北海道 道南地区

史跡・建築物

松前城 小樽運河 -

松前城(まつまえじょう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★☆☆☆

本丸御門と天守
松前城は福山城とも言われ、松前城福山の大地に築かれた平山城で、安政元年(1854年)に築城された日本で最後の城である。明治維新の戦乱によって廃虚と化し、明治8年(1875年)には天守、本丸御門、本丸東壁などを残して取り壊された。しかし昭和24年(1949年)の火災により本丸御門以外の建物は焼失。昭和35年(1960年)に三層の天守が復元された。
現在は公園として整備され、7000本の桜が咲く名所となっている。4月下旬から咲き始め、満開になるゴールデンウィークはたくさんの花見客で賑わう。
豊臣秀吉の時代、蛎崎(かきざき)慶広が蝦夷地の支配者として認められ、秀吉の死後、慶長4年(1599年)に徳川家康に臣従して姓を松前と改めた。その後、慶長11年(1606年)に松前城の前身となる福山館を築城。松前藩の石高は1万石に過ぎなかったが、ニシンや昆布、鮭などの海産物の専売やアイヌとの交易で栄えることになった。
幕末になり、ロシア船が出没するようになると、徳川幕府は松前崇広に築城を命じ、6年の年月をかけ、安政元年(1854年)に松前城が完成した。これが我が国最後の日本式城郭となった。
明治元年(1868年)に榎本武揚、土方歳三らが率いる旧徳川幕府軍の手によって落城したが、明治2年に官軍が奪取。明治8年(1875年)には天守、本丸御門、本丸東壁などを残して取り壊され、その天守も昭和24年(1949年)の火災により本丸御門以外の建物は焼失してしまう。
入館料=210円、入館時間=9:00〜17:00。

復元された天守は鉄筋3階建ての建物で、内部は民俗資料館となっている。城としての価値はなく、普通の資料館として見学するといった感じ。天守に隣接する本丸御門は現存するもので、時代を感じるような造りになっている。時間があるようなら、近くのお寺と併せて観光した方がよいだろう。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年8月 東北・北海道ツーリング
小樽運河(おたるうんが)
内容=★★★☆☆ お得度=★★★★★

小樽運河
大正時代に造られた運河の一部が残る小樽を代表する観光地。運河脇の石造りの倉庫群は店舗や博物館に再利用され、夕暮れ時にはガス灯が揺らめく散策路になっている。
小樽運河は大正3年からおよそ9年の歳月をかけて造られた全長1,300m、幅40mの運河である。ニシン漁により繁栄を極め、一時は400もの艀が渡されていたが、昭和に入り、徐々にその活気を失っていった。昭和41年に運河の埋め立て計画が提出され、長年の議論の末、運河の一部が保存されることになり、現在に至っている。

小樽に来た観光客のほとんどが運河をやってくるため、昼間は観光客であふれている。一番のお勧めの時間は明け方であり、ガス灯に照らされた人のいない運河を楽しむことが出来る。しかし運河は小樽に来た記念の写真を撮るためのような感じがする。この写真を見ると「あ、小樽に行ったんだ」という感じだ。

訪問時のツーレポ
 ● 2004年8月 東北・北海道ツーリング