島根県 西部

史跡・建築物

マリア聖堂 多陀寺 -

マリア聖堂(まりあせいどう)
内容=★★☆☆☆ お得度=★★★★★

マリア聖堂とその内部
明治維新後、キリシタン禁止令により改宗を強要された長崎の教徒たちが収容された場所で、現在は小さな教会が建っており、5月3日には巡礼者による乙女峠まつりが行われる。
慶応元年(1865年)に長崎の大浦天主堂で「サンタマリアの御像はどこ?ここにおります私たちは皆、あなた様と同じ心です」という言葉によって250年の長い迫害の陰でキリスト教を守り続けたことが世界に認められた。明治維新によって江戸幕府は倒れ、新政府が誕生したが、明治政府は江戸幕府と同じようにキリスト教を禁止し、「浦上四番崩れ」といわれる弾圧が始まった。
およそ3400人の長崎のキリシタンが鹿児島、萩など全国20カ所に送られ拷問により改宗を強要された。ここ津和野にも153人のキリシタンが送られてこられ、乙女峠の光琳寺(こうりんじ)跡に収容された。三尺牢(1m四方の牢屋)や氷責め(近くの池に投げ込まれる)、減食などの拷問により、改宗するものも出たが、36人は殉教してしまう。このときに聖母マリアの姿を見たという話や、天国の味がもっといいといってお菓子をもらうことを拒んだ5歳の子供の話などがある。
昭和26年(1951年)にドイツ人神父・ネーベル(岡崎神父)により記念聖堂が建てられた。聖堂内には殉教物語の描かれたステンドグラスが飾られている。また聖堂の近くには三尺牢の再現やそのときに見たマリア像、氷責めをした池、キリシタンの墓と言われる墓石などがある。
見学無料、見学自由。

津和野駅の裏手の山の中腹にある聖堂で、麓の駐車場から100mほど登ったところにある静かなところ。聖堂は小さなもので、20人くらいが入られるくらいで、特に歴史的な価値があるわけではない。
実際、明治時代になってもキリスト教が禁止されていたことを知ってる人は意外に少なく、このように流罪になったことを知っている人はさらに少ない。歴史的な訪問場所といった感じなので興味がない人にはおもしろくないだろう。人がいればこの教会に関する説明をしてもらえるが、宗教にありがちな(宗教にとっての)美徳の話がメインになっている感じがする

訪問時のツーレポ
 ● 2006年05月 隠岐・能登半島ツーリング
多陀寺(ただじ)
内容=★☆☆☆☆ お得度=★★★★★

寺の仁王門
流世上人によって開山され、十一面観世音菩薩を本尊とする高野山真言宗のお寺で中国観音霊場第二十二番に登録されている。
流世上人は弘法大師空海の相弟子で、唐で恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から共に密教を学び、大同元年(806年)に帰国した。諸国を遍歴しながら上洛する途中、この地での奇瑞を感得し、唐より持帰った1寸8分の金色観音像を安置したのが始まりといわれる。寺には、藤原期の作と言われる天部像がは50躯安置されている。

寺の歴史はかなり古いが、建物もそんなに歴史があるわけでもなく、天部像も歴史は古いがそんなにできのいいものではない。お寺巡りなどでやってくる以外は余り見る価値はないような感じだ。
ちなみに流世上人は空海の相弟子となっているが、ほとんどその素性、功績は伝わっていない。あまりにも空海が有名になりすぎて陰に隠れてしまったのか、それとも空海と同一にされてしまったのか・・・。(自分的には後者ではないかと思われる)

訪問時のツーレポ
 ● 2006年05月 隠岐・能登半島ツーリング