栃 木 県

史跡・建築物

佐野厄除大師 足利学校 足利学校

佐野厄除大師(さのやくじょだいし)
内容=★☆☆☆☆ お得度=★★★★★

境内の様子
正式名は春日岡山惣宗寺(かすがおかやまそうしゅうじ)と言い、厄よけ大師として比叡山18代座主・慈恵大師を祭っている。川崎大師、西新井大師とともに関東三大師のひとつに数えられ、多くの厄よけ祈願の参拝者が訪れている。
承平7年(937年)、藤原秀郷が平将門討伐の祈願に現在の城山公園に建てたのが始まりと言われる。藤原一門の援助により栄えたが、その後一時衰退する。永仁5年(1297年)に藤原、北条氏の一門の有志により復興し、伝教大師を宗祖と仰ぐ天台宗となった。そして慶長12年(1607年)に佐野家の春日岡移城に伴い現在後に移り、現在に至っている。

厄よけを意識する人が訪れるだけの場所と言った感じで、観光地としてみるべきものはない。歴史は古いようだが、建物も最近建てられたもので金ぴかになっておりちょっと趣味が悪い感じがする。最近はダイレクトメールで参拝を勧誘しているとかしていないとか・・・。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年06月 房総半島を暴走!!
足利学校(あしかががっこう)
内容=★★★★☆ お得度=★★★★☆

学校入り口
日本最古の総合大学で、16世紀にはフランシスコ・ザビエルによって「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介された。江戸時代末期に藩校へと移行し、明治5年(1872年)に廃校になったが、現在江戸中期の姿に復元されている。
敷地内には寛文8年(1668年)に造営された孔子廟や明治36年(1903年)に建てられた遺蹟図書館、また平成2年(1990年)に復元された方丈、庫裡などの建物が建っている。また、現在国宝に指定されている上杉憲実の寄贈した典籍が保管されている。
足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁(おののたかむら)説、鎌倉時代の足利義兼説などがあるが、現在の所どの説も確証が得られていない。室町時代に関東管領・上杉憲実が現在国宝に指定されている書籍が寄進し、庠主(学長)制度を設けるなどして学校を中興したことが歴史上明らかになっている。
天文19年(1550年)には「学徒三千」といわれるほどになり、フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介された。豊臣秀次によって、足利学校の大切な書籍等が京都に運び去られるという事件が起きたが、徳川家康により書籍等は学校に返還され、書籍の散乱を免れた。江戸幕府からの保護を受けていたが、江戸時代の末期には藩校へと移行し、明治5年(1872年)をもって廃校になった。
見学時間=9:00〜16:30、見学料=400円、休館日=第3月曜日。

綺麗に整備されてなかなか見応えのある所。ビデオで足利学校についての説明があるのでこれを見てから建物を見ていった方がよい。静かな時に訪れた方が断然いいだろう。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年06月 房総半島を暴走!!
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)
内容=★★★★★ お得度=★★★★★

唐門と拝殿
見ざる言わざる聞かざる
眠り猫

江戸幕府初代征夷大将軍である徳川家康を奉った神社で、世界遺産の日光の社寺の一つに登録されている。現在の社殿群は、そのほとんどが3代将軍家光による寛永の大造替で建て替えられたもので、55棟の建造物のほとんどが国宝や重要文化財に指定されている。見ざる言わざる聞かざるの三猿や眠り猫の彫刻が有名。
元和2年(1616年)に亡くなった徳川家康は静岡にある久能山に奉納された1年後、遺言に従い現在の地に移された。同年に社殿も完成し、東照大権現として東照宮に鎮座することとなった。この20年後の寛永13年(1636年)に家康を信奉していた3代将軍により大改修が行われ、現在の形となった。
拝観時間=8:00〜17:00、拝観料=1300円。

栃木の観光地としてはもっとも有名な場所で、ほとんどの人が知っている観光地だろう。そのため、観光客も多いので観光するのであれば朝一に行く方がよい。華厳の滝などとセットで観光することも多いが、結構離れているので注意が必要。
細かい細工の施された建物が多く見所はいっぱいあるが、常にどこかの改修工事が行われているので、場合により有名な建物がみられないこともある。古い建物などに興味があるのであれば十分に楽しむことができるが、じっくり見ていくと4時間くらいはかかるんではないだろうか?有名な猿や猫の彫刻は「これ!?」という感じのものであるが・・・。奥の宮は階段が200段くらいあるので最低限の体力が必要となる。

訪問時のツーレポ
 ● 2014年03月 関東旅行