新 潟 県

名勝・地域

親不知・子不知 - -

親不知・子不知(おやしらずこしらず)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

道路から見た断崖
北アルプスが日本海に落ち込んでできた高さ300m〜400mの断崖が、約15kmにもわたって続く海岸線。古来より北陸道最大の難関として知られ、断崖と荒波を旅人が危険を冒して通過したといわれ、多くの遭難悲話が伝わっている。
今から約800年前の源平合戦の折、壇ノ浦の合戦で滅びた平家の一族・池大納言平頼盛はその領地越後の蒲原の五百刈村へ落ち延びた。この夫を慕って婦人もこの地を通りかかったが、懐の愛児を波にさらわれてしまった。その時詠んだ歌が「親しらず 子はこの浦の 波まくら 越路(こしじ)の磯の あわと消えゆく」である。この歌がこの地名の由来であると言われている。
明治時代に入り、明治天皇の北陸訪問を契機に国道開通運動が起こり、明治16年(1883年)に日本海側の道路が完成した。工事はすべて人力で行われ、苦難を極めたと言われている。この喜びを一枚岩に削って表したのが「如砥如矢(とのごとくやのごとし)」である。これは砥石のように滑らかで矢のように速く通れるという意味である。現在はこの旧道の更に内側に国道8号線、また更に内側に北陸道が開通し、天下の難所も昔の事となった。

現在は国道や高速が開通しているので、普通に走っていたのであればなんのことか全く分からない。天下の難所も今ではただの観光地となってしまっている。岸壁は切り立っていてかなり迫力はある。昔の苦労が分かる気がする。時間があれば海岸線に降りてみるのもいいかもしれない。もちろん渡るのはやめた方がいいと思うが・・・。

訪問時のツーレポ
 ● 2005年06月 房総半島を暴走!!