2000/07 モンゴルへ

その5 ついにダートも終了


07月26日(5日目)   移動距離 163 Mile   サイハンオボ近郊→ホユルザザール
 6時過ぎに起きて出発準備を整える。7時から朝食。メニューはパンにスクランブルエッグ、ソーセージ、パイナップルである。Tさんは朝から家畜の糞を集め、これに火をつけて料理をしていた。最初は臭いが気になっていたが、あまり変な臭いはしないものである。ゆっくりと朝食をとり、8時頃に朝食を終えて、テントの撤収をする。ここでメンバー全員の写真を撮ってから8時40分に出発する。
 出発する頃になってちょっと雨が降ってきたが、小降りだったので気にせずそのまま走っていく。本降りにならないことを祈っていよう。道路に復帰して走っていくと町が近くなっているためか対向車が多くなってきた。なんか久々に車とすれ違うような気がする。今まですれ違っていた車は、道路脇までよけてくれていたんだが、今回の車はもろ向かってきたので結構怖かった。えいこさんはぶつかりそうになったらしい・・・。(^^;;
 しばらく走っていると徐々に高度が高くなってきて寒くなってきた。景色も草原から高原のような感じになってきた。途中でオボーの所で休憩。(9時50分・42マイル)景色はとてもいい感じなのに、天気が悪いのが残念である。天気が良かったら緑が映えて最高にいい景色なんだろうけどなあ・・・。(T^T)
 しばらく走っていると徐々に雨がひどくなってきて荷物が塗れ始めた。このままではカメラがやばいと思い、分かれ道の所でカッパを着ることにした。サポートカーの到着を待って荷物からカッパの上だけを取り出して着込む。他の人はそのまま走っていくようである。カッパを着るとパターン通り雨がやんでしまったが、寒かったので防寒にちょうどよかったかもしれない。(^_^)
 途中からかなり険しい道になってきた。山の斜面に強引に作った感じで、バイクはまだいいが、車にはかなりつらい道だろう。途中の分かれ道で後ろがやってくるのを待つ。ここからの風景はモンゴルと言うよりはヨーロッパみたいな感じである。先に進んでいくと道が見えないなあと思っていたら、急斜面になっていて落っこちるかと思ってしまった。感覚的には本当に崖を降りたみたいな感じ。スピードを出していたらそのままジャンプしていたかもしれない・・・。(^^;; 途中から左手に川が現れたが、そっち側は崖になっていて落ちそうで怖い。もちろんガードレールなどはないのでよろけたらそのまま崖下である。その先の少し広くなったところで休憩をとる。(73マイル)横にきれいな川が流れていて日本みたいな風景である。
 そこから山道を少し進むと山が開けて平坦な道になった。分かれ道でサポートカーを待ってから出発するが、そのまま川(先ほど川)の方に向かっていく。どうやらこの川を渡るみたいだが、橋はかかってないのでバイクで川の中を通っていくしかない。(75マイル)まあ、川幅5m位の浅い川なので大丈夫だろう・・・。オーストラリアの時の増水した川をわったった時と比べれば楽勝である。
 しばらく走ると舗装される前の道路という感じの道に出た。もうすぐダートも終わりかなあ・・・。ほとんどまっすぐの道だが、所々水たまりがあってちょっと走りにくい。シャンハ村を越えた辺りでウランバートルを出て初めて道路標識が立っているのを見つけた。町が近づいているんだなあ・・・。
 90マイル走ったところでついに舗装道路に合流した。これで今回の旅行でのダートはほぼ終了となった。後はほぼ一直線に伸びる舗装道路をカラコルム目指して進んでいく。舗装道路になったとはいえ、道の両側は相変わらず草原ばかりである。途中から民家も見え始め、町の中に入ってきたことが分かる。そのまま町中を通り、エルデニゾーという寺に到着した。(12時半・100マイル)
 まずはここカラコルムの遺跡を見学してから昼食である。久々に大勢に人を見たような気がする・・・。遺跡への出入りは自由であるが、中で写真を撮るには5ドルかかるそうである。せっかく来たんだからと思って写真は撮ることにした。

カラコルム
モンゴル帝国第2代皇帝オゴデイが1235年に建設した首都であるが、5代目のフビライが首都を北京に移したあと、急激に衰退してしまった都市である。その後、1586年にエルデニ・ゾーとして寺が建立された。第一代の住職はホルダハーニであり、1937年のロシア進出までの間、第8代まで続いた。ロシア体制下、国内の2万人の僧侶が処刑されたそうである。この寺にも5千人の僧侶が住んでいたが、全員処刑され、寺も一部を残して全部壊されてしまったらしい。入って左手にある建物はゴルバンゾーと言われ、16世紀に建てられた当時のもので、建物の取り壊しを免れることのできたものである。

 城壁の中にはほとんど建物はなく、ほとんど野原になっている。昔は建物がいっぱいあったそうであるが・・・。土産は後で見ることにしてますは見学に向かう。建物にはカギがかかっているが、案内のおばちゃんがカギを開けて中に入れてくれた。しかし自分たちが出るとカギを閉めている。案内を依頼した人しか基本的に中を見れないんだろうか?観光終了後、土産屋へ。
 土産屋の店員には英語はほとんど通じない。土産屋の中をうろついていると短剣を展示しているところに目がとまる。買おうかと思って値段を聞いてみたが、一番安いものでも100ドルする。さすがにちょっと手が出なかった。いろいろと見ていったが、結局購入したのは小さなナイフ(30ドル)、小さなお猪口(10ドル)、フェルトのスリッパ2足(15ドル×2)である。しかしこの店、どうも聞く人によって金額が違うような気がする。
 NTさんは姉が日本に住んでいるという女性をナンパ(?)していたし・・・。(^^;; 結局1時間近く土産屋の中をうろついていたようである。土産物を購入して満足したところでバイクの所に戻る。購入した土産物を車に積み込んで昼食の場所に向かうことになった。はじめは草原の中で食べる予定だったらしいが、天気が悪いので近くのキャンプ場内にあるレストランで食べることにしたらしい。エルデニゾーを出発して、アナルキャンプ場に到着した。(14時10分・104マイル)
 メニューはパン、ジャガイモとニンジンのサラダ、ボルシチ、ご飯、鶏肉(酸っぱい)である。今までの旅の話や、先ほどの土産屋の話をしながらゆっくりと昼食をとる。外で食べるのに比べると本当にゆっくりできるなあ。外に出ると相変わらずどんよりした雲が広がっている。当初はここカラコルムの近くにあるキャンプ場で宿泊予定だったが、時間が早いので100kmくらい先に行ったキャンプ場まで行かないかという話になった。ここから先は舗装道路なのでそんなにきつくもないし、先に進むことにした。ガソリンを給油してから15時半に出発する。
 来た道を戻り、亀石(亀趺・・・きふ)を見に行くため途中から山の上に向かって走っていく。亀趺と世界を亀が支えているという神話からきている物らしい。山の上に続く道はかなり急な坂になっている上、下がダートで結構大変だった。山の端の方にいくと先ほどいたカラコルムの遺跡を見下ろすことができる。天気が良かったらもっと眺めが良かっただろうなあ・・・。Aさんから山を下りてからの道順を聞いて一気に山を下りる。かなり急な道なので後ろブレーキで降りたいところだが、後ろブレーキはほとんど利かないので前ブレーキのみで降りていかないといけない。(T^T) ブレーキランプが壊れて付かなかったので後ろから来ていたえいこさんはブレーキをかけないで降りていると思ったらしい。それは無理やっちゅうに。(^^;;
 舗装道路に出て、東へ向かって走っていく。道の状態もよく、ペースよく走っていくことができた。この舗装道路に平行してダートの道が続いているのを見ると走りたくなる・・・。ダートに比べると緊張感があまり無いため眠気が襲ってきて困る。(T^T) 途中から道の状態も悪くなり、あちこちに穴が開いている上、スコールがあったのか道路がかなり塗れてきた。単なる水たまりか道路に開いた穴かよく分からなくて走りにくいことこの上ない。しかし土産物屋で時間をつぶしていなければスコールに遭遇していたかもしれない。いやー、よかった。
 10マイルくらい走ったところで脇道のダートに入って走ること2マイル。今日のキャンプ場・ホユルザザールに到着した。(17時20分・163マイル)ここのキャンプ場の周りにはほんとに何もないところで、ひたすら草原が広がっている。バイクを止めてからゲルに案内してもらう。簡単に荷物を整理してから、服を着替えてやっと落ち着くことができた。
 キャンプ場の入り口で写真を撮ってから、キャンプ場の裏に山に登ってみようということになった。ここから見るとそんなに遠くないのでそんなに時間はかからないだろう。先にえいこさんと山を目指して歩いていく。ひたすら歩いていくが、全く山が近づいてこない・・・。思った以上に遠いようである。しかも近づくにつれ、山の斜面が結構急であることが分かってきた。うーむ、遠くから見るとよく分からないもんだなあ・・・。
 山の麓までは1km以上あったんではないだろうか?もっと近いと思っていたんだけどなあ・・・。山を登る前に麓にあった岩の所で休憩をとり、後ろからやってきているNTさんを待つことにする。えいこさんはかなりダウンしていて大きな岩の上でくつろいでいた。NTさんが追いついて少し休憩した後、山登りを開始する。えいこさんはもう少し休憩して、後から登ってくるようである。
 山はかなり急な斜面の上、岩がもろく崩れやすい。自分が先に登っていたが、真後ろから来られると落石の心配があるので別々のルートで登っていくことになった。ひたすらのぼり続けること10数分、やっと手前の山頂に到着した。さらに上の方にいけるところがあったが、さすがにサンダルだとちょっと無理があったので引き返す。こんな所にサンダルで来るなよと言う話もあるが・・・。
 ここで写真を撮って待っているとやっとえいこさんもやってきた。そこで先ほど行こうとした所に行ってみることにした。自分が通ろうとしたルートはかなり危ないため、迂回して頂上を目指す。迂回するとそんなに危険ではなかったので問題なく山頂に行くことができた。さらに高いところはあったが、とっかかりもないような大きな岩なのでさすがに登ることはできない・・・。
 見晴らしのいいところに移動してしばらくくつろぐことにした。ここから見えるのは一面の草原と山々だけである。こんな広い草原は日本では絶対に見ることができないだろう・・・。視界に入る建物はキャンプ場と数個のゲルだけである。登り始めた頃はかなり曇っていたが、徐々に空も晴れ渡ってきた。風が強くて結構寒かったが、天気が良くなるまでしばらく待つことになった。
太陽が草原を照らし始めると、緑が映えてすばらしい景色が目に飛び込んできた。いやー、ほんと登ってきたかいがあったなあ。
 まだずっといたかった感じもあるが、夕食の時間が迫ってきたのでキャンプ場に戻ることにした。ひたすら斜面を降りていき、20分位してやっと山の麓に到着した。7時20分頃にやっとキャンプ場に到着。シャワーを浴びてさっぱりしてからテーブルに着いてビールを飲むことにした。(2ドル也)
 8時から食事になったが、どうせ眺めがいいのならと外で食事をとることにした。さすがに寒くなってきたが、草原の中での最後の宿泊だし、モンゴルの風景を十分味わっておこう。ここのキャンプ場はいかにもモンゴルという感じで最高である。
 メニューはサラダ、麺のスープ、カレー、シソ入りのご飯、ノリ、デザートにブルーベリーとパイナップルである。途中でパンをお代わりしながら楽しい食事となった。夕食の途中、日暮れの時間になったので写真を撮ることにした。残念ながら夕日は見れなかったが、夕暮れの空はとてもきれいだった。結局9時半頃まで外で話をしていた。
 土産屋があったということで中に入ってみる。ここで売っているのはほとんど民族衣装関係のものだけである。まず目に入ったテンの毛皮の帽子の値段を聞いてみると、なんと15ドル。日本の感覚で考えると安い!!(実際は普通かちょっと高いくらいの値段らしい)これの購入を決めて次に民族衣装の値段を聞くとおもむろに服を着させ始めた。結局なされるがまま、衣装を着てしまうことになった。この衣装一式で80ドルという事である。結局これとテンの帽子をつけて80ドルで購入することになった。他の3人もそれぞれ服を購入していたようである。結局10時過ぎまで土産屋でみんなと話をしていた。
 01 メンバースタッフ全員で記念撮影
 02 きれいな小川のせせらぎ
 03 ついに道路標識が・・・(*_*)
 04 エルデニゾーの建物の前で
 05 亀の置物(^^;;
 06 姫様、ご機嫌はいかがですか?(^^;; くるしゅうない、近こうよりなさい・・・
 07 すばらしい展望!!
 08 タイミングに合わせて、ジャンプ!!(提供えいこさん)
 09 モンゴル人に見える?