新春随想 課題

機関誌 Vol.07 49〜50ページ

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 私は地図を読むことが極端に苦手である。地図の"上"が北、ということはわかるが、実際に地図を持って街中をうろついている間に東西南北が全く分からなくなってしまう。
一回角を曲がって、結果的に地図を上下逆転させてみることになると、もうすべてが混沌としてくる。だから一人で取材先に伺う時にはかなりの時間的余裕を持って出かける。
 こういう人を「方向音痴」と呼ぶのだろうと思う。「音痴」というのは放送上は差別用語に当たるだろうから「方向に明るくない人」とか、「方向に不自由な人」と言うべきかもしれない。
 こんな私が18歳の時からハンドルを握っている。助手席に信頼できるナビゲーターがいない限り自分で地図を見て目的地にたどり着かなければならない。地図に眼を落としては考え込んでしまうので危ない。そこで何度か傍らに車を寄せて納得できるまで地図をにらんでいる。それでもほとんど理解できず、最後は通行中の人を呼び止めて尋ねる。これではいつまでたっても現地に着かない。だからよく分かっているところ、もしくは事前にかなり詳細な情報(ガソリンスタンドを曲がって2本目の道を入り・・・)を入手している場合以外、車で乗り付けるようなことは慎んでいる。
 ところが世の中には地図読みの名人とも言うべき人がいる。そして幸運なことに私の夫がそれである。運転技術もかなりある上に地図を見るのが得意なので、「あなたはタクシーの運転手さんになるべきだったのよ。きっと大成したでしょうに」と転職を勧めている。
 当然のことながら、私はナビゲーターに不向きでハナから見捨てられているから、車上での仕事はない。言うなれば完璧な「お抱え運転手さん」のいる奥様のように優雅にドライブを楽しんでいる。
 地図読みが不得手であることと、物事を三次元的に立体的に考えるのが苦手であることは、私の中で一致している。夫の才能を盗もうとして、幾度か実際に車で移動しながら地図の読み方を教えてもらったことがある。
夫「地図で道がこうなっている。この辺りの光景に似ているだろ?」
妻「(いかにも確信できずに)そうかな・・・。」
夫「もしかして算数で立体の展開図とか点の描く奇跡なんていう問題苦手だった?」
妻「ピンポーン!」
という具合である。私は夫を「歩く"土地勘"」と呼んで尊敬している。断っておくが、「アルクトチカン。歩くと、痴漢」ではない。
 地図と勘を頼りにピタリと目的地に着く面白さを覚えてしまうと、他人様の親切な説明すら煩わしくなるらしい。
 私は先様から「首都高を降りて真っ直ぐに来てパン屋の角を曲がって突き当たったら左」というような情報を入手してくると「名人」は不機嫌になる。
「住所だけ聞いておけばよい。住民として地域になれてしまうと却って一通りの道しかたどらないようになる。地図の上から大きな視野で眺めてみると案外もっと車で行きやすい方法などが見つかるものだ」と言って本当に住所だけを手にして出掛ける。こういう自信が私には羨ましい。
 地上を歩く時には目印となる建物などがあるのでまだ良いのだが、地下に潜るとお手上げである。
 地下鉄を降りた途端に前の出口と後ろの出口のどちらを利用したものか、目的地との位置関係が分からなくなる。こういう人のために地下鉄の駅や巨大な地下通路にはかなり細かな表示がある。これらの指示がなければ私はモグラのように地下街を徘徊するうちに、ますます方向が分からなくなって地上に出られなくなってしまうに違いない。いや、実際には指示があっても難渋した経験が何度かある。東京・新宿駅で西口から東口に出られなくて途方に暮れてしまい、無駄に時間を費やした。新宿や六本木で人に道を尋ねると「田舎者」と思われるのではないかと恐れて、人に聞くこともできない。妙なプライドが邪魔をする。
 恐怖のモグラ体験が怖くて、最寄りの出口でなくても早めに地上に出て考えることにしている。そして取材先からいただいただいたいの地図をコッソリ拡げて一人黙々と歩き出すのである。
 ある時、昼日中の六本木で迷子になってしまった。余程場慣れせぬ雰囲気だったのか、あるいは何度もすれ違ってしまったのか、前を歩いたサラリーマンがクルッと振り向いて、「道、わかりました?」といきなり親切に声を掛けて下さった。渡りに舟とばかり、飛びつけば可愛いものを「ええ、何とか・・・」と、東京に近い横浜育ちの令のプライドが頭をもたげてきてとうとう聞けず終いであった。結局先様に電話を入れて、改めて道を伺う始末である。
 ジャーナリストたる者、足で稼げ、と言われる。突発的な事件や事故はさておき、室内でジッと仕事が来るのを待っていては「特ダネ」は取れない。自分から街に出てトレンドを探る。今日の社会を「斬る」ようなリポートを他に先駆けて作るにはマメで地道な取材が欠かせない。
 ポケットサイズの地図や地下鉄路線図は一通り揃えた。私がジャーナリストとして飛躍するには、苦手な「地図の読み方」を克服することが先決のようである。

NHKアナウンサー