岡 山 県

史跡・建築物

後楽園 岡山城 吉備津神社
備中国分寺 千光寺 大橋家住宅

後楽園(こうらくえん)
内容=★★★★☆ お得度=★★★★☆

庭園から岡山城を望む
沢の池湖畔から
江戸時代を代表する大名庭園で、広い芝生地や池、築山、茶室が園路や水路で結ばれ、歩きながら移り変わる景色を眺めることができるように工夫された林泉回遊式庭園の一つある。金沢の兼六園、水戸の偕楽園とともに日本三名園の一つに挙げられている。
この庭園は、岡山藩主・池田綱政が家臣津田永忠に命じて貞享3年(1686年)に着工し、14年の歳月をかけて、元禄13年(1700年)に完成した。その後も藩主の好みで手が加えられたが、江戸時代の姿を大きく変えることもなく現在に伝えられた。かつては藩主の静養の場、賓客接待の場として使われたが、日を定めて藩内の人々にも開放されていた。
明治17年(1884年)に岡山県に譲渡され、一般に公開されるようになった。昭和9年(1934年)の水害、昭和20年(1945年)の戦災により大きな被害を受けたが、その都度、池田家に伝わる絵図に基づいて修復された。
岡山城の後ろに作られた園という意味で後園と呼ばれていたが、「先憂後楽」の精神に基づいて造られていることから明治4年(1871年)に後楽園と改められた。
庭園には延養亭や能舞台の建物が配され、園内に導かれた水を利用して沢の池、花葉(かよう)の池などの池や滝が造られている。庭園の中心には唯心山という築山も造られている。後楽園で特にその景観の特徴的なものは庭園全体に生えている芝であるが、以前は一部に使われていただけで、現在の形になったのは明治以降である。
入場料=350円(セット価格あり)、観覧時間=7:30〜18:00(夏)、8:00〜17:00(冬)。

庭園の奥に岡山城を望み、池や山が配されて写真を撮りたくなる景色となっている。ただしこれは人がいないときの話で、シーズンに行くと人だらけでしゃれにならない。できれば人の少ない朝一に行くことをおすすめする。人が多くなってくると一気にただの公園に成り下がってしまう。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年07月 中国・四国ツーリング
岡山城(おかやまじょう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★☆☆

後楽園方面から望む岡山城
岡山城の前身にあたる石山城はこの地の豪族であった金光氏の小城にすぎなかった。備前国邑久群で生まれ備前覇者となった宇喜多直家が、天正元年(1573年)に入城し、この城を大改築して居城として城下町の運営に着手し、岡山の繁栄の基礎をつくった。直家の子・秀家は、豊臣秀吉の殊遇を受け、備前、美作の他に備中の一部を加え、57万石を超える藩主となった。天正18年(1590年)秀吉の意見に従い、石山の東に本丸を移して城郭の拡張整備を開始し、慶長2年(1597年)に3層6階の天守閣が完成した。外壁の下見板が黒塗りであったことから「鳥城(うじょう)」と言われた。
慶長5年(1600年)に起きた関ヶ原の戦いで西軍に属した秀家は八丈島に流されることとなった。その後小早川秀秋が岡山城主となったが、2年余りで急死し、後継者がいなかったため断絶となる。代わって慶長8年(1603年)に姫路城主・池田輝政の子・忠継が岡山城に入城した。続いて寛永9年(1632年)に国替えで池田光政が岡山城主になって以後、明治維新に至る。
岡山城の多くの門や櫓は明治維新の際に取り払われ、残った建物も、昭和20年(1945年)の戦災で消失し、現在は月見櫓を残すだけとなっている。昭和41年(1966年)に、天守閣、不明門、廊下門、六十一雁木上門、周囲の塀などが復元された。
城内は展示館となっており、6階は展望室、5階は宇喜多直家の国盗り物語、4階は城の建築の特徴、その他お城に関するエピソード紹介、3階は絶世の美女といわれた直家の妻お福を軸に秀吉、秀家、豪姫などの栄華と悲哀の物語りをビデオで紹介、2階では殿さまやお姫さまの衣装を身につけたり、大名かごに乗ったりする体験場所、1階は江戸時代の庶民の暮らしぶりを紹介する場所となっている。
入場料=300円(セット価格あり)、観覧時間=9:00〜17:00。

残念ながらここの天守閣も昭和になって建てられたコンクリート造りのお城である。外観は「鳥城」の名にあわせてオリジナルの通り黒い板がはめられている。このため外からの見た目はなかなかいい。入場料も高くないので中に入って展望を楽しむのもいいだろう。後楽園とのセットチケットがおすすめかも。
城内は他の城とちょっと違って展示物が少ない。その代わりにビデオ紹介や衣装を着る体験コーナーなどを設けている。展示物にあまり興味がない人にはこっちの方がいいのかもしれない。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年07月 中国・四国ツーリング
吉備津神社(きびつじんじゃ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

比翼入母屋造りの本殿
この神社は吉備津彦を祭神とし、吉備地方の総氏神として崇拝されている。創建の年代については正確には伝わっていないが、仁徳天皇の時代(5世紀前半)に創建されたと言われている。
第10代崇神天皇の時代、各地方を平定するために皇族の中から四人の将軍を選び派遣した。北陸道には大彦命(おおひこのみこと)、東海道には武渟別命(たけぬなわけのみこと)、丹波には丹波道主命(たにはにみちぬしのみこと)、山陽道には吉備津彦命(きびつひこのみこと)が派遣された。この地には吉備津彦命が訪れ、人々を苦しめ鬼と恐れられていた温羅一族を苦戦の末退治した。この話は桃太郎伝説の元になったとも言われている。なお、この吉備津彦はその後も吉備国を統治し、280歳まで長寿を保ったと言われている。
現在の本殿は、応永32年(1425年)に再建されたもので、比翼入母屋造り(吉備造り)と呼ばれる独創的な形式の建物で、拝殿とともに国宝に指定されている。また、延文2年(1357年)再建の南随神門と天文12年(1543年)再建の北随神門は重要文化財に指定されている。寺の回廊は天正7年の再建で約400mに渡り自然の地形のまま直線に建てられているので有名である。

本殿の独創的な建築は見事で一見の価値あり。またそのほかの建物も独創的な感じでなかなかよい。拝観料が無料というのもうれしいところだ。境内は結構な広さがあるので全部見て回ると結構な時間がかかってしまうが、人が少ないときだと趣があっていいかもしれない。
桃太郎伝説の元となった吉備津彦の伝説は支配を広げようとしていた時代の大和朝廷の創作であろう。基本的に戦いに勝った方が負けた方を悪にするというのは現在まで変わらないことで「勝てば官軍」のことわざの通りだ。まあ、これはある意味仕方がないことだろうが・・・

訪問時のツーレポ
 ● 2003年07月 中国・四国ツーリング
備中国分寺(びっちゅうこくぶんじ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

田園の中にそびえる五重塔
天平13年(741年)に聖武天皇の勅願によって鎮護国家を祈るため、各国に建てられた国分寺・国分尼寺の一つ。ちなみに東大寺はその総国分寺ということで建てられたものである。
備中国分寺の境内は東西約160m、南北180mで、周囲には幅1.2〜1.3mの築地土塀が廻らされ、寺域内には南門、中門、金堂、講堂、塔などの伽藍が配置されていたと言われている。律令制度の崩壊と共に廃れた他の国分寺と同じく、南北朝時代の戦乱によりすべての建物が焼失し、一度廃寺となった。江戸中期になり日照山国分寺として再興されたものが現在の国分寺である。
創建当時の建物はすべて焼失しており、現在は礎石が残っているだけである。現在残っている建物は江戸中期以後に建てられたもので、五重塔は文政〜弘化年間(1820〜1840年)に完成した。
境内拝観自由。

名前から聖武天皇時代からずっと続いているお寺と思ったが、単に同じ様な位置に建っている別の寺と考えた方がいいのかもしれない。境内も当時の半分以下になってるしね。ただ平野のほとんど建物のないところにぽつんと五重塔が建っているのはなかなかいい雰囲気。無料で公開されているので近くに行くのなら寄ってみてもいいかもしれない。
寺の周りは田んぼや畑になっていて、春に行くと梅や菜の花、桜などがいい感じで咲いている。弁当などを持ってここで食べていくのもいいだろう。

訪問時のツーレポ
 ● 2003年07月 中国・四国ツーリング
 ● 2008年03月 らいらっく 岡山ツーリング・ザ・ファイナル
 ● 2008年09月 西日本ツーリング
千光寺(せんこうじ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

赤い鐘楼
大同元年(806年)に弘法大師空海により開基されたと言われる真言宗のお寺。本尊の千手観音像は聖徳太子作と伝えられている。朱塗りの本堂と除夜の鐘で有名な竜宮造の鐘楼は尾道の代表的な景観として有名である。
本堂の赤堂に納められている千手観音像は33年に一度の秘仏。他にも大師堂、客殿、護摩堂、三十三観音堂、大仙堂、毘沙門堂などの建物がある。境内にある大きな岩は玉の岩と呼ばれ、昔、如意宝珠と言われた珠があり、海上を明るく照らしていたと言われる。今でもこの岩の頂には穴が開いており、そこに宝珠があったと言われる。現在三色に光る珠が据えられている。
拝観自由。

尾道の代表的な景観ではあるが、逆に他にあまり見所がないという話もある。(^_^;; 下から登ると結構な上り坂になるので登りはロープウェイで山頂に行き、文学の小径を歩いて下る途中で寄るのがいいかもしれない。いろいろと名前の付いた岩とかがあるが、そんなに見応えがあるものでもない。

訪問時のツーレポ
 ● 2008年09月 西日本ツーリング
 ● 2012年10月 岡山ブドウ狩り
大橋家住宅(おおはしけじゅうたく)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆

夜に公開されている影絵
建物の中の様子
倉敷町屋の典型的な建物で、主屋や長屋門・米蔵・内蔵の4棟が国の重要文化財の指定されている。現在も個人で所有している建物。
街道に面して長屋を建て、その内側に前庭を隔てて主屋を構えた建物の配置が特色。主要な出入り口がその長屋を貫くように作られているため「長屋門」と呼ばれ、倉敷代官所の許可を得て作られた。寛政8年(1796年)より寛政11年(1799年)にかけて主要部分が建築され、文化4年(1807年)、嘉永4年(1851年)の2度にわたって大改造が行われた。平成3年〜7年にかけて保存修理工事が行われ、最も屋敷構えの整った嘉永4年の姿に復元された。
定休日=月曜日、開館時間=9:00〜17:00、入館料=500円。

特に目玉となる展示物があるわけではないが、いろいろとこった建物は見応えがある。当時の工夫を凝らした建物を見ていくのにいいかもしれないが、建物とかに興味がない人はおもしろくないだろう。かなり広い庭園があったみたいだが、現在はなくなっていうため、建物に対して庭園はかなりしょぼい。
夜は障子のところで季節にあった影絵が上映されており、夜の散策の際に見てみるのも楽しいかもしれない。美観地区の中心地からは少し離れているが、せっかくなら観光コースに加えてみたいところだ。

訪問時のツーレポ
 ● 2013年04月 京都帰省