北海道 道南地区

名勝・地域

白神岬 有珠山西山火口散策路 洞爺湖
昭和新山 水無の立岩 神威岬
念仏トンネル 神威脇温泉 積丹岬
苔の洞門 - -

白神岬(しらかみみさき)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

北海道最南端の碑
松前半島の南端にある北緯41度24分、東経140度12分に位置する北海道最南端。本州最北端の大間岬よりも南に位置し、晴れていれば津軽海峡を挟んだ対岸に本州の竜飛岬が見える。ここから竜飛岬までの最短距離はわずか19.2km。
岬付近は駐車場になっており、最南端の碑もこの駐車場の脇に建っている。ここから少し西に行ったところに展望台がある。

北海道最南端と言うことなんだが、特に観光地となっている感じはない。ただの駐車スペースに碑が建っているだけという感じで、最端巡りにこだわっている人は別として、どうせ通るなら寄っていこうかというくらいのレベルではないだろうか?

訪問時のツーレポ
 ● 2004年08月 東北・北海道ツーリング
有珠山西山火口散策路(うすざんにしやまかこうさんさくろ)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

陥没して沼になった国道
地面が隆起して壊れた道路と崩壊した家
平成12年(2000年)に噴火した有珠山西山の噴火口付近を約1.3kmの遊歩道に整備し、噴火の驚異を間近で実感できるようになっている。地殻変動で地面が隆起して出来た新山や地面の陥没により国道230号線に誕生した沼、アスファルト舗装がめくれ上がった町道泉公園線、傾いたり押しつぶされたりした建物などを見ることが出来る。
有珠山は洞爺湖の南岸に位置し、直径約1.8kmの山頂火口を持つ成層火山と10数体の潜在ドームおよび溶岩ドームを持で形成されている。噴火記録は1663年以降、2000年の活動を含めて8回。そのうち4回の噴火活動は20世紀中に起こっている。
今回の噴火活動も、前3回の活動と同様に顕著な長期的前兆のないまま得所として激しい前兆地震活動と地殻変動が始まった。最初のマグマ水蒸気噴火は前兆活動の72時間後の3月31日13時07分に西山西麓で発生。翌4月1日に金比羅山でも噴火が始まった。その後西山西麓地域では地盤の隆起が顕著になり、この隆起はおびただしい数の小規模な水蒸気爆発を伴いながら7月中旬まで続き、8月中旬には沈降に転じた。約5ヶ月続いた活動によって地盤は80mほど隆起し、標高約200mの新山が形成された。
開放時間=7:00〜18:00、開放期間=4月20日〜11月11日。

今でも近くの地面からは白煙が上がっており、辺りは硫黄臭に包まれている。いつまた爆発してもおかしくないような感じで、辺りの地面も熱い。火走りと言うところは高温の水蒸気が絶えず吹き出しているため、草木も生えない大地となっている。
以前は国道と町道に沿って民家や工場や畑が広がっていたらしいが、現在はその影もない。隆起により断裂した道路や押しつぶされた民家や工場など自然の驚異を目の当たりにすることが出来る。
しかしこの被災地をそのまま保存して観光地化するというのもなかなかすごいことだ。また途中の遊歩道には商魂たくましく土産物屋や食べ物屋が軒を並べている。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年08月 東北・北海道ツーリング
洞爺湖(とうやこ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

湖岸から洞爺湖を望む
屋山の噴火により形成されたカルデラ湖としては国内3番目の大きさ。周囲約43kmの遠景の湖面には中島・観音島・弁天島・饅頭島の大小4つの中島が浮かんでいる。中島はエゾジカやエゾリスの生息する鳥獣保護地区になっており、遊覧船で渡ることが出来る。4月下旬から10月下旬まで毎日ロングラン花火大会が行われている。
この地域はもともと海だったが、活発な火山活動により約10万年前に陸地になったと言われる。その後新たに出来た火山が激しい活動の末陥没し、そこに水がたまって出来た湖が洞爺湖である。その後、洞爺火山の余力で中心から溶岩がつきだし、それが中島となった。

洞爺湖を見るなら近くの山から見た方がその全体を眺めることが出来ていい感じ。湖岸からだと近すぎて普通の湖と何ら代わりがない。中島にはエゾジカが普通に生息しているらしいが、まだ渡ったことはないのでよくわからない。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年08月 東北・北海道ツーリング
昭和新山(しょうわしんざん)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★☆

昭和新山と観測する三松氏の像
昭和18〜20年の火山活動によって麦畑だった地盤が295mも隆起して誕生した標高402.3mの山。地下で固まったマグマがそのまま押し上げられた世界でもまれなペロニーテ火山で国の特別天然記念物に指定されている。現在も時折ガスを噴出している。近くには有珠山ロープウェイや、昭和新山くま牧場などがある。
昭和18年(1943年)12月28日に始まった有感地震は多いときには一日200回近くも数えた。翌19年になると地震の回数は減ってきたが、地割れや地面の隆起が始まり、多いときには一日に30cmも隆起している。昭和19年6月23日から噴火が始まり、10月下旬まで続いた爆発(17回の爆発が記録されている)により隆起速度はさらに速まり大地は標高300mの半円形の小山に達した。11月11日になると噴火口から固まった溶岩が地表に突き出て隆起を続け、昭和20年9月には407mに達したところで活動を停止し、現在の昭和新山が誕生した。
昭和新山が誕生した頃は第二次世界大戦の末期で、軍部はこれを機密事項にし、火山学者も十分な調査・観測ができなかった。このとき地元の郵便局長・三松正夫氏(1888〜1977)は、この火山活動を歴史の空白にしてはならないと冷静な観察眼で創意工夫と努力、想像を絶する苦難を重ねて火山誕生の経過を克明に記録した。その一つが「ミマツダイヤクラム」である。戦後の混乱期にも新山を荒廃から護るため私財を投じて主要地域を購入し、保護に死力つくした。現在彼の業績をたたえるため、昭和新山の麓に像が建立されている。

観光地としてかなり有名なところで、多くの観光客が訪れている。現在も活動中、しかも天然記念物に指定されているため山の麓までしか近づくことが出来ないのが残念。まあ登るのはかなり大変だと思うけどね。
駐車場はかなり広く作られており、バイクも100円と安いので行ってみるには問題ない感じ。バイク用のスペースは山のすぐ近くに作られているしね。観光地として一度は行っておくべき所だろう。中にある資料館は無料で拝観できるので昭和新山について知りたいのなら覗いてみる価値あり。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年08月 東北・北海道ツーリング
地球岬(ちきうみさき)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

眼下に雄大な景色の広がる展望台
室蘭市の絵鞆半島の南東端にある「地球が丸く見える」というフレーズで有名な岬で、断崖絶壁の展望台からは丸みを帯びた水平線を見ることが出来る。昭和60年に行われた「北海道の自然100選」、昭和61年に行われた「あなたが選ぶ北海道」で第一位となったところである。アイヌ語でポロチケップ(親である断崖=断崖絶壁)の意味の言葉がチケウエ、チキウと転訛し、「地球」という当て字が使われるようになった。
岬の先端にあるチキウ岬灯台は、大正9年(1920年)に完成した白亜八角形の灯台で、約120mの断崖絶壁の上に建っている。灯台内部の観光は出来ない。
付近の海岸線は100m前後の断崖絶壁が連なり、晴れた日には対岸に駒ヶ岳、遠くには恵山岬や下北半島も望むことが出来る。また夏から秋にかけてこの展望台からイルカの群れを見られることもある。

晴れた日にやってくると展望台からの眺めは最高にいい。地球が丸く見えると言うとおり、水平線が丸みを帯びていることがわかる。人が多いと展望台での記念撮影は順番待ちになってしまう。天気が悪いとき、特に霧の時などに来たら全くその価値はなくなってしまう。ただ、これが北海道100選で第一位になったというのは何でだろうという気もするが・・・。
駐車場も整備されており、おみやげ屋なども営業している。「シナダ」というお店で買い物をすると地球岬到達証明書を貰うことが出来るらしい。近くにある公衆電話は地球の形をしたモニュメントで覆われており、ぱっと見は電話とは思えないようになっている。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年08月 東北・北海道ツーリング
神威岬(かむいみさき)
内容=★★★★☆ お得度=★★★★★

眼下に見える神威岩
積丹半島の北西にある岬で、積丹ブルーと呼ばれる海の青さが印象的。岬の先端には高さ40mの神威岩(別名チャレンカ姫)があり、夕日のスポットとしても有名である。
安政3年(1856年)まで女人禁制の地で船に女性が乗っていると海が荒れると言われていた。現在はもちろんそのような決まりはないが、現在でも岬の入口には「女人禁制」の看板が立っている。この女人禁制の話の素になったチャレンカ姫と義経の悲しい伝説が伝わっている。

チャレンカ姫の伝説(1999年に積丹YHで聞いた話)
奥州で源頼朝の命を受けた藤原氏の襲撃を受け、命からがら逃げ延びた源義経。東北から船に乗り北海道アイヌの地に逃れ、この世別にあった村に流れ着いた。逗留している間に、ここの酋長の娘「チャレンカ姫」と恋仲になってしまった。しばらくの間、この地で平和な日々を過ごした義経だが、夢を求め、旅立ちの決意する。チャレンカ姫にこのことを伝えることが出来ず、黙って出発することになった。
ある朝、狩りに出かけると言い残して出発していった義経だが、一緒に身の回りの品もなくなっていることに気がついた。あわてて後を追いかけたチャレンカ姫だったが、義経は余別の港から船をこぎだした後であった。あわてて後を追い、神威岬までやってきたときには義経の乗った船は遙か水平線の彼方であった。必死に叫ぶ姫。しかし義経の耳にはとどかなった。悲しみのあまり海に身を投げたチャレンカ姫は海の藻屑となってしまった。
この後、チャレンカ姫の思いがこの神威岩となり現在も残っている。この神威岬の沖を女人が乗った船が通ると嵐の遭遇するというのはこのチャレンカ姫の魂が今もここ神威岬に残っているからである。

以前は岬の入口から念仏トンネルを抜けて足場の悪い海岸線を約1時間かけて歩かなければならなかったが、現在は駐車場と遊歩道が整備され、駐車場から約20分で岬の先端へ行くことが出来るようになった。ただし風が強いときは通行止めとなる。
開放時間=7:00〜18:30

岬の先端からは眼下に神威岩と青く輝く海を見下ろすことが出来てとても見応えあり。特に晴れているときは海の色が何ともいえないくらいに綺麗に輝いて見える。近くに来るのであれば是非とも寄っていくべき所である。
夕日は岬の先端から撮っても意味が無く、積丹半島を少し東へ進んだところから神威岬に落ちる夕日を撮るのが一番いいロケーションとなる。
岬の先端にある神威岩の説明版にはこう書かれている。「神威岩は現在位置から北西の方向約40mの位置にあり、その大きさは高さが40m・・・」たった40mしか離れていないわけないやん!実際は140m位なのかなあ?このプレートが出来て5年以上経っているんだが未だに修正されていない。
以前は岬に行くには1時間くらいの遊歩道を歩かなければならなかったが、どっちかというとそっちの道の方が歩きごたえがあって楽しかった。途中に念仏トンネルや水無の立岩という見所もあったし。今も神威岬入口の少し北にあるうしおという店の奥から行くことは出来るが、基本的には立ち入り禁止になっている。とはいえ、入口に低い柵がしているだけなんだけだ。

訪問時のツーレポ
 ● 1999年07月 ソロツーリング 北海道・東北へ
 ● 2004年08月 東北・北海道ツーリング
念仏トンネル(ねんぶつとんねる)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

念仏トンネル入口
大正時代に掘られたトンネルで、数年前までは神威岬に行く唯一の通り道だった。現在は別のルートが開通し、こちらのルートは閉鎖されている。内部で直角に曲がった鍵型になっているため、中は真っ暗である。もともとは直線で掘る予定であったが、測量のミスでずれていたことがわかり、途中から直角に掘ったため、現在のようなトンネルになってしまった。
大正元年(1912年)に神威岬灯台の草薙灯台長婦人および土谷補員婦人とその次男(3歳)が天皇誕生日のお祝いの品物を買い出しに余別市街へ出かけた。その途中、ワクシリ岬付近で荒波に足をさらわれて海中に落ちて溺死した。ここは上は断崖絶壁、下は波打ち際の険しい地形で、なぎや干潮の時は渡ることが出来るが、そうでないときは容易に越えることの出来ない難所だった。土地の人々はこのような海難事故が再び繰り返されないように大正3年にトンネルを造る計画を立て着工した。
岬の西側と東側の両方から同時に始められたが、測量計画の誤算のせいか、開削技術の未熟のせいかトンネル中央部に食い違いが生じてしまった。村人達が犠牲者の供養を含め、双方から念仏を唱え、金を打ち鳴らしたところ、その音で掘り進む方向がわかり工事を進めることが出来た。このようにして大正7年11月8日に開通にこぎ着けた。

トンネル内は両方の入口から曲がったところには外の光が全く届かないので真っ暗。壁に手を当てて進んでいかないと全くわからない。
昔は神威岬にいく観光客でそれなりに人も通っていたと思うが、現在はほとんど通る人もいなくてひっそりとしている。(立ち入り禁止の所なので当たり前なんだけどね)ネタ的にはなかなかおもしろいところだし、神威岬に行くルートとしてはこっちの方がおもしろいと思うが、切り立った断崖の下を通っていくので危険度はかなり高そう。

訪問時のツーレポ
 ● 1999年07月 ソロツーリング 北海道・東北へ
 ● 2004年08月 東北・北海道ツーリング
水無の立岩(みずなしのたていわ)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

美しいプロポーション?
この岩の先、神威岬まではどこを掘っても真水がわいてこないと言うことから付けられた名前。現在岩の中央部分から大きな亀裂が入っており、数年もすれば崩れてしまうかもしれない。

ウエストのくびれたプロポーションのいい女性の形をしているとも言われているが、そのように見えるのは岩の反対側からで、岬から見るとただの丸い岩としか見えない。積丹YHでは「女性の一生岩」とか言っていた。ウエストのくびれたナイスプロポーションの女性であるが、神威岬に向かって歩いていくと徐々に太った体型へと変わっていくことから付けたようだ。(女性に言わせると失礼な話である)

訪問時のツーレポ
 ● 1999年07月 ソロツーリング 北海道・東北へ
 ● 2004年08月 東北・北海道ツーリング
積丹岬(しゃこたんみさき)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

展望台から望む海岸線
積丹半島の最北端に位置する岬で、島武意海岸は「日本の渚百選」にも選ばれている景勝地。海と岩盤のコントラストが見事に調和している。海岸に沿って遊歩道あり、途中に展望台も整備されている。遊歩道の途中にある女郎子岩には義経とシララ姫との悲しい話が伝わっている。

シララ姫の伝説(1999年に積丹YHで聞いた話)
チャレンカ姫をおいて神威岬を出発した義経であったが、運悪く嵐に遭い、またも難破してしまい、この積丹の地に流れ着いた。そしてここの酋長の娘に助けられ、手厚い看病を受けた。数ヶ月が過ぎて義経の体は快方に向かい、二人の間に愛も芽生え、そのまま数年義経はこの地にとどまり、平和な日々が過ぎていった。そして二人の間に子供も誕生した。
ある日義経は再び旅立つことを決心してこの姫にそのことを告げ、旅立っていった。義経が出発していく姿を子供を抱え見送っていたが、海岸の岩を一つ、二つ、三つと渡ったとき、足を滑らし海の中へ落ちてしまった。そして帰らぬ人となってしまった。このときの思いが子供を背負った姿となって今も残っている。

駐車場から二人が並んで歩けるくらいのトンネルを抜けると島武意海岸に出ることができる。このトンネルはニシン漁が盛んだった時代に切り立ったがけの下の浜からニシンを運ぶために造られた物である。
駐車場からトンネルを抜けただけですばらしい景勝を眺めることが出来るため、観光地として訪れる人が多いようだ。ここももちろん晴れていないと海の色が映えなくておもしろくないところだ。出来れば遊歩道を歩いた方がいいんだろうが、いまだに歩いたことはない。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年08月 東北・北海道ツーリング
苔の洞門(こけのどうもん)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

でっかい岩を支える?
支笏湖の南岸、国道276号線から250mほどの遊歩道を進んだところにある渓谷にびっしりと苔がむした奇勝地。
1739年に起きた樽前山の噴火により生じた火砕流堆積物(溶結凝灰岩)が、噴火直後に発生した土石流により急激に浸食されて出来た約420mの渓谷で、岸壁にはエビゴケ、エゾチョウチンゴケ、ジャゴケなど約二十数種類のコケ植物が密生している。
平成13年(2001年)に渓谷の一部が崩落し、見学不可となっている。現在は洞門入口の展望台から洞門の入口を眺めるだけとなっている。平成17年(2005年)より再開される可能性大。

洞門内の壁はコケによって緑一色に埋め尽くされており、木漏れ日の中、輝いて見える感じ。現在駐車場の整備が進んでおり、2005年には建物も正式にオープンする予定。ここから250mほど林の中を進んでいくと洞門に到着。洞門は幅が狭いところもあり、人が多いときは渋滞してしまう。(一人しか通れないはしごのかかっている所や岩が渓谷に引っかかってその下を抜けていくところがある)
写真に是非納めたいところだが、人が多いときに行くとどうしても人が入ってしまうので早い時間に行くのがベスト。ちなみにフラッシュをたくよりは三脚でスロー撮影した方が綺麗に写る。

訪問時のツーレポ
 ● 1999年07月 ソロツーリング 北海道・東北へ
 ● 2004年08月 東北・北海道ツーリング