出る。 技術館の横のカーモリの峰展望台からの眺めはかなりいいものだった。この後横の海岸へ行く。バイクに乗って敷地内を走っていくが、中にある案内板が固有名詞すぎてどこに行けばよく分からない。とりあえず灯台近くの大崎展望台へ行って、展望台にあがってみる。ここの建物の上は観覧席になっていたので、ロケット発射の時はここに多くの人がやってくるのだろう。ちょうど正面にロケットの発射台が見えるようになっていた。 続いてロケットの丘展望台へ行く。ここからは発射台が一望でき、記念写真用にカメラ台まで設置されている。記念撮影を行うために作られたところのようである。写真を撮っていたらバスで団体客がやってきたので早々に退散する。 さらに奥に入って発射台の近くまで行ったが、ここからはゲートが閉まっていて関係者以外は中にはいることができない。ロケットの発射台は見えるが、残念ながら建物は閉じてしまっているためロケットはみることができなかった。まあ本体が入っていたかどうかはわからないが・・・。だいたい全部を見て回ってから最後に実物大のH-UAロケットの模型の前で記念写真をしてからここを後にする。(16時45分) 続いて鉄砲伝来の地である門倉岬に行くため県道75号線を南へと走る。途中に何件か民宿を見かけたがどうも営業している感じがしないので寄っていかなかった。ロケット発射の時期にしか営業していないのだろうか?(?_?) 県道から案内板に従って脇道に入って門倉岬へ到着する。(17時)ここは1943年にポルトガル人が漂着して鉄砲を伝えたところである。岬の先端にはこのときのポルトガル船をイメージした船の形をした展望台があった。岬を歩いていると木の陰に種子島最南端の碑(東経130度53、北緯30度20)がたっていた。何でこんな隅っこにたてられているんだろう。これは気づかんぞ・・・。最後に「鉄砲伝来紀功碑」の前で写真を撮ってから出発する。(17時15分) 県道75号線に沿って北上していくと途中から海岸線に沿った道になった。相変わらずほとんど車は走っていない。というより全く走っていなかった。晴れていれば西の海に屋久島がはっきりと見えるんだろうが、残念ながら曇っているためかすかにしか島影が見えない。夕日の時間にまでに少しは晴れてくれるとうれしいんだが・・・。 町中に入って走っていくがどうも宿が見つからない。電話ボックスを探してタウンページで民宿「長三」という名前を見つけて電話してみると泊まれるようである。よかったよかった・・・。(^_^) 夕食は無理と思っていたが、あり合わせでいいなら準備できると言うことだったんでお願いすることにした。民宿はほんとに普通の家の部屋を利用している感じのところで看板がでていなかったら絶対にわからないところでだった。宿に荷物を置いてすぐに夕日の写真を取りに行く。写真を撮って帰る途中でAコープとコンビニで食べ物と雑誌を購入して宿に戻る。(18時半・142km) 夕食ができていると言うことで早速食事をとることにした。急遽宿を取ったためあり合わせの食事と言っていたが、ほんとにその通りだった。(^_^;; ウナギの蒲焼きに餃子の組み合わせだもんなあ・・・。ビールを飲みながらゆっくりと食事をとる。 夕食後はお風呂に入って部屋でだらだらとしていた。宿に置いてあった雑誌を読んでいたら11時になっていたのであわてて就寝。(-_-zzz |
01 YHの前で他のホステラーと 02 西部林道で道に現れた屋久猿 おそってこないか心配だった・・・。(^_^;; 03 太陽丸に乗せられてやってきた子牛たち ドナドナドーナードーナ〜〜〜〜 04 KMさんとチャリダーたち 05 科学館の奥にある海岸を歩く 06 ロケットの丘からの展望 遠くに見えるのが発射台 07 実物大H2Aロケット模型の前で 08 鉄砲伝来記念碑 09 屋久島にかかる夕日をバックに |