1999/07 北海道・東北地方へ

その14 念仏トンネルを抜けて神威岬へ


07月29日(14日目)   バイク移動距離 10km   積丹→積丹
 朝7時頃に起き、7時半から朝食をとる。外を見ると何とか天気は保ちそうだったので、神威岬に行ってみることにした。どうせ行くなら昔のルートで行くべきだろうと言うことになり、帯広から来ていた大学生ISさんとYさん、名古屋から来ていたIWさんと一緒に行くことにした。自分はバイクで、他の3人は車で神威岬の近くにあるうしお食堂まで行く。うしお食堂で土産をみているとチャリダーのINさんもやってきて、5人で神威岬に行くことになった。
 うしお食堂から昔の道を歩いて行くが、草が生い茂っていてよくわからない。草と木に覆われた道を歩いていくと「この先立入禁止」の看板がついた柵があった。
この柵を「自分の意志」(^^;; で乗り越えて先へと進んでいく。
 しばらく草木の覆われた道を歩いていくと海岸線にでて歩きやすくなる。ここを歩いていると礼文島で歩いた8時間コースを思い出してしまった。さらに進んでいくと、海岸はなくなり、岸壁の下の小さな道を進んでいくことになった。もともとはちゃんと道があったようだが、現在はもう崩れ落ちてしまっていた。崩れ落ちた道の跡を歩き、念仏トンネルの入り口に到着。
 この念仏トンネルは大正時代に掘られたトンネルで、数年前までは神威岬に行く唯一の通り道だった。現在は道路が開通して別のルートが開通し、こちらのルートは閉鎖されている。内部で直角に曲がった鍵型になっているため、中は真っ暗である。もともとは直線で掘る予定であったが、測量のミスでずれていたことがわかり、途中から直角に掘ったため、現在のようなトンネルになってしまったようである。
 まずは念仏トンネルの前で写真を撮ってから中に入っていく。入り口から最初の曲がり角までは明るくて問題はなかったが、曲がると全く中が見えなくなる。壁を伝いながら一列になって進んでいく。反対側の曲がり角を曲がると何とか明かりが入ってきた。
 念仏トンネルを抜けたところに水無の立岩といわれる岩がたっている。この岩の先、神威岬まではどこを掘っても真水がわいてこないと言うことから付けられた名前だそうだ。ただ、現在岩の中央部分から大きな亀裂が入っており、数年もすれば崩れてしまうと思われる。ちなみに別名「女の一生岩」といわれているらしい。(積丹YHだけかもしれないが(^^;;)トンネルの出口から見た姿は、ウエストのくびれたナイスプロポーションの女性であるが、神威岬に向かって歩いていくと徐々に太った体型へと変わっていくことからつけられたらしい。(女性に言わせると失礼な話である)
 念仏トンネルを抜けると、岩の海岸線をひたすら進んでいくだけである。途中から尾根にあがるため階段になっている。階段の手すりはほとんど朽ち落ちていて、残っている部分もさわると崩れてしまう感じである。
 土砂が崩れて無くなりかけている階段を上っていくが、いつ壊れるか分からないくらい朽ち果てているためかなり怖い。何とか登りついて正規のルートに合流し、神威岬の先端を目指す。神威岬の展望台に到着すると、眼下に神居岩を見下ろすことができた。天気が良くなかったので海の色は映えなかったが、とても眺めがいいところである。なお、この神居岩には義経伝説が残っている。(積丹YHの話だけど、はっきり覚えていない)

 奥州で藤原氏の襲撃を受け、命からがら逃げ延びた源義経。東北から船に乗り北海道アイヌの地に逃れる。そしてこの世別にあった村に流れ着いた。逗留している間に、ここの酋長の娘「チャレンカ姫」と恋仲になってしまった。
 しばらくの間、この地で平和な日々を過ごした義経だが、夢を求め旅立ちを決意する。チャレンカ姫にこのことを伝えることが出来ず、黙って出発することになった。
 ある朝、狩りに出かけると言い残して出発していった義経だが、一緒に身の回りの品もなくなっていることに気がついた。あわてて後を追いかけたチャレンカ姫だったが、義経は余別の港から船をこぎだした後であった。あわてて後を追い、神威岬までやってきたときには義経の乗った船は遙か水平線の彼方であった。必死に叫ぶ姫。しかし義経の耳にはとどかなった。悲しみのあまり海に身を投げたチャレンカ姫は海の藻屑となってしまった。
 この後、チャレンカ姫の思いがこの神居岩となり現在も残っている。この神威岬の沖を女人が乗った船が通ると嵐の遭遇するというのはこのチャレンカ姫の魂が今もここ神威岬に残っているからである。
 写真を取り終えてしばらく休憩した後、引き返すことにした。来た道を通っていこうかと言う話になったが、結局正規のルートを歩いていくことになった。途中に念仏トンネルの説明があったが、ここからみるとどうやっても念仏トンネルをみることが出来ない。横にあるただの穴しか見えないので、知らない人はこの穴を念仏トンネルと思ってしまうだろう。ここにあった説明をみるまでもっと昔に掘られたトンネルと思っていた。
 かなり強引に作った感じの道を歩いて女人禁制の門へ。YHでの話だと女人禁制というのは単に神威岬付近の海上のことであって岬に行くのには別段問題ないはずなのにといっていたが・・・。ちなみにこの門は風が強いときに神威岬に行かないようにするための門らしい。
 整備された駐車場から舗装道路を通って下っていく。途中から、昔のルートには行っていくが、人がほとんど通らなくなったせいか道がよくわからない。草や木が生い茂っており、しかも雨に濡れているため、ズボンがずぶ濡れになってしまった。先頭で歩いていたため、蜘蛛の巣は頭にかかるし、結構大変だった。途中、木々の開けたところがあり、念仏トンネルの辺りが見下ろすことの出来るポイントがあった。そして30分くらい歩いてなんとかうしお食堂の駐車場に到着する。駐車場に出るとちょうどタイミング良く、ヘルパーの人がやってきてもうすぐ浜鍋をすることを伝えていった。
 YHに戻って浜鍋に行く準備をする。YHの前の海でやるかと思っていたが、少し離れたところでやるらしい。海で泳ぐから水着で行った方がよいといわれ、下に水着を着て行くことにした。他のほとんどの人は水着を持ってきておらず、水着の代わりになる服装をしていた。荷物を積み込み、ヘルパーの運転する車に乗って出発!!
 車で5分くらい走って、荷物を下ろす。まずは火をおこしてお湯を沸かし、後は用意していた材料を全部ぶち込んで煮えるのを待つだけである。浜鍋が出来るまで海で泳ぐことにした。天気もあまり良くなく、気温も低かったため、なかなか海に入る勇気がでない。意を決して海に飛び込んだが、慣れると何とか泳ぐことができた。貝がとれると言うことだったのでチャレンジしてみるがなかなか見つからない。しばらくしてヘルパーがハマグリとアサリをゲットして戻ってきた。半分冗談で言っていたと思っていたが、本当にとれるんだ・・・。(^^;;
 鍋が出来たので海からあがって鍋を食べる。冷えた体にとても暖かく、おいしかった。しばらく鍋を食べながらみんなと話していたが、再び貝をゲットしようと海に入っていく。結局とれたのは小さなアサリが二つだけであった。(くやしい・・・)
 帯広から来ていた二人が帰る時間となり、ヘルパーをしていた人も一緒に乗っていくため、みんなで3人を見送ることになった。積丹YHの歌の後、次のような替え歌を歌って見送り。「きっと帰ってくるんだと 積丹YHで手を振れば、あの子は小さくうなずいた、神居の岬で誓ったことを、福岡暮らしで忘れたか、帰ってこいよ、帰ってこいよ、帰ってこいよ〜!!」と言う感じの歌である。
 車が出発していくと、ヘルパーたちはみんなで車を追いかけていた。戻ってきた後、またしばらくみんなで泳いでいた。遠くの積丹半島をみるとかなり天気がいい感じだったのでやはりこのとき積丹岬に行っておけばよかった・・・。(次の日は最悪だったし・・・)(T^T) 最後にみんなで片づけをしてYHに戻る。YHについた後は早速風呂に入って体を温める。この後はどこにも行かず、YHでだらだら過ごすことになった。
 今日の泊まり客は少なく、昨晩からの連泊であるチャリダーのINさんとライダーのおじさん、自分と新たにやってきたライダー二人の計5人だけである。昨晩と同じく地元でとれた食材を使った夕食をとる。食事はとてもおいしかった。そして8時から昨晩と同じくミーティングの始まりである。
 ミーティングの後は昨晩と同じく、ゲームをやることになった。今日の×ゲームは振り付きの歌である。北島三郎の歌に歌詞に合わせた振りを踊るというものである。結局最後はみんなで踊ることになったが・・・。そのままいろんな歌を歌いながら踊ってミーティングは終了した。ミーティングの後は昨晩と同じくカンパを集めて酒盛りとなった。さすがに疲れていたのかこの日は早々に寝てしまっていた。それも昨晩と同じくミーティングルームで雑魚寝である。
 01 積丹YHの前で他の泊まり客と
 02 念仏トンネルの入り口で(提供Yさん)
 03 水無の立岩(女の一生岩)
 04 神威岬の展望台で
 05 積丹の海岸で浜鍋 海は冷たかった・・・(^_^;;
 06 みんなで歌って見送り