復活?オフロードチーム”らべんだ”

機関誌 Vol.11 106〜109ページ

<王将男>


オフロードチーム”笹田牛乳店”都島本部 城東支部 王将男
 3年前の7月に、俺を監督として残りのメンバー2人(かん、みぞみぞ)で始めたオフロードチーム”らべんだ”でしたが、ある理由により活動が停止しました。そして、俺は去年から新たにオフロードチーム”笹田牛乳店”の一員として活動しています。
 しかし、その後に”らべんだ”の活動に参加してくれたY水、としえちゃん、さかもっちゃん、ロプロス(そうじ)、やっぴー、かんちゃん弟に申し訳ないのと、情けない理由でせっかくの”らべんだ”をこのまま無くすのは忍びないので、オフロードチーム”TREE”で3月から活動を始めたいと思っています。
 しかし、前回の事もありますので、今回からはレースに向けての活動を中心にしていたものを、オフなら何でもありありの鳴きタン、鳴きピン・・・じゃなかった、オフに関してなら何でも行っていこうと思います。では、実際にどの様な活動を行うかといいますと、オフをやってみたいけど出来ない方、怖いものだと思いこんでいる方、ダートを走行するのが不得意な方、林道を走ってみたい方、遊びでもなんでもいいから乗ってみようと思う方、本気でエンデューロレースをやってやると思う方、みんなでワイワイ楽しくやろうとしている方などの手伝いをしていきたいと思っています。
 オフロードチームという名は付いていますが、バーベキューのついでにダートを走ったり、オフバイクはあるけど林道を走ったことが無いので教えて欲しいとか、らいらっく関係外でも、遠距離でも構いませんので”楽しくできるオフロード”をモットーに活動していきます。
 今までに、オフロード壮行会に1回、エンデューロレースに4回参加していますし、自分でバイクのメンテナンスやタイヤ交換なども出来ますので、それらを教えたりする事もできますし、”笹田牛乳店”や地元の友人の”チーム シオヤ”などのオフの友人も数十人になりますので、オフ仲間もいますから気軽に声を掛けて下さい。
    オフロードチーム”らべんだ”のいままで
1992.07

1992.11


1993.04




1993.11



1994.09



1994.11
オフロードチーム”らべんだ”発足(王将男・みぞみぞ・かんちゃん)

初レース 参加:みぞみぞ(2位)・かんちゃん
王将男は骨折(左肩鎖骨及び右手首)と靱帯切断の後遺症のために断念!

王将男&かんちゃんコンビで2時間半耐久に出場
”笹田牛乳店”のメンバーは1時間耐久に3人出場
(王将男”笹田牛乳店”入会)
かんちゃん弟はレース観戦ではまりCRMを購入!

王将男・かんちゃん・かんちゃん弟・さかもっちゃんで1時間耐久
かんちゃん・かんちゃん弟・さかもっちゃん組と王将男・Y水・たださん(俺のDT200WRの前オーナー)で3時間耐久に出場(としえちゃん恋心で応援)

無謀にも4時間耐久にひとりで出場する王将男とその仲間2人!
王将男”笹田牛乳店”で出場
かんちゃん・かんちゃん弟は1時間耐久に出場

王将男”らべんだ”を捨てる!
”笹田牛乳店”で1時間耐久出場
他に前回も出場の地元の連れ”チーム シオヤ”の2人出場
本家”笹田牛乳店”も3人で3時間耐久に出場
以上が今までのオフロードチーム”らべんだ”の活動でした。これからはこの教訓をもとにしますので、楽しいチーム作りに頑張ります。

                              1995.2.24



王将男のエンデューロレース日記
 どうも〜、王将男どす。・・・いや〜、Y水さんのギャグで間の悪い入り方をしてしまいました。
 これから、俺の今までのエンデューロレースを報告してみたいと思います。

 3年前、俺が自由になった時にやることが無くなったのと、忘れたい気持ちで何かを始めようとしていた時に、友人に前から誘ってもらっていたエンデューロレースを始めようと思ったが、ひとりで始めるのは嫌であったのでみぞみぞを道連れにした。
 お互いに初練習に向けての装備を整えている時に、俺は北海道に憧れて限定解除していた頃の様に楽しかった。そして、初めてプラザ坂下で練習を行ったが友人にみぞみぞより下手と言われた。自分の未熟さに落ち込んだが、持ち前の立ち直りの早さで友人のKDX125SRの任意保険を払う事で、それを借りて練習をした。
 それから一ヶ月が経ち、2回目のプラザ坂下の練習でかんちゃんが参加し、この時、みぞみぞはかんちゃんには勝つ自信があったが、そのもくろみももろくも崩れていた。そして、3人の間でライバル意識が持ち上がり、それぞれがオフに燃えだしているのがわかった。
 俺は、今回の練習で125の限界を知り、200か250を探していたが、友人の知り合いで雑誌にDTを売りに出していた人がいて、その人から購入する事で、今のDT200WRが俺の相棒になった。そして、俺とみぞみぞとかんちゃんの3人で、11月のエンデューロレースに出場する目標を持ってらべんだを発足した。
 しかし、7月23日(木)にVFR750Fでクラッシュしてしまい、左肩鎖骨骨折及び右手首骨折と、左肩靱帯切断の全治4ヶ月の怪我をした。この怪我により49日間の入院と、一ヶ月以上の通院で体力とオフの腕が低下した。そして、医者からは激しい運動は禁止され、2輪もできるなら乗らないように注意されたが、通院中はDTで通っていた。そして、11月のエンデューロレースは残念ながら辞退して、みぞみぞの練習のコーチに専念した。2回ほど電車で淀川まで行っていたが面倒になり、リハビリを予て2輪で行ってたが、けっこう本気で走り、回りをひやひやさした。
 平成4年11月8日(日)の初レース当日、俺はとんでもないポカをしてしまった。なんと、寝坊をして二人のレース姿を観ることが出来なかった。本当に申し訳がなく、二人の活躍が観れなかったのが悔しかった。そして、3時間耐久をみんなで観戦している時に、俺はひとり取り残された様でさらに悔しくなった。
 新しい年を迎え、かんちゃんが監督になり、俺はスキーでリハビリと体力作りに励んでいた。そこに、友人から4月にあるレースの話が舞い込んできた。しかし、DTの遠心を抱き付かせていた(焼き付きの一歩手前)ので、かんちゃんと組んで2時間半に出場する事になった。この時に、友人のバイク屋の常連客も5人ほど出場していた。それが、”笹田牛乳店”であり、俺は気があって、このチームに入る事になった。
 俺の初レースが近付くにつれ緊張も高まり、スタートを待っている時に手が震え、限定解除を受けに行っている時と同じ気分であった。スタートはタイミング良く、5番手ぐらいであったが、ストレートで4ストと俺の体重で数台に抜かれた。途中で雨が強く降ったり、転倒やかんちゃんの予想外のライダー交代で、23台中14位というまあまあの成績であった。
 このレースでかんちゃん弟がはまり、CRMを新車で購入して”らべんだ”に入会する。ついでにY水さんも入会し、いい形になってきた。
 それから、練習を重ねていき、9月のレースにかんちゃん、かんちゃん弟、Y水さんの3人が出場したが、俺はちょっとした事(バイクと車の事故やけど)で出場できずにいた。
 そのレースを観戦しにきたさかもっちゃんもRMXを購入するという馬鹿げた事をして、”らべんだ”の一員として活動していった。この時に、長岡京に住んでいた女の子が、さかもっちゃんに恋心を抱いてしまい、見学とビデオ撮影の手伝いで参加してくれた。
 11月に行われたレースでは、王将男、かんちゃん、かんちゃん弟、さかもっちゃんの4人が1時間耐久に出場し、大雨の中、最悪のコンディションであり、タイヤ選択で失敗した俺は、納得のできないレースだった。そして、かんちゃん、かんちゃん弟、さかもっちゃんと王将男、Y水さん、たださんの2組で2時間耐久に出場した。俺の組の結果は、前回スタートで失敗したY水さんが30分ほど走り、次にたださん、俺と走ったが、Y水さんとの交代の周回で、がれ場でKDX125がボトムして、パンクしたままピットまで戻ってきたが、交代の時にY水さんが、リヤタイヤの中からゴムが出ているのを発見し、その時点で我々の組は終わってしまった。
 それから色々あり、新しい年では、Y水さんとかんちゃん弟が合同で監督になったが、練習など一切行われず、冬が過ぎ・・・春が過ぎ・・・夏が過ぎていった。
 その間、俺は一人での練習を行っていたが、地元の連れもオフをやり始め、9月の4時間耐久にそれぞれ一人で出場することになり、その友人の誘いもあり、かんちゃんとかんちゃん弟に声をかけて、二人は1時間耐久に出場することになった。
それから、あわてて地元の連れと練習を行ったが、自信が持てずにいたので、レースの前の週に、本家”笹田牛乳店”のメンバーがレースに出場する事を知っていたので、観戦がてらコースを練習しようとプラザ坂下に行きました。しかし、練習不足と始めの頃の気合いと違うため、一週で気分が悪くなるという最悪なものでした。こんな事で次週に4時間耐久に出場できるか不安になった。
 94'シアーズCUP第4戦が9月18日(日)に行われた。前日が大雨だった事もあり、コースコンディションは最悪状態であった。ゼッケン106の俺と、友人の107のDTWRコンビと、203のKDX125に乗る35歳の友人で車検をパスし、スタート前の緊張が高まってきた。
 そして、スタートラインに4時間耐久のマシンが並べられ、俺の緊張も最高潮に達していた。一度、エンジンストップの後、スタートの準備と共にエンジンに火を入れた。俺のクラスの101から125までがスタートする。ヘルメットに左手をやりながら考えていた。4時間の長丁場なので無理をせず、いつもよりペースを落として走りきろうと考えていた。そして、日章旗が振り下ろされ、後方からスタートした。
 最初の45分くらいは、107が俺のすぐ後ろを走行していたが、コーナーで転倒しているマシンに、ラインをふさがれている間に抜かれた。そして、1時間が経過して、俺はとりあえず水分補給の為にピットに入った。そこで、俺はかんちゃん兄弟の手伝いで水分補給を受け、コースに復帰して行った。取り合えず俺は107を追いかけていた。俺らの車の所では、遅れて見学にきてくれた友人がいたが、その中で107は折れに手を振っていた。そんな状況の中で半分の2時間が経過して、俺は休憩とガス補給のために車の所までマシンをやった。ガス補給を終え、トイレと途中経過の確認の為に本部に向かった。1時間では20位、2時間では23位の結果であった。参加40台で一人で走っている割には上出来と思い、30分休憩する予定を変更して、15分でコースに復帰した。
 これからが、いろんな意味での戦いであった。練習不足と疲れからくるミスが頻繁になり、余計な体力を消耗している。前半の悪かったコースコンディションも、走っているうちに良くなっているが、俺の体力・精神力・判断力がかなり低下しているのが判るが、そんな事を気に止めている精神状態ではなかった。
 そして、3時間を過ぎた俺にアクシデントが起こってしまった。普段使い慣れていない筋肉を使った為に、両足がつってしまったのだ。ピットを越えてからの坂の上でなってしまったので、引き返すこともできず、その場所で落ち着くまで止まっていた。マーシャルに声をかけてもらったりしているうちに、なんとか動ける状態までなり、車の所までマシンを持って行き、かんちゃん弟にマシンを持ってもらい、下りることができる状態だった。
 3時間経過の結果をかんちゃん弟から聞き、26位まで順位を下げていたが、この予定外で、さらに順位を落とすことは判っていたが、走りたくても走れない自分に情けなくなった。それでも落ち着いたのでコースに戻った。それから、2周した時に107はゴールの1km程手前で停止し、ゴールするつもりであったが、俺は1周でも多く周回したかったので、横目で通り過ぎていった。最終ラップの時、また同じ場所で両足がつってしまい、走ることが出来なくなった。このままリタイヤよりは無理をしてでも完走しようと、つっている足をステップにのせて、なんとか完走する事が出来た。ゴールではキャンギャル(もちろんハイレグ)が二人出迎えていたが、俺はキャンギャルを観る余裕もなく、皆の待つピットへ戻った。4時間耐久の結果は40位中30位の、自分では満足の結果で終了した。
 この後に、タイチが主催するレースに出場したが、”らべんだ”とは関係なく、結果報告だけします。出場した1時間耐久は63位中14位の結果で、練習もほとんどしていなかったわりには、良かったと思っています。後、本家”笹田牛乳店”は3時間耐久で64位中13位の結果でした。
 今年は、秋に行われる四国でのレースをがんちゃんと出場する予定ですので観に来て下さい。

 今回のオフロードチーム”TREE”は、俺一人で始めますが、入りたい人は声を掛けて下さい。条件などは一切無く、バイクに乗っていない人でも歓迎します。
次に逢える時まで・・・