千 葉 県

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房総半島最南端 月の沙漠記念館 千葉県立総南博物館

房総半島最南端(ぼうそうはんとうさいなんたん)
内容=★☆☆☆☆ お得度=★★★★★

房総半島最南端の碑
房総半島の先端、野島崎灯台の先に位置する北緯34度54分、東経139度54分の房総半島の最南端。かなりコアな最端なのであまり知られていない。野島崎灯台にある遊歩道の途中に立派な碑が建っており、アフリカから運ばれてきた28トンの黒御影石に説明が書かれている。
碑の近くの岩場の上にはベンチが設置されており、「朝日と夕日の見える岬」と書かれた柱が建っている。その柱の東側には南房総白浜サンライズポイントと書かれ、西側には南房総白浜サンセットポイントと書かれている。

野島崎灯台に来たときに遊歩道を歩いた途中にこんなものがあったと言うような感覚で、わざわざコレを目的に来るというような所ではない。まあよっぽど最端巡りにこだわっているのなら別だが・・・。まあ遊歩道はなかなかいい感じなのでせっかく来たなら歩いて散策するのはいいかもしれない。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年06月 房総半島を暴走!!
月の沙漠記念館(つきのさばくきねんかん)
内容=★★★☆☆ お得度=★★☆☆☆

海岸のラクダの像
記念館の入口
童謡「月の沙漠」を作詞した叙情画家・加藤まさをの作品を中心に御宿に縁のあった文人・画家の作品を展示している。記念館の前の海岸には月の沙漠の唄の歌詞をイメージした「月の沙漠記念像」(ラクダで旅をする王子とお姫様の銅像)が建っている。

月の沙漠をはるばると  旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍置いて   二つならんでゆきました

金の鞍には銀の甕    銀の鞍には金の甕
二つの甕はそれぞれに  紐で結んでありました

さきの鞍には王子様   あとの鞍にはお姫様
乗った二人はおそろいの 白い上衣を着てました

広い沙漠をひとすじに  二人はどこへゆくのでしょう
朧にけぶる月の夜を   対の駱駝はとぼとぼと
砂丘を越えてゆきました
黙って越えてゆきました

建物の外観は王宮をイメージしたデザインとなっている。館内二階にある加藤まさを展示室には彼の作品や書斎が展示されている。映像展示室では御宿の四季がビデオで紹介されている。
開館時間=9:00〜16:30、入館料=400円、休館日=水曜日

記念館はあまり見る価値がなく、海岸で月の沙漠記念像を撮ればそれで十分という印象。加藤まさをに興味がある人にはいいかもしれないが、観光のついでというのであれば入らなくてもいい感じ。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年06月 房総半島を暴走!!
千葉県立総南博物館(ちばけんりつそうなんはくぶつかん)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★☆☆

天守閣の形をした資料館
徳川四天王の一人・本多忠勝を初代城主とする上総大多喜城本丸跡に建てられた天守閣造りの歴史博物館。房総の中世、近世の城郭とそれに関わる武器・武具や調度品、古文書及び武家社会や城下町の生活などに関する資料が展示されている。
大多喜城は大永元年(1521年)に真里谷武田信清が築城したと言われている。天文13年(1544年)に房州里見氏の重臣だったの正木時茂が入城し、4代に渡り上総正木宗家の居城として発展した。その後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉によって北条氏が滅亡し、徳川家康が江戸に移った時に、安房の里見氏に対する牽制として徳川家康の家臣・本多忠勝が10万石で入城した。その後、城主は阿部、青山、久世、稲垣、植村氏と移り変わり、元禄16年(1703年)に松平正久が入城し、9代続いて明治維新を迎えた。
近世大多喜城は現在の位置にあったということは分かっているが、中世大多喜城は別の場所にあったという説もあり、現在の所はっきりと結論が出ていない。ちなみに近世大多喜城の天守閣は天保13年(1842年)城下町の火災で焼失した。
開館時間=9:00〜16:30、入館料=200円。

案内でも博物館として説明されているように、天守閣ではなく、城の形をした建物として取り扱われている。まあ鉄筋なのでこっちの方が誤解が無くて自分としては納得いく説明である。
城内にある展示物の数が少ないのであまり見応えがないが、200円ならまだいいかなと言う感じである。途中には近世になって造られた導水管などの遺構もあり、また堀の形や石垣の積み方などの説明版が置かれている。屋外も博物館の一部として展示されている感じである。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年06月 房総半島を暴走!!