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名胡桃城跡 - -

名胡桃城跡(なぐるみじょう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

城跡に立つ碑
原っぱとなった城跡
豊臣秀吉の小田原征伐のきっかけとなる事件の起きた城。この事件により豊臣秀吉の天下統一は成ったと言っても過言ではない。現在、本郭、二郭、三郭、ささ郭などの郭跡や門跡が確認されているが、城跡はタダの原っぱとなっている。
室町時代に沼田城の支城として沼田氏によって築かれたと言われ、戦国末期に武田氏・上杉氏・北条氏が沼田攻略のための要衝として争奪を繰り返した。その後名胡桃城を拠点として真田昌幸が沼田城を攻略したが、武田氏滅亡後、再び北条氏と争った。天正17年(1589年)に豊臣秀吉の調停で名胡桃城は真田氏の領地となったが、北条氏の沼田城代・猪俣邦憲により名胡桃城は奪取される。このことに激怒した秀吉により翌年小田原征伐が行われ、北条氏は滅亡する。その後、沼田城は真田氏の所領となり、名胡桃は廃城となった。

正直なところ言われないとそこが城跡とは分からない・・・。(^_^;; ただの原っぱという感じである。城跡と言ってももともと砦というレベルのものだったと思われる上、廃城となってからかなりの年月が経っていることもあり、見る価値はと言うと・・・。見ると言うよりは歴史的な価値が大きいという感じかもしれない。ただ、歴史に興味のある人であればその価値は大きいが、一般的にはほとんど知られていないと思われる。

訪問時のツーレポ
 ● 2007年09月 信州へ!