風の吹く街の話

機関誌 Vol.08 23〜25ページ

<中野一号>

 彼女がこの街にやって来たのは風の吹いている日だった。その日、暇を持て余してただぶらりとバイクを走らせていた僕は、擦れ違いざまに彼女を見た。白いヘルメットから長い髪をなびかせ、リヤシートに大きなボストンバッグをくくり付けていた50メートルくらい走ったところで、ふと彼女に興味を引かれた僕は、Uターンし尾行してみることにした。
 20分も走ったところで、彼女が左手でシールドを跳ね上げこちらに向かい何か話しかけてきた。風切り音で良く聞こえない。とりあえず僕は、止まってくれ、と合図しバイクを左側に寄せてエンジンを止める。ヘルメットを取った彼女はスラリと背が高く涼しげな目元のほくろがとても印象的だった。
「わざわざ止まってくれてありがとう。ちょっと聞きたいんだけど・・・この辺りに『ハウザーライフ』っていう不動産屋を知りませんか?」
「ああ、それなら聞いたことあるな。多分駅前の方だったと思うけど、付いて来てみて。案内するからサ。」
 駅に向かうこの道を走りながら僕はいろいろ考えていた。バックミラーに映る彼女は一体どういう女なんだろう?不動産屋ってことはこの街に引っ越してきたのかもしれないな・・・。その「ハウザーライフ」まで何分もかからなかった。
「すぐに済むから後でお茶でもどう?お礼に私に奢らせてヨ」
 二本のショートホープが灰になる頃、彼女が一枚の地図とキィを持って出てきた。
 その後、僕らは喫茶店に入りコーヒーを注文した。彼女の名前は「山内香織」24歳の看護婦だ。新しい病院に移るためこの街にやって来たらしい。僕は「早川浩平」大学の4回生、この街に生まれ、この街に育った。
「・・・ふうん、そう交通事故で家族を・・・、じゃ私と同じ天涯孤独ね。ところでさぁ、これからマンションに帰って荷物の整理をしなくちゃ。重いものとかが結構あるんだけど・・・」
「・・・僕で良かったら手伝うけど、これも何かの縁だしさ」
 どうやら僕は彼女に旨くはめられたらしい。まあいいか、どうせ暇を持て余してたところだし。
 ほどなく荷物の整理が終わり、彼女の手料理で引っ越しとこれからの新しい生活に二人で乾杯した。
「今日はホントにありがと。浩平君のお陰で助かったわ。君がこの街の最初の友達ね。これからもよろしく!」
「ん、こちらこそ。そうだ香織さん、明日ヒマ?いろいろこの街を教えてあげるよ、クリーニング屋とかさ。あとこの街を見下ろせる丘があるんだ。」
 次の朝、マンションに迎えに行くと彼女は僕の為のコーヒーを入れて待っててくれてた。
「おはよう!もっと遅いのかと思ったわ。ねっ、昨日浩平君が言ってたこの街を見下ろせる丘にも行くんでしょ?だったらお昼頃連れていってよ、お弁当作ったんだからね」
「ハハハ、なんか子供の頃、ピクニックにでも行くみたいだな」
「そっ、私は今日この街を探検するつもりなんだから。「さあ、行きましょ!」
 それから二人はこの小さな街を”探検”した。いつもは見慣れたこの通りもなぜか新鮮に見える。例の丘へ向かう道で、彼女のバイクが横に並んで僕の方を向いて軽く微笑んだ。どうやら彼女もこの小さな”探検”を楽しんでいるらしい。
「ここ涼しい風が吹くね。う〜ん気持ちいい!私この街好きに慣れそうな気がする。・・・やっと見つかったって感じかな」
 彼女が作ってくれたサンドイッチを頬張りながら僕は雲が流れていくのを眺めていた。ふと横を見るとさっきまでしゃべっていた彼女はうたた寝を始めている。まぁいいか、この時期なら風邪もひかないだろ。僕も隣でごろりと寝転んだ。
「・・・君、浩平君、もうこんな時間よ。」
「えっ、ああ、香織さんが気持ちよさそうに寝てたんで僕もつい、さ」
 僕らは彼女のマンションに戻った。今日もまた彼女が食事を作ってくれるというので世話になることにする。
「香織さん、何か手伝おうか?」
「いいわよ、そこでテレビでも見てて。浩平君は料理なんかできるの?ちゃんと栄養のバランスを考えて食べなきゃダメよ」
「看護婦さんらしい意見だね。一人暮らしが長いからさ、簡単なものなら出来るよ」
 カップラーメンが”料理”かどうかは知らないが、とりあえず彼女の手料理は旨かった。そしてその日、僕らは初めての夜を迎えた。
 それから二人の生活は、僕が大学へ行き卒論を書く。彼女は病院に勤め始めた。仕事柄、勤務シフトが変わるが、僕たちにはそんなこと問題ではなかった。当然のことながら僕は自分の部屋よりも彼女の部屋にいる時間の方が長くなった。仕事から帰った彼女は僕が部屋にいると喜んでくれてた。
「私ね、物心ついたときから両親がいなかったでしょ。だから以前は家庭の味っていうのが良く分からなかったの。独りの寂しさ、とかね。でも今は・・・」
「うん、大丈夫だよ香織さん。僕らは、え〜となんて言ったらいいのかな、とにかくもう僕らは独りぼっちじゃないんだからサ」
「・・・ありがと、浩平君。ホントに・・・」
 彼女と喧嘩してふてくされて自分の部屋で一週間も閉じこもっていた事もあったし、「健康のためよ!」と言って無理矢理禁煙もさせられたけど僕は今の生活に満足していた。卒論を書き終えた日から道路工事のバイトも始めた。これが結構キツかったが、確かサイズは9号だったよな、やっぱりダイヤモンドの方がいいかなぁ、なんて考えながら働いていると肉体労働も楽しく思えた。僕は卒業と同時にプロポーズするつもりだった。時々、彼女の瞳が遠くを見つめていた事は気付かずに・・・

 それから3つの季節が過ぎて初出社を明日に控えた朝、僕と彼女はあの日初めて出会ったあの通りにバイクを並べて立っていた。
「・・・やっぱり行くのかい?」
「・・・ゴメンね・・・、私って一つの街(とこ)で落ち着くことができないのかもね。・・・うまく言えないけど、この街今でも大好きよ、浩平君のことも・・・」
「・・・それじゃ、香織さん。・・・落ち着いたら連絡ぐらいくれよな」 彼女のバイクがだんだん小さくなり、そしてついに見えなくなった。僕はやめていたタバコに火を付ける。ゆっくりとショートホープをふかしながらもう見えないはずの彼女の姿をいつまでも追っている。
 彼女がこの街にやって来たのは風の吹いていた日だった。そして彼女が去ってゆく今日も風は吹いている・・・