機関誌 Vol.05 42〜43ページ

<特務護衛中距離支援MS機 コードネーム RX-77-4>


俺にはかけがえのないものが幾つもある。小学校の頃集めていた切符や切手、中学校の頃にはまった模型や詩作り、その頃に覚えた酒・煙草・麻雀・パチンコ等の遊びと異性を意識し始めた恋愛、高校生の頃には嫌いであった二輪に乗るようにもなったし、働くようになってからはファミコン、最近ではコンピューターにまで手を延ばしていっている。しかしいつの時代でも友達は居続けている。今、本当に友達と言えるのは2グループあり、4年前にFZを買った時からの友達である人達で、本屋に集まっていた奴らで、走りに行き仲良くなった友人たち。そして後一つは言わずと知れた「すずらん」である。一昨年の8月に稚内で最初に見つかったライダーハウスにみんなが居たから、山元さんがバッテリー液をくれたから、次の日に会長らをフェリー乗り場まで見送ったから、宗谷岬まで一緒に走ったから今までの関係が続いているのだろう。これからも良き友人として。
こういったかけがえのないものが今の俺を支えていると言ってもいいだろう。そしてこれからも大切にしていきたいはずであったが、すずらん内部でおこった出来事がまさかこんな事になるとは誰も予想しえなかった。

あれは新入社員がそろそろ会社が嫌になる、ゴールデンウィークを過ぎたある日であった。その日は「松長さんを励ます会」を開くことになり、久し振りの再会に喜んでいた。
俺は集合時間に遅れそうであったので少し気分的にイライラしていた。しかし間に合いそうになり少し落ち着いたと思った矢先に俺の横にはタクシーの姿があった。あぶない・・・と思うが早いか俺は左からそのタクシーを避けていた。その瞬間俺はまた機嫌が悪くなっていくのが判っていた。何となく俺は今日は嫌な事があるような予感がした。その予感が的中したと判ったのはそれから3時間後ぐらいであった。あんな嫌なことが起こるのであれば俺の予感なんてものは当たらなければ良かったと思っても時すでに遅かった。
そんな気持ちで俺はみんなの集まるいすずのショールーム前に足を運んだ。少し時間の遅れた俺は最初に声を掛けたのがこの張本人である元山であった。俺は元山は本当に良い奴で信頼もしていた。そして二人で「いもたこなんきん」に歩いていった。その後を追うかのようにすずらんのみんなも付いて来ている。そして誰もあんな事になろうとは想像すらしなかった会が開かれた。
そこでは別に何も無かったように思えたが、実は犬井が元山に日本酒を飲ましていた。その時に俺は気付いていたが、元山が酔っている所を見たくてそのままにしていた。今にして思えば元山があんな事になったのは俺にも責任があるのだろう。そして、いもたこなんきんでその前触れがあり元山と犬井が異常に盛り上がっているではないか。俺は一瞬の恐怖といおうか一瞬の幻覚を見たような感覚に襲われた。あれが本当に元山なのだろうか、もしかして俺は悪い夢でもみているのではないか?・・・という気持ちにさえなった。その姿はいつもの面影はまったく無く異常に明るいだけの元山の姿があった。そうこうしている間に2時間が過ぎて終了の時間になっていた。
皆が一階に下りてみると犬井の姿がなかった事に気付いた。元山に酒を呑ますだけ飲まして帰っていったのであった。さすがに独りで居酒屋に飲みに行くだけあってこの辺の対処は見習う所があったし、前の日に独りで居酒屋で飲んでいたのに、それでも独りで帰れるとはさすがは船坂峠のアウトローである。その時に俺は二次会の事しか頭になくて元山と加茂と溝旗の4人でカラオケにでも行こうとしていた。加茂と溝旗は行く気であったが、元山は次の日に溝旗が四国ツーリングの時に事故に遭い、その事情聴取の為に元山は溝旗を車で付き添いがてら送って行こうとしていたので今回は置いておこうと言った。俺はそんな元山の気持ちも知らずに自分の事しか考えずにいた自分が嫌になった。やっぱり元山はしっかりしていない様でしっかりしていたんだと俺は思った。
そしてこのまま帰るのもなんだから茶店でも行こうという案がでて、それに元山が乗る気であったのが俺には少し引っ掛かったがその意見に賛成していた。その時に俺と元山、溝旗、そして不幸の松長さんがいた。保田達と少し離れた場所にいた俺たちは殿園(でんえん)に行く為に渡る信号で待っていた。そこで元山はしきりに松長さんにちょっかいを掛けていた。この後も色々な所で元山はその辺の女性に、しつこく松長さんにも、そして溝旗にもちょっかいを掛けていた。俺はこの時心の中で元山に対して祈る気持ちでいっぱいであった。元山・・・お前はそんな事をする奴じゃない。そんな奴じゃなかった・・・と、でも俺の気持ちを踏みにじるかのように元山は獣の如くその本能のおもむくままに行動している。俺はそれを止める事が出来ないでいた。いや止められなかったと言った方が正しいかも知れない。そうこうしていう内に行き場の無くなった俺たちは解散しようという事になり、とりあえず溝旗の家に行く事になっていた俺と加茂と元山は南へと向かう事になった。
しかし、俺は今回もバイクで来ている為に、加茂達とは別れなければならなかったが心配であった為に俺は加茂に「元山はほっといてもいいから溝旗だけは頼むぞ」と言うと、さすがに加茂は解っていたらしく、「溝旗ぐらいは守れる」を言う頼りになる言葉を返してくれた。元山がこんな状況の今、俺には加茂の言葉が涙が出る程嬉しかった。いつもみんなに色々言われているのにこういった時には本当に役に立つ存在であった。そんな事とは知らずにいままで加茂には迷惑を掛けたことを俺は恥じていた。しかし今は恥じている場合ではない。一刻も早く元山を溝旗の家に連れて行く事が先決であった。とりあえず阪和線の泉府中駅で待ち合わせをした。
俺は夜の大阪の町を駆け抜けていった。まるでなくした何かを捜し出すような気持ちにかられながら、一心に俺は目的地を目指して走っている。そんな気分で走る俺にはいつもの優しい風はなくどことなく肌に突き刺す感じがした。それでも俺は走っている。何の為なのか、誰の為なのか、その答えもでないまま俺は何処までも走って行く気持ちになった。
そんな気持ちのままかなりの時間が経ったその瞬間である、俺は何とも言えない感じがし、嫌な予感が俺の頭の中をかすめていった時と同時に身体が一瞬硬直したように思えた。「いまの感覚は何だ!」、「俺の錯覚か?」という考えが頭に浮かんだ。そうこうしている内に泉府中に着いていた。今にして思えば速かったのか、それとも遅かったのか、今走ってきた道が遠い昔のように思えてきたのは俺がかなり精神的に乱れていたからであろう。そのとき時計の針は午後9時55分を指していた。
快速電車が着いている時間であったが、そんな事は着いたばかりの俺には知るよしもなかった。改札は帰ってきた人で一時の活気にあふれていたがそこには元山達の姿はなかった。時刻表を見てみると今の列車が快速電車であることに気がつき、次の快速電車が来る迄には31分も時間があるが俺は駅前でFZと一緒に元山達を待ち続けていた。その間にも数本の列車は駅に入り改札は又も活気づく。この繰り返しをしていると時計は午後10時26分を指している。あれから31分も俺はここでじっとしていた事になる。又も改札は活気づいているが、元山達の姿は見えなかった。その時にはトイレに行っていたのである。俺は「出したい物もあるだろう」と思っていたが、この後溝旗から衝撃の事を聞いてしまった。何と元山は既に電車の中で・・・俺は前日に元山と溝旗が付き合えばうまくいくのではないかと思っていた矢先の事だけに、言葉にも表現出来ないぐらいの気持ちになっていた。

「時が6時に戻せたら」・・・そう思っても遅いだけで、俺たちが今まで付き合っていた元山という友人は帰ってこない。そして、俺にはひとりの大切な友人がいなくなった。いつまでもこのままの関係でいたかったのに夢でしかなくなってしまった。俺のそんな思いも夢でしか終わらない。

いつまでも俺の心の奥にいるともへ「ありがとう」・・・と
                                       So Long Friend