ソロツーリング
吉野ヶ里へ

おもむろに思い立ってまだ行ったことのない吉野ヶ里遺跡へ行ってきました

2005年10月30日

参加者
同行者
面会者

全走行距離 196km

10月30日 196km  自宅→佐賀県 吉野ヶ里→自宅
 朝起きて天気予報を確認すると今日の天気はいいようだ。(^_^)これならツーリングにいけそうだ。朝食を食べてお弁当を作ってからさっそく準備開始。昨日のうちに行こうと考えていた吉野ヶ里の情報をチェックしていたんだが、開園は9時だった。なのであまり早く行っても仕方がないが、混み出す前に福岡を抜けたいので早めに出発するつもりだ。しかし開いていないとしょうがないので最近しばらく行っていない太宰府天満宮に寄っていくことにするつもり。こっちは朝早くから開いているようなので大丈夫だろう。しかし思ったよりも時間がかかってしまい、出発時間は5時15分になってしまった。(ToT)
 さすがにもう夜明けが遅くなってきていているので外は真っ暗。空はなんか曇っているみたいなんだが、星も見えているところがあるから大丈夫だろう?昼には晴れてくるとか言っていたしね。さすがに寒いので服装は下はズボンにオーバーパンツ、上はTシャツ、シャツ、フリース、夏用ジャケット、薄手のジャケットという感じ。グローブも冬用で行くつもりだ。
 まずは河川敷を南下してから国道3号線へ。このまま太宰府まではこの国道を走って行けばいいだろう。順調に走っていたんだが、福津市辺りで
なにやらヘルメットに水滴が・・・。「前の車が窓でも洗ったのかな?(?_?)」と思った(祈った)が、なんと雨だった。まじで?晴れるんと違うん?(ToT)ふと空を見上げると空は雲に覆われてどんよりとしているではないか・・・。
 「まだ小降りだけど、どうする?止まってカッパを着るか?」と悩みながら走っていると雨は止んでくれたので助かった。勘弁してよ・・・。西の方の空はなんか雲がなくなってきているような気がするのでもう降らないことを祈ろう。
国道3号線を南下して県道76号線を走っていくと、「天満宮 この先左折」と書かれた看板を発見。しかしその先に左折するような道はないんだけど・・・。(?_?) おかしいなあ?さっきの細い道に入らないといけなのか?しょうがないとUターンして戻っていると、すぐ横に西鉄電車が走っていることに気が付く。たしか西鉄太宰府駅の近くだったよなあ・・・。ってことはやはりあのまままっすぐ行けば良かったのか?再度Uターンして走っていくと太宰府駅に到着。さっきの左折の看板って左折ではなく左にカーブしている道なりに真っ直ぐという意味だったのか?(?_?)
 とりあえずバイクを止めないといけないので駐車場を探すが、こんな時間には開いていない。うーん、どうしよう・・・。しばらく辺りをうろついてみるがやはり無理そうだ。どうしようかと思っていると太宰府駅の脇の歩道に駐輪場があることに気が付いた。というかいっぱい自転車やバイクが止まっていたのに全く気が付いていなかっただけなんだが・・・。よしよし、ここに止めて太宰府天満宮いこう。(6時45分・71km)さすがに歩くと暑いのでオーバーパンツは脱いでいく。
 石畳になった参道の両脇にはいっぱいお土産屋(梅が枝餅の店が多い)があるんだが、さすがにまだ時間が早くてどこも開いていない。うーむ、せっかくここに来たから梅が枝餅を食べたかったんだけどなあ・・・。(ToT)戻る時に開いていることを期待しよう。
 参道を抜けると観光案内所があるんだが、もちろん開いていない。ここから鳥居を抜けて境内へ。まずは池の上にかかる太鼓橋を渡ると楼門が見えてきた。人もいないのでなかなかいい雰囲気だ。楼門を抜けて本殿の方に行くとその右の方に「飛び梅」と言われる梅の木が植わっているが、もちろんこんな時期に咲いているわけはない。これは道真を追って飛んできたという梅ということになっているんだが、そんなわけあるかいっ!!(^_^;; まあ、道真らが種か何かを持ってきたという可能性はあるだろうけどね。梅の脇には有名な「東風ふかば におひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」という歌が書かれている。「自分はもういなくなるけど、春風が吹いたら春を忘れずにちゃんと咲くんだぞ」というような意味だったと思う。(?_?)
 本殿の裏手に回り歩いていくと、包丁塚や筆塚という使い古した包丁や筆を供養する塚があった。さっきからやたらひょうたんがぶら下がっているのを見かけていたんだが、ここの説明を見ると、「梅の下でひょうたんに入ったお酒を飲むと厄がはらえる」という言い伝えから来ているようだ。その他に
「梅干の種」納め所という梅干しの種を入れるところとかがあった。中を見てみると袋に入った梅干しの種が一つ入っていた。うーん、わざわざ持ってくるのがすごいよなあ。
 さすがにまだ宝物館などは開いていないので見る物は全部見た感じだ。まだ30分くらいしか経っていないがこれはどうしようもない。来た道を戻っていると、シャッターが半分開いていて梅が枝餅を作っている店があったが、さすがにまだできあがっていなそうだ。うーむ、やはりあきらめるしかないかなあ・・・。(ToT)駅前のベンチに座ってこの後のルートを確認。バイクの所に戻って出発。(7時45分)
 県道を引き返してから国道3号線に出て南下。このあたりのガソリンはかなり安いみたいで120円と表示が出ている。「これって税抜きの価格とかいう罠?(^_^;;」と思って注意してみるがやはり税込みの価格となっていた。それなら丁度いいから給油していこう。(238km/10.6L)
 「国道34号線に入ればいいんだよなあ・・・」と思っているとすぐに見えてきた。この国道に平行して県道31号線が走っているみたいで、こっちの方が国道よりはいいかもしれないと県道にはいる。途中で吉野ヶ里歴史公園の案内板を発見し、東口の駐車場へ。中に入っていくが、駐車場のゲートはまだ閉まっていた。(ToT)(8時半・104km)
 駐車場には何台か車が止まっているんだが、これは従業員の車かな?開園は9時なんだが、駐車場の係員がやってくるのは8時50分くらいらしい。これだけ大きな所だったらもっと早めに開けてもいいと思うんだけどなあ・・・。それともこんなに早く来る人はいないんだろうか?することもないので作ってきていたいなりを食べて腹ごしらえ。しばらくしてやっとやってきた。
 ゲートには「本日無料(普通車・二輪車)」という案内が出ているんだが、どう考えても日曜日に無料と言うことはないだろう。平日が無料だったのでそれを外し忘れているんだろうな。まあバイクは100円なのでいいんだけどね。と思っていたら、今日はほんとに無料らしい。おお、そうなのか、ありがたい。ゲート(ただの柵)を開けてもらってバイクを止める。
 さすがにまだ早いせいか他にお客の姿は見えない。といってももうすぐ開園なんだけどねえ。従業員はみんな弥生時代の衣装を上に羽織っていて、同じような無料の貸衣装も準備されている。入場券は400円となっているのでさっそく購入して園内に入ろうとするが、「すみません、まだ開演前なので待って下さい」とのこと。(ToT)近くのベンチで日記をつけていると開園の放送がかかった。(9時)
 橋を渡ってから進んでいくと、逆茂木(さかもぎ)・乱杭(らんぐい)といわれる村の侵入を防ぐバリケードが見えてきた。堀の部分は崩れないように表面を固められている。まあ、こうでもしていないと雨が降ったら大変だからねえ。(このときは遺跡の上に盛り土をしていることを知らなかったので、遺跡を固めていいのかと思っていた)
 ここから王や身分階級の高い人たちが住んでいたと言われる南内郭というところへ。物見櫓や大きな住居が再現されており、周りは高い塀で囲まれている。ここに入る前にその手前にある展示室へ。
 中にはここ吉野ヶ里で発掘された土器や王の副葬品のレプリカなどが展示されている。なんかビデオが上映されていると思って見てみるとプロジェクトXだった。どうやらこの吉野ヶ里遺跡の研究をしていた人に関する内容らしい。なんか興味を惹かれてほとんど見てしまった。(30分)もともと工業団地の建設と言うことで始まった調査だったが、この遺構が発見され、保存に至るまでを再現したものだった。一通り見終わってから南内郭へ。
 柵の中にはいるとテントの下で親子連れと思われる団体がなにやらやっている。何かのイベントに参加している人たちなのかな?みんな弥生時代の衣装を着て何かを作っているみたいだ。他にも結構人がいるんだが、全員ここの関係者のようで、観光客らしき人はいない。王の住居を覗いたり、物見台(登れる建物は少しだけ)に登ったりとうろうろする。なんか建物には全部王の住居と説明が付いているんだが、これは大勢の観光客に対応するためにいっぱい作っているのかな?中には人形が置いているものもあるんだが、顔はのっぺらぼうになっている。
 続いて祭りなどの行事が行われたという北内郭へ。かなり重要な場所だったのか柵と堀で厳重に囲まれている。ちょっと気になったんだが、堀はなんで柵の内側に作られているんだ?普通に考えたら堀は柵の外ではないだろうか?(?_?) これだったら堀は味方の足止めにしかならないような気がするんだけど・・・。それとも柵を越えてきた敵が飛び降りれないようにしているのか?うーむ、謎だ・・・。
 中央には主祭殿といわれるかなり大きな建物が復元されている。しかしちょっと大きすぎないか?( ̄~ ̄;) ウーン いくら何でも当時ここまで大きなものを造っていたようには思えないんですけど・・・。(^_^;; 1階は高床になっているので、階段を上って2階にいくと中には食事の様子を再現された人形が並んでいた。3階は巫女が神に祈りを捧げている様子を再現したところだった。
 ここでふと気が付いたんだが、柱や壁などの木の表面はラフに削られた感じになっている。これって昔よく使われていた「ちょうな」でほんとに削ったのかな?そうだったらすごいよなあ・・・。(後で展示室で確認したところ、当時の様子を出すために、普通に削った木の表面にちょうなでそれらしくわざと削ったらしい)
 続いて物見櫓に登って辺りの様子を見てみる。そろそろ観光客もやってき始めているようで、ちらほらとその姿が見えてきた。ここから北墳丘墓の方を回って中のムラという住居が復元されているところを抜けて、高床式倉庫が復元されているエリアへ。それぞれの倉庫は貢ぎ物の保管庫だったり、米の保管庫だったり、武器の保管庫だったりしている。武器の保管庫となっているところには剣、槍、弓、盾などが置いてあり、自由に使っていいようだ。剣や槍などは竹光ではなく刃がないとはいえちゃんと金属で作られているのがなかなかすごい。せっかくなのでこれらを使って記念撮影。これでだいたい一回りといった所なんだが、思った以上時間がかかってすでに1時間半が経過していた。
 出口に向かっていると、朝なにやら作っていた親子連れの団体が弓矢を持って移動していた。どうやら弓矢を作っていたようで、その先で鹿などの絵が描かれた的に向かって矢を飛ばしていた。このころになるとツアーか何かの団体もやってきているようで、ぞくぞくと入ってきている。1時間遅かったら結構人が多くて鬱陶しかったかもしれないなあ。よかった、よかった。
 お土産コーナーをのぞいてみると、ここのマスコットキャラのものや、まが玉のものが多い。とりあえずいつものようにキーホルダーを購入。このあとビデオ上映と資料館をのぞいてバイクの所に戻る。(11時)
 帰り道は当初決めていたとおり国道385号線を走っていくつもりだ。国道の入り口には「2トン車以上の通行禁止」という標識が出ている。「やはりかなり道が細いのかなあ?」と思ったが、綺麗に整備された二車線道路となっていた。「なんでこれで2トン車以上がだめなんだろう?」と思っていると、途中から道が一気に細くなった。まだ全線の整備が完了していないようだ。どおりで・・・。(^_^;;
 道はかなり曲がりくねっていて視界が悪い上に(ミラーも全部にない)対向車も結構来るので大変だ。佐賀藩の関所があったとう坂本峠というところまでやってきたが、何があるわけでもなく、視界も悪いので通過。ここから下り坂になり、その先でやっと細い道から解放される。
 しかしその先にかなりペースの遅い車がいてペースダウン。黄色線の上、道が曲がりくねっているので抜くに抜けない。福岡市内にはいると車の数が増えてきて鬱陶しいがしょうがない。「
仮免許運転中」と紙が貼られた乗用車の横を走っていたんだが、何を考えているのか急にこっちに寄ってきた。かんべんせーよ!!゛(`ヘ´#) ムッキー (自分が片側二車線の右を走っていて左の車線を走っていた車が自分がいるにもかかわらず右に入ってきた)むかつく〜〜〜!!「ちゃんと運転せんかっ!!!(-.-”)凸 ウリィ」と怒鳴ってから先に進む。このあとまた別の車に幅寄せさせられそうになりクラクションで追い払う。福岡の人間はバイクは車ではないと考えているんだろうか?
 バイパスを抜けてから国道3号線へ。せっかくなので海岸線を走っていこうかと考えたんだが、なんかここまできたら早く帰りたくなり、このまま国道3号線を進む。北九州市内に入り河川敷を走っていると突風でバイクが振られる。(ToT)海岸線を走っていたらやばかったかもしれないなあ。さすがに行きよりも時間がかかったが、無事に帰宅。(13時15分・196km)
 01 太宰府天満宮の参道にて
 02 いっぱいぶら下がっているひょうたん
 03 ゲートの閉まった駐車場入口 すり抜けて入れるんだけどね・・・(^_^;;
 04 本日無料の案内が・・・
 05 吉野ヶ里遺跡のマスコット
 06 見張り台の上からの眺め
 07 こんなでっかい建物がその当時本当に建てられていたのかなあ?
 08 建物内部の様子 酒宴の席とお祈り
 09 見張り?
 10 戦闘!! 槍と弓(^_^;;