福 井 県 |
金ヶ崎城 | 丸岡城 | 永平寺 |
金ヶ崎城(かねがさきじょう) | |
内容=★☆☆☆☆ お得度=★★★★★ | |
城の跡の碑 |
中世時代の山城跡で、鎌倉時代末期の新田勢と足利勢の戦い、そして織田勢と朝倉勢の戦いの舞台として有名。 木曾義仲との戦いの際に平通盛がここに城を築いたのが始まりとされ、建武3年(1336年)に後醍醐天皇皇太子恒良親王と尊良親王を奉じて京都を出発した新田義貞らが、この城に入城した。しかし敵対する越前守護斯波高経の軍勢に囲まれ、さらに足利軍にも包囲されて完全に孤立。新田義貞ら数名は闇夜に紛れて脱出し、体勢を立て直して救援に向かうが、足利軍の総攻撃により城は陥落した。 室町時代にはこの城は「敦賀城」と呼ばれ、守護代甲斐氏の居城となっていたが、守護斯波義敏との争いから守護軍に攻められたが、甲斐軍の守りは堅く、斯波義敏は失脚。室町時代末の朝倉時代には郡司朝倉景恒がここを守っていたが、元亀元年(1570年)の織田信長の進行に対し無血開城。しかし、浅井長政が離反して挟撃戦になったため、信長は木下藤吉郎らにしんがり任せ、京都に撤退した。(金ヶ崎の退き口) 現在は月見御殿跡や木戸跡という碑と遺構が残るだけ。山の中腹には金崎宮が建っている。ここでは秀吉らの出世にあやかって、難関突破、開運招福のお守りとして両しばりの巾着袋のお守りが売られている。 室町から戦国時代にかけて数々の戦のあった場所で歴史的な意味はあるが、観光地としてはかなり貧相なところ。大河ドラマにあやかっていろいろと整備されたような感じだが、もともとあまり見るところがないので普通の人はがっかりする感じだ。建物が残っているわけでもないし、月見御殿跡というところは高台になっているんだが、そこから見下ろすことの出来るのは近代的な港湾だけなので眺めがいいわけではない。 訪問時のツーレポ ● 2006年05月 隠岐・能登半島ツーリング |
丸岡城(まるおかじょう) | |
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆ | |
天守閣の全景 途中の急な階段 |
日本に現存する天守は姫路城、彦根城、犬山城、松本城、弘前城、丸岡城、松江城、高梁城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の12城で、重要文化財に指定されている城の一つ。柴田勝家の甥・柴田勝豊が築城した城で別名霞ヶ城と言われ、現存する最古の天守閣である。 天正3年(1575年)に北陸の一向一揆を平定した織田信長は柴田勝家に越前の国を与え、守護職として、北ノ庄に築城を命じた。翌天正4年(1576年)に甥の勝豊に支城として築かせたのがこの城である。その後、青山氏、本多氏、有馬氏などが城主となり、明治維新を迎えた。昭和9年(1934年)に国宝に指定されたが、昭和23年(1948年)の福井大震災により倒壊。昭和30年(1955年)に修復され、重要文化財に指定された。 外観は上層望楼を形成し、二重三層の天守閣は、入母屋造りの屋形に回縁勾欄付きの望楼(廻縁を巡らした望楼)を乗せた形式となっている。 拝観時間=8:30〜16:45、拝観料=300円(歴史民俗資料館と共通) 最古の天守閣と説明されているが、現存するとちゃんと案内に書いてほしい。混乱してしまう・・・。城の壁が白塗りではなく普通の板張りになっているのが他の城よりも古い時代に建てられた感じを物語っている。石垣も野積みで権威を示すものではなく、実践をベースに作られたものという印象。 残っているのは天守閣だけで他には何もない。一度地震で倒壊しているが、極力当時の材料を使用して修復されているので改修されたような感じかもしれない。これを現存すると言っていいのかは・・・。当時のまま復元されているので階段などは人が多いときは渋滞しそう・・・。城の脇にある歴史民俗博物館が資料館になっているので城の中は展示室にはないっていないのはなかなかいいかもしれない。 訪問時のツーレポ ● 2006年05月 隠岐・能登半島ツーリング |
永平寺(えいへいじ) | |
内容=★★★☆☆ お得度=★★★☆☆ | |
寺の境内の様子 |
道元禅師により開創された座禅修行の道場。総持寺とともに末寺15,000寺を有する日本曹洞宗の大本山で、本尊に釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏を祀っている。 永平寺の開祖道元禅師は、正治2年(1200年)に京都に生まれ、幼くして母を亡くし出家。その後、京都の建仁寺に移り、24歳のときに師の明全とともに中国に渡った。4年あまりの修行の後、法灯を継ぎ帰国。京都の建仁寺、深草の興聖寺にて修行に励むが、旧勢力との対立から寛元元年(1243年)に越前国志比の庄吉峰寺に移り、翌年に傘松峰大仏寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立。これが永平寺の開創であり、寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めた。その後、4世の頃に寺勢は急激に衰えたが、5世義雲が再興し現在にいたる基礎を固めた。 広大な境内に七堂迦藍を始め多くの建物を有していたが、暦応3年(1340年)、文明5年(1473年)の戦火や火災により焼失。現在の建物は江戸時代以降に再建されたものであるが、吉祥閣、傘松閣、祠堂殿、東司、僧堂、仏殿、承陽殿、法堂、大庫院、浴室、山門など大小70余りの堂が回廊でつながれている。 拝観時間=8:00〜17:00(季節により変動有り)、拝観料=500円。 曹洞宗の総本山ということもあってかなり観光地化されていて人も多い。有名なところなので一度は行ってみようかという感じ。観光地にありがちなんだが、参道入口のだいぶん離れたところから駐車場の客引きが行われているが、バイクは参道入口に無料の駐輪場があるのでここに止める方がいい。 最初に見えてくる吉祥閣は近代的な建物だが、近世の建物とはいえ七堂迦藍などはなかなか見応えがある。修行僧があちこち歩いているのであまり話をすることは出来ないが、逆に雰囲気があってなかなかいい感じ。時間があれば修行体験とかやってみたいものだ。 訪問時のツーレポ ● 2006年05月 隠岐・能登半島ツーリング |