道祖神主催
エジプト デザート&オアシスツーリング


その9 壮大なルクソールの神殿


01月01日 0 km ルクソール→カイロ
 6時半頃に起きてからトイレへ。なんかあまりお腹の調子が良くなくてちょっとい下痢気味になっている。昨日の料理があまり良くなかったのかな?まあ、お腹は痛くないのでよしとしよう。あとは途中でトイレをもよおさなければ問題ないんだけどね。
 まだ朝食まで時間があるので外に出てみることにする。玄関を出るとタクシーの運転手が声をかけてきてうるさい。乗らないと言ってもしつこい。(-_-X 途中から完全に無視を決め込む。近くに土産屋がいくつかあるが、さすがにこんな時間には開いていないのでそうそうに戻ってロビーで日記を書く。フロントで昨日頼んでおいたパピルスを無事に受け取り、部屋に戻って準備をしてから朝食へ。(8時)
 すでに海野さん達はレストランにやってきていてなんと「どん兵衛力うどん」を食べている。エジプトにいる間は日本料理を食べないと決めていたんだが、お腹の調子があまり良くないのでいただくことにする。ホテルの食事がうまかったら良かったんだけどねえ・・・。
 テーブルにポットが置いてあったのでお湯を入れようとすると「あとでそっちに持って行くからテーブルで待ってください」とのこと。素直にテーブルで待つが、いくら待っても持ってこないではないか。なめているなあ、あのボーイ!(-_-X 海野さん達も同じように言われたが、結局持ってこなかったらしい。で、用意をしてボーイに渡し、お湯を入れてきてもらうように頼む。しばらくして持ってきてくれた「どん兵衛」で日本の味を堪能する。朝食のバイキングは結局手を付けなかった。食事を終えてからばたばた準備をしてからロビーへ。みんながそろったところでバスに乗って観光へ出発。(8時半)
 まずはルクソールの西岸にある王家の墓に向かうようだ。ナイル川に沿って昨日通ったであろう道を北上。夕べは暗闇の中だったので全くどんなところか分からなかった。ナイル川に架かる橋を通って西岸に渡り、さらに北上していく。途中にある線路はサトウキビの運搬用らしい。王家の谷には墓がいくつもあるが、その内の3カ所に入ることができるようだ。ツタンカーメンの墓は別料金で40ポンドかかるらしい。カメラはフラッシュを焚かなければ撮影できるが、一カ所につき10ポンド必要とのこと。せっかくだから写真を撮ることにする。
 このさきにあるのがメムノンの巨像で、もともとは大きな神殿の前にそびえる像だったが、地震などで壊れ、石材は他の建築のために持って行かれてしまった。現在残っている像も一度壊れてしまったものをなんとか復元したものらしい。説明を受けている間に像の前に到着。像の前は駐車場になっており、近くに土産屋も何件か出ている。周りには何もなく、二体の像が座している姿はなんとも違和感がある。駐車場から写真だけ撮ってすぐに出発。(9時)

メムノンの巨像
新王国時代のアメンホテプ三世の葬祭殿の入口に配置されていた21mにもなる巨像。葬祭殿の建物は地震やナイル川の氾濫で崩れ、他の王が建築資材として持ち去ってしまったため、現在ではその姿を見ることができない。
像の名前はギリシアの伝説・メムノン王に由来する。ローマ時代に起きた大地震によりヒビが入り、朝日を浴びると音を出すことから、それが歌っているようだと有名になった。現在は補修工事により音はしなくなっている。

 山の中腹に見える穴はすべて貴族達の墓だが、もちろんすでに盗掘にあっているようだ。まあ、これだけわかりやすい墓だとすぐに盗掘にあうだろう。(^_^;; 王家の谷に向かう途中の山の上にはツタンカーメンの墓を発見したカーターの基地になった建物と、早稲田大学とエジプトといえばの吉村さんの基地が建っている。そこを抜けて王家の谷に到着。(9時15分)
 さすがに有名な観光地だけあって駐車場にはかなりの数のバスが止まっている。どうやら駐車場の入口でバスを降りてから土産屋の前を抜けていかないといけないようだ。しかし、奥さんは歩けないので駐車場の奥にあるゲートまで運んでもらう。途中土産物屋の商品をチェックしながら入口へ。奥さんは旦那さんがおんぶして行くようだが、さすがに注目を浴びまくりである。(^_^;; 自分が他の観光客だったとしても目をひくだろう。
 ここから遊園地にあるようなバスに乗って王家の墓の入口に移動。先頭で客車を引っ張っている車両はフォークリフトのようだ。300mくらい谷の間に延びる道を進むと王家の谷が見えてきた。ここの山の頂上はピラミッドのように三角形になっており、当時の王達がピラミッドの代わりにここに墓を作ったという話である。
 受付でチケットを買ってもらってから中に入るが、写真撮影は禁止になってしまったようだ。むちゃくちゃ残念・・・。(T^T) ちなみにビデオは持ち込み禁止になっており、入口で預けることになる。王の墓はここからさらに歩いていかないといけないため、奥さんは入口にあるベンチで待っているようだ。「あとで写真を見せてね」と言われ、「禁止になったみたいで撮れないんですよ」というとかなり残念がっている。たしかにここまでやってきているのに見れないんだからなあ・・・。(T^T)
 まずはラムセス4世の墓の入口に行ってみるが、閉鎖されていて中には入れない。「この間まで中に入れたんですけどね。ここの墓が代表的な造りをしているからとりあえずこの説明版で説明します。」とターリックさんからお墓の構造についての説明を受ける。このあと10時15分に集合することにして解散。(9時45分)時間は30分しかないので急いでみないといけないなあ。
 まずは別途券を購入したナイトライダーさん、うえのさんとツタンカーメンの墓に向かう。入口にかなり人が密集していたので後にした方がいいかなと思ったが、どうやら墓の説明を受けている最中のようだ。ちなみに聞こえてくるのは日本語である。今のうちに中に入ってしまおうと荷物を預けて墓の中へ。
 ツタンカーメンは若くして死んだこともあり、歴代の王の中ではかなり権力の弱いファラオだったと言われている。この王家の谷にある墓も小さく、現代まで盗掘にあわずに済んだのもひとえに墓が小さかったおかげだ。他の墓の盗掘時に採掘した土砂をツタンカーメンの墓の前に積み上げられて墓の発見がされなかったという話もあるようだ。しかしその権力のないファラオの墓でもあれだけの財宝が埋葬されていたことから、他の王の墓に埋葬されていた財宝はその10倍くらいはあったのではないかと推測できる。
 通路を少し下ったところが玄室となっていて、中に黄金の棺桶が安置されている。考古学博物館にあった棺桶の一番外側の分である。(棺桶は三重構造になっている)壁にはよくガイドブックでも見る有名な絵が描かれているが、
「え?これだけ?(@_@)」と言った感じ。よくあれだけの財宝がここに入っていたものだなあ。やはり説明を受けた通りかなり権力の弱かった王と言われるだけあるなあ。これだけで見学料40ポンドというのはちょっと高すぎ。(^_^;; 他の墓は3つで50ポンドなのにねえ。しかし有名なところなので、とりあえずネタ的には押さえておきたいと言ったところかな?
 続いてすぐ目の前にあるラムセス9世の墓に入ろうかと思ったが、なんか入口で行列ができているではないか。時間もないのであまり待つ気もしないので別の墓に向かうことにしよう。奥の方の墓に行くとあまり回れなくなってしまうので、近場の墓ということでその向かいにあるメレネプタ王のお墓へ。
 入口の案内を見ると先ほどのツタンカーメンの墓に比べてかなり長いようだ。(というかツタンカーメンの墓が小さすぎ(^_^;;)入口で券の角を切ってもらって中へ。(墓に入るごとに券の角を切っていき、3つまではオッケーという形になっている)入口付近から壁に文字や絵などが彫刻されており、なんか圧倒される。むき出し状態でさわることもできるというのはなかなかすごいかも。と、べたべたさわっていると入口の方のガードマンから触らないようにと注意を受ける。やっぱり触ったらいけんのか・・・。(^_^;; まあそれはそうだな。でも何もガードされていないとさわってしまうよなあ。
 通路はかなり長くて坂も結構急になっている。壁画を見ながら降りていくと、奥の方は中央に石棺が置かれている大ホールになっていた。この石棺は当時のものだろうか?それにしては新しいような気がする。壁の絵はかなりはげ落ちているが、よくここまで大きなホールを作ったものだと感心させられるなあ。建物を建てるよりも労力を使ったことだろう。一番奥の小部屋まで行ってから引き返すが、帰りはさすがに疲れてしまう。
 待ち合わせの時間を考えると後一つくらいしかいけそうにない。先ほど行き損ねたラムセス9世の墓に行ってみるとまだ人多い感じだが、行列はなくなっているようだ。こっちも入口から壁画が描かれているが、ガラスで覆って手で触れられないようになっている。ただし上の方は開いたままになっているのでちゃんと湿度管理とかしているわけではなく、触れられないようにしているだけのようだ。大きな玄室があるわけではないが、奥行きは結構ある。壁画を見ながら往復して外へ。
 これで時間となったので待ち合わせ場所へ行くと、もうすでにみんな戻ってきていた。ここの観光は少なくとも1時間以上はほしいところである。会社員Tさんは上の方の墓に行ってきたらしく、他の人がいない間に係の人に20ポンド払って写真を撮ることができたようだ。しかし、ここの撮影が禁止になったのはこういう収入を得るためにやったのではないかと考えてしまう。(^_^;;
 先ほどの乗り物に乗って入口へと戻る。渡辺さん夫妻は行きと同じく通常は通れないゲートからバスへ。自分たちは土産屋の通りを歩いていく。ずっと買おうと思っていたターバンを見に途中のお店へ。すぐに店員が寄ってきた。ターリックさんの話では10ポンドくらいと言う話だが、果たしていくらになるかな?
 値段を聞くと
「フィフティーン」という返事。15ポンドか、まあそれなりの値段かなと思ったらファイブ・ゼロ(50ポンド)と言っているではないか。(@_@) 「は?何なめたこと言ってるんだ?値段は聞いて知っているんだぞ。」と話すといきなり15ポンドまで下けてきた。うーむ、何だかなあ・・・。(^_^;;
 とりあえず値段交渉をするが、これ以上はなかなか下げてこない。それならいいやと去ろうとすると呼び止めて14ポンドと言ってくる。うーむ、時間があればもっと交渉してもいいんだが、バスが待っているからなあ。まあいいかと15ポンド払うと今度はおつりを渡してこない。いきなり
「ハッピーニューイヤー!プレゼント!プレゼント!」とかほざいてくる。(-_-X それならいらないからお金返せとターバンを返すとあわててお金を払うと言ってきた。だが、1ポンドは持っていないと言うではないか。結局隣の店から75ピアストル借りて払ってきたのでとりあえずこれで手を打つ。
 しかしこれでもかなりぼられているんだろうなあ。5ポンドくらいが妥当なところかな?まあ、材質とかが若干違うかもしれないので一概にはいえないけどね。それを考えると一番最初に言ってきた額は10倍と言うことになる。最初にこんな金額を言われたら20〜30ポンドでもかなり安くなったと勘違いしてしまいそう。特に日本人はあまり値切らないからいいカモにされていると思う。(^_^;;
 バスに戻るがかみばやしさんが戻ってこない。どっかで買い物しているんだろうか?しばらくして戻ってくると手にはスカーフのようなものを持っている。長い時間交渉していたらしく、かなり値切ってきたらしい。かみばやしさんは相手が泣きそうなくらい値切ったと言っているが、それでももうけはあるくらいと思われる。しかし実際の相場が分からないというのはなかなか難しいものだ。(10時半)
 ここから来た道を少し引き返してハトシェプスト神殿へ。ここは数年前に銃撃テロ事件が起きた現場である。あのときは日本人観光客に被害が出たため、日本でもかなり報道された事件である。しばらく走っていると切り立った大きな崖の下に建物が見えてきた。おお!あれがそうか!写真のまんまやな!

ハトシェプスト神殿
ハトシェプストはトトメス1世の第一王女として生まれ、側室の息子(異母姉弟)であったトトメス2世と結婚。トトメス1世の死後、トトメス2世が王位を継いだ。在位数年で早世した後、トトメス3世が王位を継いだが、ハトシェプストは若年のトトメス3世の摂政として実権を握り、数年の地にファラオとなった。
彼女は葬祭殿としてこのハトシェプスト神殿を建設し、さらに王家の谷の玄室とこの葬祭殿の玄室をつなげようと試みたが、固い岩盤に阻まれ断念した。
彼女の死後、ようやく実権を握ることのできたトトメス3世は、幼少期に実権を奪われた恨みから彼女の建設した神殿、壁画に残る名前や肖像、偶像をすべて破壊していった。
1997年にこの場所でイスラム原理主義者による観光客襲撃事件が起こり日本人観光客を含む57名が犠牲となった。このため、現在は入場口でのセキュリティーチェックが厳しくなっている。

 神殿の近くまでは行けないようで、かなり手前にある駐車場の入口でバスを降りることになる。奥さんはバスで待機しているようだ。ここから土産屋の前を抜けて神殿の敷地への入口へ。しかしこっちの方の観光地はすべてお土産屋の前を通っていくような造りになっているなあ。入口では他の観光地と同じように荷物チェックがあって行列になっている。ここを抜けると王家の谷にもあった乗り物が待機しており、神殿の入口まで連れて行ってくれるみたいだが、結構歩いている人が多いので自分たちも歩いて神殿へ向かう。
 途中で写真を撮りながら徐々に近づいていくとかなりの大きさに圧倒される。写真などで見るとあまり大きさを実感できないが、実際にやってくると思った以上に大きい。岩をくりぬいて作っているのかと思っていたが、岩を削った後に建物を建てているようだ。
 第二テラスの階段を前でターリックさんからこの神殿についての説明を受ける。この神殿は自然に壊れたわけではなく、神殿を造ったハトシェプスト女王の息子・トトメス3世によって壊されたらしい。彼は幼い頃にその実権を母ハトシェプストに握られ、恨みを持っていたため、彼女の死後、彼女の関するものをすべて破壊していったと言うことである。
 まずは正面の坂道を登って門をくぐり、第三テラスへ。一番奥の部屋は柵がしてあって中にはいることはできない。壁や柱はほとんどが修復されたもの(ただの土壁になっている)で、部分的にオリジナルの壁(絵や文字が書かれている)の一部がはめ込まれている。この壁画や文字をちゃんと配置を考えながら修復するのは気が遠くなりそうだ。しかし全部が残っているならその破片の位置が分かるだろうが、全体の2〜3割くらいしか残っていないのにどうやってその破片の場所がわかるのだろう?もしかしてこれは適当にしているのか?(^_^;;
 表の柱の前に並んでいる像も修復されたもので、部分的にオリジナルの破片を使って修復がなされている。下のテラスに降りて柱廊の方へ行くと壁一面にカラフルな絵が残っていた。ツアー客も多く、ガイドさんがここぞとばかりに熱弁をふるっている。待ち合わせの時間も迫ってきたのでバスの所に向かう。
 出口に向かうとちょうど搬送用の車が止まっていたのでこれに乗って戻ることにするが、自分はトイレへ。用を足してトイレを出ようとすると表でバクシーシを待つ人が・・・。なんで何もしていないのあげないけんのや?ということで完全に無視。外に出るとさっきの乗り物がまだ出発していなかったので急いで乗り込む。と、すぐに動き出した。
 ミネラルウォーターがほしかったので途中のお店で買っていく。ここは表に値段が書かれているので安心だ。一本2ポンドなので普通の店よりは高いと思うが、まあいいだろう。(自分たちが乗っているバスにも水が売っていたが、二本で1ドルなのであまり差がない)ちゃんとキャップが閉まっていることを確認してからお金を払う。ナイトライダーさんも一緒に購入して
5ポンドを払うが、おつりに自分が渡したお札をそのまま渡されたような感じがするんだが、自分が渡したのは2ポンドじゃなかったか?(?_?) 後で聞いてみるとやはりおつりは2ポンドしかなったみたいだ。ガイドブックにもおつりはちゃんと確認することと書かれていたからなあ。みんながやってきたところで出発。(11時半)
 続いて盗掘の村にある一軒の家へ。以前は盗掘した商品を売るのを仕事としていた人たちが集まってできた村であるが、現在は大理石を加工したものなどを売って生活しているらしい。この家の地下で偶然にも洞窟が発見されたが、調査を行ったときにはすでに何もなく、どういうものか分からなかったらしい。
 さっそく家の中に入ると奥さんが料理をしていていいにおいが漂ってくる。その脇を抜けて洞窟内にはいるとちょっと変なにおいが漂ってくるが、特に何があるわけではない。現在は倉庫として使っているみたいだ。
 このあと、大理石の工芸品作成についての説明を聞く。大理石は大きく分けて3種類。(どんなものか忘れた)これを壺などの形に加工していくわけだが、手作業で行う方法と機械で行う方法がある。ここでは手作業での作業方法の説明をしてくれるが、なかなか大変そうだ。手作業で作成すると極限まで薄くすることができるが、機械作業だとどうしても肉厚にしか作れないらしい。実際に持ってみると同じような大きさでも重さが全く違っている。(機械によっては薄くできるように思うんだが・・・)一通り説明を聞いてからお店の方へ。
 店内には壁一面に壺やら彫刻が並んでいる。こっちはハンドメイド、こっちは機械としきりにハンドメイドのものを進めてくる。確かにできはいい感じなんだが、持って帰るには大きいし、値段も結構するからなあ・・・。(^_^;; 結局ここで買い物をしたのはうえのさんだけで何かの石で作ったネックレスを買っていた。これで50ポンドならいいかもしれない。バスの所に戻ると、ここまで店員がやってきて奥さんにスカベラのネックレスを売りつけていた。
 ここから昼食のため東岸の方に向かう。途中完全に眠りに落ちていて(-_-zzz、気が付くとレストランの前に到着していた。(12時半)夕べあまり寝ていないせいかな?お店はナイル川のほとりにあるオープンカフェテリアと言った感じのところで、目の前にナイル川を見ることができる。目の前には大きな客船が停泊しているが、これらは数日間かけてナイル川のクルージングをするものらしい。観光地ではこのように停泊して観光をし、船に宿泊するというスタイルのようだ。
 まずはビールを注文するが、相変わらずジュースを注文する人が多い。(^_^;; バイキング形式となっているので料理を取りに行くが、メニューはあまり代わり映えがしない。デザートはなんか多いんだけどねえ。味の方は・・・何も言うまい・・・。(^_^;; どうもこのバイキングの食べ物でおいしかったことはほとんどないなあ。
 ここから王家の谷の山を見ることができるが、その付近に気球が上がっている。王家の谷を空から眺めるというイベントのようだ。ガイドブックに書いてあったが、いくらかかるんだったっけ?結構高かったように思う。目の前の船の上では日光浴をしている人がいるが、おばちゃんばっかりでがっかりしているナイトライダーさん。(^_^;;
 飲み物の料金を回収にやってきたのでお金を払っていると「日本人か?」と聞いてきたので「そうだ」と答えると「ジャッキーシェン?」と言ってくる。何を言っているんだと何回か聞いているとジャッキーチェンと言いたいらしい。そういえばガイドブックにこっちではチャ行がシャの発音になるのでジャッキーチェンはジャッキーシェンになるとか書いてあったなあ。続いて「ブルースリー?」とか言ってカンフーのまねをするが、それは中国人で日本人ではないぞ。こっちの人間にとって東洋人はみんな一緒なのかな?(?_?) まあ、日本人で世界的に有名な人というのがいないのかもしれないけどね。
 最後に紅茶を飲もうと思って置いてあるティーパックを準備していると、なんかこれは別料金らしい。まじで?しかも一杯10ポンドとなんかなめた金額になっている。すでに飲んでいる人もいるんだが、こんな所に置いているくせに有料はないだろう。すると海野さんが「ここは自分が払いますよ」と言っておごってくれるようだ。ここはありがたくおごってもらうことにする。m(_ _)m 1時間ほどしてから出発する。(13時半)
 続いてルクソール神殿の見学に行くようだ。ナイル川に沿って南下していくと、川縁には多くの遊覧船を発見。結構いろいろな会社が遊覧を行っているようだ。しばらくすると
「おお〜〜!」と歓声が上がったのでふと反対側をみるとなにやら大きな遺跡が見えるではないか。もしかしてこれがルクソール神殿なのか?この神殿もイメージと違って町中に埋もれるように建っている。郊外の何もないような所に建っていると思っていたんだがなあ・・・。なんかギザのピラミッドと言い、スフィンクスと言い、イメージが違うなあ。いったん遺跡の横を通り過ぎてからその先でUターン。神殿の入り口の前にバスを止めてもらって観光へ。奥さんはここもバスに残るようだ。
 入場券を買ってもらうのを待ってから中へと入る。ここは特に荷物検査などはないようだ。神殿の正面に行くと写真などでもよく見る巨大な一本のオベリスクとラムセス2世の巨大な像が立ちはだかる。
でかい・・・むちゃくちゃでかい・・・。印象としては絶対にこの言葉が最初に出るだろう。写真ではこの大きさは分からない。
 ここでターリックさんからいつものようにこの神殿についての説明を受ける。この神殿はアメンホテプ3世がアモン神を祀るために建てた神殿であるが、例のラムセス二世がその建物の前に神殿を造って自分の神殿としてしまったらしい。正面に見えるオベリスクは高さ25mの巨大なものだが、左の一本しか残っていない。一本は最初に行ったモハメド・アリ・モスクの時計と交換して現在はフランスのコンコルド広場に建っているのである。この巨大なオベリスクが一枚岩というのはすごいよなあ・・・。これをフランスに持って行ったときはどうやって運んだんだろう?
 「この神殿の歴史は3000年以上。エジプトでは3000〜4000年くらい前が古代という感じ。京都に行っていたときに、『この建物の歴史は数百年あるんです』と聞いても、『なんだたったの数百年か』という感じなんですよ。数百年と言ったら最近の話といった感じですねえ。とターリックさんからの冗談が出る。
 ここから北の方向に参道が続いており、道路の脇には一定おきに(3m間隔くらい)スフィンクスが並んでいる。現在は200m位しか残っていないが、当時はこの北にあるカルナック神殿までスフィンクスの参道が続いていたそうである。カルナック神殿はこの後に行くそうだが、先ほどのレストランの近くにあるらしい。結構な距離の参道があったと言うことだなあ。って、なんでそっちの方が近いのに先にこっちの神殿に来たんだろう?(?_?)
 説明の後、早速神殿の観光へ。下から見上げるとさらにその大きさを実感できる。壁には文字や絵が描かれており、数千年経った今でも十分に読むことができる。(もちろん解読はできない)神殿の上の方はなにやらちょっと違う感じの建物が建っているが、これは後世になって建てられたモスクらしい。その当時、この遺跡は半分以上(10mくらい)埋まっていたため、地面がその高さにあったようだ。他にも民家を建てるときに柱を刺した穴が神殿の壁に残っている。当時の人間にとっては遺跡というものは別に大事にするべきものではなかったんだろう。
 列柱廊に入ると大きな柱が並んでいてその大きさに圧倒されてしまう。柱の形はパピルスをかたどったものらしく、先が広がった形のものと、先がしぼんだ形のものの二つの形の柱を見ることができる。柱の一部には当時の色が残っているところが見える。現在屋根の部分はほとんど落ちてしまっているが、当時はかなり壮観だったんだろう。現在でもすごいけどね。
 アメンホテプ3世の中庭を抜けると神殿跡を利用してコプト教の教会として使われた場所がある。この教会が造られた当時、壁の壁画の上に漆喰が塗られ、その上に宗教画が描かれていたらしい。現在では漆喰のほとんどがはがれ落ちてしまい、元々の壁画が現れている。当時の宗教画は一部見ることができる程度である。しかし当時の人が漆喰で塗っただけだったので良かったが、削ってしまっていたら、この壁の絵や文字は見ることができなかっただろう。
 この奥は部屋になっており、天井部分も残っている。壁には一面に絵や文字が書かれていて、いかにも!というような絵を見ることができる。壁によって絵を彫り込んで描かれたものと、周りを掘って絵を浮きだたせたものと異なる描き方をしている。ここでターリックさんからの説明は終了して、神殿の入口で待ち合わせとなる。
 写真を撮りながら通ってきた道を戻って神殿入口へ。参道にあるスフィンクスにまたがっている写真を撮りたいが、さすがに見張りがいるので撃たれそう・・・。(^_^;; 悔いのないように十分に写真を撮って満足満足。
 集合時間になったが、旦那さんの姿が見あたらない。まだ神殿の方を見学しているんだろうか?しばらく探し回るがやはり見あたらず、念のため出口に待機しているバスに行ってみるとすでに戻ってきていた。「あれ?バスに集合じゃなかったの?」とどうやら勘違いしていたようだ。みんながやってきたところで次のカルナック神殿へ向かって出発。(14時15分)
 ここから先ほど通った道を戻ってナイル川に沿った道を北上し、カルナック神殿へやってくる。カルナック神殿はいくつかの神殿が複合してできたもので、今から行くのはその中の一番大きなアムン大神殿と言うところらしい。駐車場からちょっと離れているのでここから少し歩かないといけないようだ。奥さんはまたもバスでお留守番。
 建物が見えてきたが、この第一塔門は未完成の状態で放置されてしまったらしく、壁画も描かれていないらしい。入口にあるオベリスクもかなり小さなもので、入口はあまり見応えがない感じ。門の奥には大きなオベリスクが見えるが・・・。入口でこの神殿についての説明を受けてから神殿の中へ。
 中庭を抜けて第二塔門を通り抜け、大列柱室に入ると先ほどのルクソール神殿とは比べようのないくらいに圧倒される。一本一本の柱もでかいし、数も多い。柱のレリーフも深く彫り込まれ実に見事だ。こっちを先に見るとルクソール神殿の柱を見ても感動が薄くなってしまうため、あっちを先に見るようにしているようだ。なっとくなっとく。たしかにこっちを先に見るとさっきのは小さく見えるだろう。(^_^;;
 その奥にはオベリスクが4本建っているが、地震で倒壊したらしく、現在は2本しかその形をとどめていない。こっちのオベリスクは29mとルクソール神殿のものより高いが、あちこちがかけていることもあり、オベリスクに限って言えばあっちの方がいいなあ。ちなみに手前の方にあるオベリスクはハトシェプスト女王のオベリスクらしく、彼女の死後、その息子のトトメス3世によってオベリスクを隠すために周りを建物で覆ったらしい。現在もその周りを覆った建物の一部が残っている。
 壁に描かれたカレンダーを見てから聖なる池へ。ここには地震で倒壊してしまったオベリスクの一部が展示されている。その横にはスカベラ(フンコロガシ)の像があるが、この周りを回っている人が数名。ターリックさんの話ではこの周りを3周回ると願いが叶うらしい。その奥の休憩所まで行ったところで解散となる。
 とりあえずさっきの所に写真を撮りに行くかな?ナイトライダーさんはさっきのスカベラの像を回っている。何を願おうとしているんだろうか?(^_^;; 適当に写真を撮りながら入口の方に行くとすでに旦那さんがくつろいでいた。まだ15分くらい時間はあるが、とりあえず十分と言った感じ。なんか疲れが出ているのかなあ?
 海野さんに断ってから先に神殿の外に出て入口にあるスフィンクス?(顔が羊)の像を撮ってみんなの来るのを待つ。しばらくしてみんながやってきた。かんさんが先にやってきたので声をかけると、集合場所はもっと戻ったところと思っていたらしい。途中でメンバー達の横を通っていったはずなんだが、全く気が付かなかったようだ。バスに戻ってから出発。(15時半)
 ここから町中を抜けてルクソール空港へ。(16時)出発予定時間は18時となっているが、予定通りに行くんだろうか?奥さんはバスを降りたところで空港の準備してくれた車いすで移動。さっそく入口でセキュリティーチェックがあるんだが、えらく手間取ってなかなか荷物が出てこない。やっと荷物を受け取ってから搭乗手続き。すでにこの時点で到着便が遅れているらしく、出発は1時間遅れとなっているようだ。はたしてその時間にも飛んでくれるんだろうか?(?_?)
 その奥へ進むとまたもやセキュリティーチェックが待っていた。いったい何のためにやっているのか分からない。ここの金属探知器はかなり厳しくされており、靴はもちろん、ベルトまではずす羽目になる。やっとチェックを終えて奥のベンチへ。
 中には小さな店が数件あるくらいであまり興味をひくものはない。とりあえずエジプトのキーホルダーを2ドルで購入。そのあとははがきを書いたり、店で上映されているエジプトのガイドビデオを見たりして時間をつぶす。
 ベンチの正面は店になっていてテーブルでは観光客がくつろいでいる。
その中の一人の親父がなぜかおもむろに転倒。(@_@) 椅子に浅く腰をかけすぎて滑ってしまったようだ。そのとき後ろ商品棚に当たって辺りに商品が飛び散る。が、そのおっさんは飛び散った商品はそのままに椅子に座って知らん顔。(-_-) 店の主人が拾っていても完全に無視を決め込んでいる。なんで商品を拾ったりせんわけ?日本人なら「すみません」とかいって一緒に商品を拾ったりするもんだが、こっちではこれが普通なのか?なんかいやな世界だなあ・・・。(-_-X
 たばこを吸っている人が多かったので特に気にしていなかったんだが、ここは禁煙だったようだ。会社員Tさんは何回か注意したが、あまりに多いのでいい加減にいやになったらしい。
 18時にやっと飛行機が到着したので「まだ1時間はかかるのかな?」と思っていたら18時15分には搭乗開始となる。うーむ、機体チェックなどはやっていないのかもしれないなあ。さっそくバスに乗り込むが、一番最初に乗り込んだと思っていたわたなべさん夫妻がまだ建物の前で待機していた。なんでここにいるんだ?一番最後に乗ることになったんだろうか?と思っているとなにやら別の乗り物がやってきて車いすのまま乗り込むことになるようだ。うーむ、なんか贅沢。
 飛行機の所に行くと、またもやタラップの前で荷物チェック。何回やれば気が済むんだ?係の人が荷物を外側から触っていると、堅いものに気が付いて「これは何?」と聞いてくる。「ヘルメットです」と答えると問題なく通過。飛行機は思ったよりも大きくて2列、4列、2列の8列である。わたなべさんは一番前に乗るのかと思っていたが、どうやら一番後ろ席のようだ。後ろに搭乗口はなかったと思うがどうするんだろう?30分くらいしてから出発。途中ケーキとアップルジュースのサービスを受けて1時間くらいでカイロに到着。(19時半)遠回りしてルクソールまで行ったとは言え、6日間かかったのに、飛行機だと1時間とはなんとも早いものだ。
 初日に到着した所と同じターミナルに到着。ターミナルの中でわたなべさん夫妻の到着を待つが、なかなかやってこない。こっちの車両の手配に手間取っているんだろうか?15分くらいしてやっと二人がやってきた。飛行機はどうやって乗ったのか聞いてみると、
カーゴがそのまま持ち上がり、後ろのハッチが開いて車いすのまま乗り込んだらしい。うーむ、なんかすごいなあ。ちなみに降りるときも同じだったようだ。その様子は是非とも写真を撮りたかったなあ。こういうことは普通なかなかあり得ないからねえ。
 荷物を受け取ってからホテルへ向かうバスへ向かうが、なんかえらく大きなバスだ。(20時15分)こんなに大きいのに自分たちだけ?バスに乗ってしばらくすると眠りに落ちて、起きたのはホテルに到着する前だった。ホテルは逆車線だったので強引にUターンするが、このせいで両車線の車を止めていた。(^_^;; ホテルは高級ホテルと思っていたが、なんかたいしたことなさそうだ。(21時15分)
 受付を終えてからいったん部屋へ。エレベーターはあまり大きくないのにエレベーター係がいるせいで大迷惑と言った感じ。(-_-X はっきり言ってあんたじゃまなだけや。あまりにホテルのレベルが低いような気がするのでもう一度ガイドブックで調べてみると、高級ホテルは昨日泊まったホテルで、このホテルはガイドブックに載っていないところだった。なんだ・・・。完全に勘違いしていた。
 ロビーに戻って明日の説明を受ける。ターリックさんは明日から別のツアーの案内があると言うことでここでお別れのようだ。レストランに移動してからいつものような感じのバイオキング。ここのホテルもイスラム系のホテルのようでアルコールは置いていないようだ。最後の夜にアルコールがないとは・・・。(T^T) 食事は相変わらずと言った感じで、あまり食欲は出ない。
 食事を終えてうえのさんとかんさんは近くの店に買い物へ。このあとかみばやしさんの持ってきた地図で今回のルートの確認をする。ナビの位置などを頼りにルートをたどってみるとなんかほとんど舗装道路を走っている感じだなあ。まあ、実際にルート変更したこともあり、舗装路の割合の方が多かったからねえ。当初は舗装道路=700km、ダート=750kmくらいの予定だったが、最終的には舗装路=989km、ダート=553kmである。ちなみに今回の宿泊ポイントは以下の通り。(海野さんのGPSより)

 12月26日 北緯29度09分49秒・東経30度01分39秒 ワディ・ヒタンの砂漠
 12月27日 北緯28度21分19秒・東経28度52分55秒 バハレイヤ・オアシス
 12月28日 北緯27度37分57秒・東経28度34分42秒 白砂漠入口(うえのさんのデータ)
 12月29日 北緯25度42分06秒・東経28度52分42秒 ダクラ・オアシス
 12月30日 北緯24度44分39秒・東経30度12分44秒 バリスの砂漠
 12月31日 北緯25度41分08秒・東経32度37分45秒 ルクソール

 今回の旅行の話をしてから10時半頃に撤収。
 10階に戻るとエレベータの手前でドアボーイが荷物を持って待っていた。自分で運ぼうとすると「私たちが運ぶから」というように制止される。(どう考えてもチップをくださいと言うことだろう)が、そのくせ自分の荷物を持ってこないではないか。しょうがないので自分の荷物を取りに戻ることになる。なめているなあ。会社員Tさんはチップに5ポンド上げたようなので1ドル渡す。
 一気に手紙を書き上げてフロントへ行って手紙を出してくれるように頼む。一枚につき2ポンドかかるようなので8枚で16ポンド(3ドル)払って手紙を渡す。
ちゃんと届くのだろうか?結局日本に手紙は届かなかった。どうやらお金は猫ばばされて手紙は捨てられてしまったんだろう。むちゃくちゃ腹立つ。(-_-X
 部屋に戻って荷物整理をしてからお風呂へ。なんかあまりお湯の出が良くないのでちょっと寒いぞ。お風呂に入っているとかみばやしさんがやってきたようだが、少しして帰っていった。お風呂から上がって会社員Tさんに聞くと、「なんかメッセージをビデオに撮りたいといってやってきたんだけど、バッテリーが切れて帰っていったよ」とのこと。しばらくするとまたやってきた。「自己紹介、今回の旅行は何点?」などインタビュー形式で録画して帰っていった。荷物整理を続けるが、どうしても来たときよりもかさばってしまう。また明日整理することにして今日はもう寝ることにしよう。(11時半)
 01 メムノンの巨像の前で
 02 王家の谷をバックに
 03 この車で王家の谷と入口を移動する
 04 ハトシェプスト神殿をバックに
 05 神殿に残された壁画 現在でも色が残っているのはすごいかも
 06 ナイル川の岸に停泊しているクルージングの船
 07 ルクソール神殿の奥の部屋にある壁画
 08 列柱群をバックに
 09 入口のラムセス2世像とオベリスク
 10 スフィンクスの参道の前で
 11 スカベラの像の周りをまわるナイトライダーさん どんな願い事を?
 12 カルナック神殿の列柱室とオベリスク