石 川 県

史跡・建築物

安宅の関 兼六園 -

安宅の関(あたかのせき)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

安宅の関址
勧進帳の銅像
源平壇ノ浦の合戦で平家を破り、その殲滅に対抗のあった源義経は、生来の猜疑心からこれを退けようとする時の征夷大将軍兄頼朝に追われ奥州平泉に落ち延びようとした。
頼朝はこれを捕らえようと各地に新関を設けた。(ここにはもともと関はなかった)ここ安宅の関には富樫左衛門泰家を関守に任じ、厳重警戒に当たらせていたところ、文治3年(1187年)3月頃、山伏姿に変装した義経弁慶以下主従12人が通りかかった。他に道はなく、やむなく弁慶は義経を強力(荷役人夫)姿にかえ、関へと向かった。しかし、一行の山伏姿を関守富樫に疑われ、東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧と称し、勧進帳(寄附帳)の空読みを行った弁慶の機智、強力姿に身を変えた義経が咎められるや疑念をはらすため金剛杖をもって主義経を打ち据えるに至り、富樫は弁慶の忠誠心に心をうたれ主従の通行を許すに至る。
この物語は弁慶の智、富樫の仁、義経の勇気が混然と一体に融合した美談として歌舞伎「勧進帳」で演ぜられ、後世国民の鑑として広く世に知られている。
現在の安宅の関には安宅の関跡、勧進帳を読み上げる弁慶像、勧進帳を演じる歌舞伎のシーンを表した銅像などがある。また資料館(200円)があり、中には各シーンの人形が展示されている。

勧進帳で有名であるが、どこにあるのかわからないという人が結構多い場所だろう。現在は碑がたっているだけで関自体は何もない。辺りは松林になっており、なかなかいい雰囲気である。義経に興味がある人にはお勧めの場所だろう。資料館は200円の価値はあまり無い感じで、入らなくてもいいだろう。ちなみに住吉神社に行くと安宅の関に関する説明をしてくれるが、なにかお守りを買わされてしまいそうになるので注意が必要。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年07月 オーストラリアメンバー メンバー再会-4
兼六園(けんろくえん)
内容=★★★★☆ お得度=★★★★★

兼六園の展望
この兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園の特徴を今に残している。岡山の後楽園、水戸の偕楽園とともに、日本三名園の一つに挙げられる。
兼六園はもともと、金沢城の外郭として城に属した庭だったが、加賀藩5代藩主・前田綱紀が延宝4年(1676年)この地にあった作事所を城内に移し、蓮池御亭(れんちおちん)を建てその周辺を作庭した。これが本庭園の始まりで、当時蓮池亭などと呼ばれていた。宝暦9年(1759年)の金沢大火で、この庭も大半が焼失。その後11代藩主が復興に取り組み、安永3年(1774年)に今に見られる夕顔亭や翠滝を築造している。文政5年(1822年)に12代藩主・斉広(なりなが)の豪壮な隠居所・竹沢御殿が完成。この年に奥州白川藩主・白河楽翁に園名の命名を依頼した。楽翁は中国・宋の時代の詩人。李格非の書いた「洛陽名園記」の文中から取って、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼備するという意味で兼六園と名付けた。廃藩後の明治7年(1874年)5月7日、一般開放され、大正11年(1922年)3月8日に名称に指定された。
園内には曲水と言われる小川が流れており、霞ヶ池、瓢池の池が配置されている。また、唐崎松(からさきのまつ)、菊桜などの木々や、夕顔亭、時雨亭などの建物が建っている。
開館時間:7:00〜18:00。入場料:300円。

園内の小川と木々の配置が見事で花の時期にやってくるとさらにいいと思われる。新緑や紅葉の時期もなかなかいいと思うが、冬は雪でも積もっていないとあまり見応えはないだろう。
あまりにも有名な場所の為、休みともなるとかなりの観光客が訪れて園内は人であふれてしまう。とくに団体客なんて来たときには最悪だ。出来れば平日や早朝に行く方がいいだろう。開園と同時に行くと人の全くいない庭園を堪能できる。(^ー^* ) フフフフ


訪問時のツーレポ
 ● 2003年07月 オーストラリアメンバー メンバー再会-4
 ● 2007年09月 信州へ!