台風12号と共に走った九州ツーリング

機関誌 Vol.07 69〜74ページ

<Y水>


8月21日(水) 曇りのち雨 本日の走行距離:30km位
 昨年、四国へツーリングしたついでに九州へも上陸して阿蘇に行ったのだが、滞在2日だけだったので今年も九州へ行くという計画だけ立て、1日間休暇を取り、午後4時半に職場から出発。一路大阪南港へ向かう。途中、茨木で銀行によって大阪南港に向かうが、職場を出てすぐ大雨となる。また難航へ行くまでの間は希に見る大渋滞でフェリー埠頭に着いたのが午後6時40分。乗船には間に合ったが、レインウェアーを着るのをさぼったため、全身びしょぬれになっていた。名門大洋フェリーに乗船するなりお風呂へ入ることとする。
 客室でもう一人ライダーがいたので話しかけてみた。実家が奈良で彼女のCBRで里帰りの帰りだそうだ。しばらく一緒に話をしたが、CBRの彼は10時頃には既に寝てしまい、僕もビールを飲みながら彼が読んでもいいと貸してくれた漫画を読んでいるうちにうつらうつらしてきた。
 何時くらいか覚えていないが、目が覚め瀬戸大橋を見ることにしたが、ライトアップされていないので少しがっかりした。
8月22日(木) 雨 本日の走行距離:389km
 フェリーは午前7時50分入港であったのだが、ぎりぎりまで寝ていてもうすぐ寝過ごす(?)ところだった。8時20分、CBRの人と別れを告げ、新門司を出発。湯布院へ向かうが、走り出して10分もたたないうちにまた雨となる。別府の所から長い坂を登っていき、11時30分湯布院に到着。磯崎新氏の建築したゆふいん駅とゆふいんの森号をカメラに収めた。第一の目的達成。台風12号の影響がこのとき既に現れ、大雨と霧と強風のトリプルパンチをなったので、露天風呂に入るのはあきらめてやまなみハイウェイをびびりながら突っ走る。途中牛がいたので死ぬ思いをした。
 やまなみハイウェイも通り過ぎ、山を下りていくと次第に雨、風がやみ、霧も晴れてきた。宮地駅にて昼食をとる。荷物を見てみると防水対策のビニールなど半分ほどが駄目になっていた。しばらくして再び出発。
 午後2時頃阿蘇山頂に着くが、山を登るにつれ次第に雨が降りだし最後は暴風雨となっていて、単車を止める場所にも苦労した。撮影はあきらめてヘルメットを着けたっま山頂をうろうろする。後で知ったのだが、この日の山頂の最大風速は30mにも達したそうだ。
 最終目的地を熊本に決め、阿蘇を後にする。途中ガソリン給油のためガソリンスタンドに寄るが、そこで立ちゴケをしてしまい、大恥をかいてしまった。
 標高が下がるにつれ、再び雨、風はやみ、眠くなりつつも熊本市街に入った。町に入ってしばらく走るとミラーガラスでT字型の変わった建物がある。それがなんと警察であった。熊本北警察署。いいところで仕事してるんやなを内心悔しい思いをしながらしっかりカメラを構えていた。今日の寝床は、熊本市立YHに決めているが、そこでまた疲れる思いをすることとなってしまうとは・・・。
 YHに入ってとりあえず濡れているものを乾かし、表に出ると台湾から来た旅行の人たちと金髪のにーちゃんが二人歩いている。英語が喋れない僕にとって非常に困ったこととなり、彼らが来る前にさっさと風呂に入ることとする。
 湯船につかっていると、さっきの金髪のにーちゃんが3人に増えて入ってき、さっきの台湾人と違う日本人でない人が入ってきた。緊張しながら体を洗っているとせまい湯船につかっている金髪のにーちゃん3人がこちらをジィーと見つめている。何だと思っていると僕の持っている石鹸はどうやら金髪のにーちゃんのものかなと指をさして、あなたの物というジェスチャーをすると金髪の一人が、こくりとうなずいた。げっ!まずいと思い、かたことで「アイムソーリー」と言うと外人さんは「どうぞ どうぞ」と言い許してくれ、あつかましくも石鹸を持っていない私は、それをあいがたく使わせて頂いた。そこからちょっとだけその外人さんと話を(当然へたくそな英語で)しtみると、どうやらドイツから観光に来ている人たちで、もう一人オーストリアから来ている女性もいるらしい。なんと国際色豊かなユースなんだろう。風呂の後、食事に行くと日本人の泊まり客はもう一人ライダーと親子の旅行者だけだった。夜は恐いのでさっさと寝た。次回からは英会話の本もアイテムに入れなければ・・・。

 ユースの面々
  日本人 男2人 女2人
  ドイツ人 男3人
  オーストリア人 女1人
  韓国人 男2人 女2人
  台湾人 男2人 女1人
8月23日(金) 曇り 本日の走行距離:319km
 朝6時目が覚めたが再び7時半頃まで寝る。起きると昨夜は雨が降った様子はなく、朝食を取って8時20分頃さっさと出発の準備に取りかかり、出発した。
 熊本駅で、台風も東シナ海に抜けそうなので長崎に行くことに決めた。家にいったん現在地とこれからの予定を電話で伝え、一路R308を北上した。いま、噴火活動をしている雲仙普賢岳をフェリーに乗って見に行こうと長州港へ行くが、台風の影響で欠航であった。
 仕方なしに元のR308をさらに走っていくことにした。熊本県境に近づいたとき、何か8分音符のマークの入った建物が見えた。なんと古賀政男記念館である。喜んで記念撮影をし、再び出発。佐賀で少し雨が降ったが、午後3時頃に島原に到着。とりあえず、今晩の宿を確保しておくことにする。「よし、ギャルが多いと噂されている長崎オランダ坂YHに電話しよう」というわけでここに泊まることになる。
 山の方を見るが、普賢岳は霧に包まれ何も見えない。何とか見ようと試みてみるが、市街地の出口で既に交通規制がされており、失敗。他にもいろいろ試みたが、その内1時間がたち、あきらめて長崎に向かうことにする。
 走っているうちにまたもや雨。また火山灰の嵐もすごい。そして吸収の車はみんな制限速度を守って走るので大阪の僕には非常に辛気くさく辛い。午後6時ちょうどに長崎駅に到着。地図でYHの位置を確認し、YHに行く。
 YHに到着し、夕食を取った後、稲佐山へ向かう。ガスがかかり大雨だったが、うまい具合にガスの切れ目で長崎の夜景を見ることができた。
 YHに戻り風呂に入って今日一日の疲れをとる。YHはギャルなんかは全然いなかった。同じ大阪から車でやってきた3人といろいろ雑談する。明日は長崎見物をした後、萩、秋吉台まで行こう。
8月24日(土) 快晴 本日の走行距離:400km
 7時起床。朝食を取りに行く。昨晩寝た部屋は大学の映画サークルらしき一団と相部屋だった。静かだったのでこちらとしてもすがすがしい朝を迎えることができた。外を見ると昨日とはうって変わってのどピーかん!「よっしゃ!今日はいけるで!!」と思わず思ってしまう。朝ご飯を食べていると、昨日熊本YHで一緒だった母子と偶然の再会。昨日の外人ばかりで困ったことを笑いながら話をした。NHKでは安藤忠雄の特集をしており、ラッキー続きだ。
 YHの前で記念撮影をして、長崎見物に出発。長崎市内を大浦天主堂、グラバー邸、孔子廟、オランダ坂、眼鏡橋、二十六殉教者地、平和公園、浦上天主堂の順で見て回ったら既に12時10分だった。そろそろいかなきゃ。
 R34バイパスを通って福岡方面に行こうとしたら125cc未満は通行不可だった。しかたなしにR34へ戻る気もせず、R206、R207を走り、途中でR34と合流することにした。R207は1.5〜2車線の海岸沿いの道で九州に入って初めてほとんど70km/h以下に落とすことなく走れた。R34に入るとまた制限速度での走行だった。佐賀で一度給油。
 数珠つなぎにうんざりし、皮膚が日光でヒリヒリしだした頃、左手に吉野ヶ里遺跡が見えた。ものすごくきれいだった。連れのお土産に金箔のテレカを買って帰る。
 再び福岡を目指して走るが、福岡に近づいてきた頃、R200という福岡をバイパスする道を発見。R200は黒崎まで続いており、車線も多く、スピードを出してかなりの時間稼ぎが出来た。午後5時半に小倉の到着。駅で観光案内をもらう。汚い格好なので恥ずかしい。北九州国際会議場を早速案内センターで聞いて行くことにする。今回一番見たいと思っていた建物だけに喜びもひとしお。受付で断って中を案内してもらい、説明もしてもらった。ついにはポスターも頂き、ハッピー!その後、磯崎新建築を4カ所教えてもらったが、時間がもう日没前なので明日見ることにする。
 R3からR191、関門トンネルを抜け、R2に入り山内方向に一目散に走る。車にあおられ負けてはなるものかとDTをフル加速。ふっと気がついたらポスターがなくなっていた。ガビーン!
 小郡で給油した後、R292を走る。山の中の道で不安だったが、ガードレールのキャッツアイで何とか70km/h位での走行が可能だった。予想外に早く(といっても午後9時20分)萩駅に到着。ちょうどポリさんが来たので近くのキャンプ場を教えてもらう。教えてもらったのは萩城址横の海岸のキャンプ場である。キャンプ場に向かう途中、エビスビールを調達。一人の場合、これが必需品となる。昨年は桂浜でえらい目に会ったから。今回のツーリングで初めてテントを使用することとなり、期待と不安が・・・。
 キャンプ場に着いたらすでにオートキャンパーとチャリダーがテントを張っていた。オートキャンパーの人たちに焼き肉とウイスキーをチャリダーと一緒にご馳走になる。1時半頃まで喋り、就寝につく。「よかった、去年のような目に会わなくて」にしても今日は本当によく走った。
8月25日(日) 曇りのち晴れ 本日の走行距離:208km
 6時に目が覚めた。テントの表へ出るとまだ天気がどんよりとしている。まず頭に思いついたのが買ったばかりのパーコレーターだった。水を汲んできてコケ燃に火を灯す。「へへへ」とニヤニヤしながらじっくりと楽しんだ。しかしこれがいけない。第一これしきの事でポーカーフェイスの俺が笑みを漏らしてはいけないのだ。次に楽しみすぎたために「コーヒーが苦い!」しかも豆はドリップ用の細かくひいたものがまたまずかったのだろう。とにかくそのまずいコーヒーをキャンパーに無理矢理飲まし、さっさと荷物の後かたづけを始めた。
 8時30分、とにかく萩巡りに出かけることにした。まだ朝で旅館等で泊まっている客は食事が終わった頃なので店なんかは全然開いていない。観光案内所もどこにあるのかわからないのでしばらくぐるぐる回る。その内、みやげ屋が一軒開店したのでそこで1枚100円也の地図を買い、それを当てに高杉晋作、伊藤博文、吉田松陰ゆかりの地を訪ねた後、秋吉台に向かう。
 秋吉台でもなぜか(俺が鈍くさいだけだけど)カルスト台地を捜すのに苦労し、時間の無駄遣いをしてしまう。やっと見つけたカルスト台地の間を走る道は、短いけど北海道ややまなみハイウェイを思い出す。久しぶりに北海道へ行きたいと思ってしまった。
 ちょうど正午、観光案内所でもらった観光地図を片手に持ち、再び下関へ向かう。昨晩オートキャンパーに聞いた県道を使い、西へ向かったところ、他の車のペースが速かったこともあるが、午後1時には下関駅に着いてしまった。昨日とは全然違う。やっぱり地図を持っていなかったのが悪いのだろう。
 駅前のふぐのモニュメントをカメラに収め、次に火の山へ登る。てっぺんから関門橋を写真に収めぶらぶらした。一昨日までとは違い、台風一過のどピーカンである。いっぺんに肌が焼けてしまった。
 再び大阪行きのフェリーに乗るため、関門トンネルを抜け、九州に入る。まずは昨日あえて寄らなかった門司港駅による。ここでとりあえずフェリーの予約だ。そして駅周辺をぶらぶら歩いたのち、今度は小倉まで戻る。昨日教えてもらった磯崎新建築を見るためと、昨日なくしたポスターをもう一枚もらおうという甘い考えのためだ。しかし、ポスターはなかった・・・。
 小倉市立図書館、市立美術館を見て回った後、午後5時、新門司港へ行くことにする。途中、夜食を買うためデイリーストアに寄るが、たばこ二箱を買ってしまい、晩飯は寂しくなってしまった。港に着き、乗船手続きを済ませ、待合室にはいると、もう一人九州の大学に通っているライダーと知り合う。船の中では彼と行動を共にしていたが、そのうち夜食をけちったためにまたお腹がすきはじめる。我慢できずにカップヌードルを買って食べた。あと手持ちは500円なり。やばい!もう寝よう。
8月26日(月) 曇り
 朝の目覚めは非常に悪かった。他の団体客が夜遅くまで騒いでいたためだ。くそ!腹が立つ。プンプンしながら僕は大阪南港を後にして仕事場へ向かうのだった。