君が夢、風を渡って

機関誌 Vol.11 130〜133ページ

<中野一号>


例えば、道が道だけのものでないなら、人はアスファルトに何かを刻み付け、そして流れて行く。ただ風はやさしく、道を道を渡る・・・。

夕闇が迫る交差点を左に曲がり、俺は苫小牧のフェリーターミナルにバイクを止める。ゆっくりとヘルメットを脱いでミラーに引っ掛ける。左腕の時計を横目で見て、近くの花壇に腰を下ろす。
「まだ、来てないか・・・。」
俺はそう呟くとウエストバックからタバコを取り出し火を付ける。ゆっくりと立ち上がる紫煙の向こう側、オレンジ色の塊が水平線に沈んでいく。少し気の早い星たちが輝き始める。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。フォン、フォンと、記憶の片隅にある排気音。どうやら俺は忘れてなかったみたいだ。俺と同じ黒い色の、そして同じ様にくたびれたジャケットを着た男が、軽く手を上げて止まる。俺は無言で自分のバイクを指さし歩いていく。ヤツも同じ様にバイクを止め、同じ様にミラーにヘルメットを掛ける。
「遅かったな、俺より先に来ていると思ってたぜ。」
「ああ、今朝小樽に着いてな。函館を回ってココだ。」
ヤツは右手を出す。苦い握手と笑顔、そして昔と同じジョーク・・・。
さっきと同じ様に俺は花壇に座りタバコをふかす。ヤツは腕を組んだまま自分のバイクに体重を預けて、少し離れた所に座り北海道の思い出話に花を咲かせているグループを退屈そうに眺めている。しばしの間、無言の時が過ぎる。ここ何年かの空白が俺達に言葉を失わせている。
「巧、あれから加奈子とは会ったか?」
思い出したようにヤツが口を開く。
「いや、葉書が来ただけだ。北海道へ今日着く、とだけ書いてあった。哲二、お前はどうなんだ?」
「同じだよ。」
その答えに俺はなぜかほっとしたような、残念なような、妙な気持ちになる。同時におかしさもこみ上げてくる。
「・・・お前、今も加奈子が、」
「着いたみたいだぜ。そこまで行くか。」
ヤツが俺の質問を遮るようにフェリーを指差す。横付けされた桟橋から最初のトラックが顔を出す。何年ぶりだろうか、俺達は並んで歩き出した・・・。
俺と哲二、加奈子が初めて出会ったのは暑い夏の日、大学の前期試験が終わった夕方だった。俺はバイク屋へ行き、店の前のいつものスペースにバイクを止めようとした。しかしその場所には見慣れないバイクがすでに止めてあった。ミラーに赤いヘルメットを引っ掛けて。仕方なく俺はいつもとは違う場所にバイクを止め、店に入った。
店の中にはこのバイク屋では見掛けない女の子が社長と何か話していた。そうか、この娘が止めていたのか。別に見とれていたつもりは無かったが、俺の後ろでチーフがにやにや笑っていた。
「タク、なんだったら紹介してやろうか?」
「えっ、い、いいよ。別に・・・。」
しかし、チーフは「いいから、いいから。」と俺の腕を引っ張って行った。
「カナボー、こいつタクミ。君と同じ大学生で・・・」
チーフがそう言いかけた時に哲二が店に入ってきた。ヤツもチーフに呼ばれて三人、お互い「どーみ、どーも」言いながら自己紹介しあった。そしてこの時から、この店の俺のバイクの指定席は彼女に譲り、哲二の隣に移ることになった。
あの日、三人がバイク屋で会ってから、一緒に走りに行く事が多くなった。哲二が先頭を走り、加奈子を挟むようにして最後尾に俺、なんとなく決まったパターンだった。
「哲っちぇん、タクちゃん、今度の連休にツーリング行こうよ!泊まりがけでさ。」
夏も終わり、そろそろジャケットが欲しくなる季節に加奈子からの提案があった。二泊三日で箱根、伊豆、富士五湖を回るルートだ。
「おっ、いいな。バイト空けとくぜ、巧もいいだろ?」
「当然。でも加奈子、泊るトコとかどうするんだ?」
「実はもう考えてあるの。一泊目はこの辺の民宿でしょ。で・・・」
加奈子にとって初めての泊まりがけのツーリングは成功に終わった。彼女はよほど嬉しかったらしく、旅の間ずっとはしゃいでいた。実は俺や哲二にとってそのルートは特に珍しくもなく、何度も行ったことのある所だ。ただ、加奈子の喜ぶ姿を見ればそんな事はどうでもいい事に思えた。哲二もそうに違いないはずだ、多分。そして俺達三人は暇を見付けてはあちこちツーリングに出掛け、一年が過ぎた・・・。



「今年の夏にさぁ、北海道行かない?楽しいよ、きっと。」
学食で昼メシ食べながら、またしても加奈子が計画を持ち出した。
「それはいいけどよ、俺達は来年就職活動だぜ?」
「確かに。一生を決めるかもしれない事だからな。確実な約束はでき無いぜ」
今度ばかりは俺も哲二も二つ返事という訳にはいかなかった。結局、半ば加奈子に押し切られるような形で、就職が決まったら、と言う事に落ち着いた。
計画はあくまで計画で、俺達の北海道ツーリングは実現しなくなった。それは小雪が舞うクリスマスの夜だった。アパートのドアをノックする音、入ってきたのは哲二だった。
「巧、ちょっといいか?」
「まあ上がれよ。一人か?加奈子は一緒じゃないのか?」
ヤツの返事はなく、氷を入れたグラスを二つ、流し台から持ってきた。俺は二つのグラスに半分ほどウイスキーを注ぐ。それを哲二が一気に煽る。
「・・・フラレてきた、たった今な。」
そして長い沈黙。時折、グラスの中で溶けた氷が小さく音を立てる。言葉に出さなくてもお互いの言いたい事は分かっていた。分かっていたからこそ無言で減ってゆく瓶の中の酒が、なのに全然酔えない俺たちが悲しかった・・・。
年が明けて、人影の少ない図書館の前に俺達三人は立っていた。
「・・・ゴメンね。哲ちゃんもタクちゃんも、二人のこと好きだよ。でも・・・」
「分かってるさ。哲二から話は聞いてるからな。」
なぜ加奈子がバイクに乗るようになったか、そして俺か哲二では友達以上になれない訳、そして今年の夏に北海道に行けない理由・・・。
「行けよ、加奈子。・・・アイツが待ってるんだろう。」
それまで黙っていた哲二が今日初めて口を開く。それに頷くと彼女は歩き出した。俺達に背を向けたまま、一瞬立ち止まる。
「いつか、行こうね、北海道。・・・三人で。」





何台かのバイクが俺達の前を通り過ぎ、夕暮れの港を後にする。やがて懐かしい排気音が聞こえ、赤いヘルメットのライダーが俺達の前で止まる。
「久し振り!二人ともホントに来たんだね。」
「当然。一度北海道を走ってみたかったし。いいなぁ、やっぱり。」
あれから皆いろんな事があっただろう。加奈子も、哲二も、俺も。今までのこだわりは捨てて、また昔みたいに三人で楽しいツーリングを・・・
「タクちゃん、どうするの?今から。」
「おっ、そうだな。今日は近くの公園にでもテントを張るか。」
「そうと決まったらさっさと行こうぜ!」
俺達はバイクに跨る。哲二、加奈子、俺、昔と同じ順番で走り出し、薄暗くなった港を後にする。道は俺達の前に真っ直ぐ伸びて、そして後ろにも続いていた。今、風は優しく、ただ優しく道を渡っている・・・。
Produced by Nakano
Special Thanks Yas-Kiyo